この杜に安徳天皇は眠っているのだろうか。歴史好きの読者諸氏ならご存知だろうが、九州各地に天皇陵が存在する。その中でも硫黄島(鹿児島)に安徳天皇陵が存在し、安徳天皇の末裔だとする長浜天皇がおられた。いったい何が本当なのかはわからぬが我輩の身近なところにも安徳天皇の説話が伝わっているということだ。ここには幼子を隠したと言う故事による祭もあるし、地名が隠蓑だからまんざら作り話ではなさそう・・かな。
小さな古墳が集合している地域である。その中でもこの古墳は抜きん出た規模の古墳である。
しかし、それだけの言葉では終われまい。この地域に大和の影響が及んでいたと言うことの証明になっている。
ところがただこの1基だけしか検出されてない。後継者は生まれなかったのだろうか。
以前古墳の周囲は水が張られていたのだが、今は草地になっている。水が張られた時の古墳は綺麗だった。
小丘陵の尾根上に造られている古墳で両側には川が流れて、小規模な谷が形成されている。
古墳西側の谷を下りて右側の山の先端に竹原古墳がある。