墳頂に登って見た。しかし、何度も言うようだが悔しいよな。
去年4月に現地説明会のあった延永ヤヨミ園遺跡である。すっかり埋め戻されている。上に高速道路が走ってゆくのである。
二度とこの遺跡を見ることは無い。現地説明会は奈良時代の話であった。
そばを何度となく車で走っていたのだが車で立ち寄れるようなところではない(自分ではそう思い込んでいた)。
自転車で来たからいい機会である。自転車を止めて降りただけで車に文句を言われそうなくらいに道が狭くなるのである。
開口部から望遠で写してみたところでまず奥までは写らない。むだだね。しかもピントが合ってない。
床には小石、敷居になる石、袖石というよりは石柱に見え、見える部分だけでも3対である。天井石は水平架構に見えるし、右側壁は少しもたれかかっている(土圧か)が、左側壁は殆ど垂直を出している。横並びはちゃんと面を合わせている。
それが18mもあるということを考えたら素晴しい仕事である。しかも手造りだからな。
川島1号墳の特徴である石棚 読者諸氏もご存知であろう。夏吉1号墳玄室に向かって左側に石棚があるのを。
ここは正面にあるのだが天井が低いためか狭い空間になっている。
いつも思うことだが、こんな山の上、あるいは山腹に、危険が伴うと判っていながらどうして巨石を運んでくるのかな。
王塚のように平地だとさほど問題は無かろうし、竹原のように高さが少し周囲とは異なるぐらいではまだ納得の範囲だが、川島のようなところであれば山上までの取り付け道路も切り開かなければならないのだし、まあそこまでさせるなにかが彼らを突き動かしたのだろうが・・・