この地域に四基の円墳があるということだけが頭に入っているが何処にあるのかは判らない。案内もない。それでも確実に三基目を確認した。残念ながら石室はない。
この地域に四基の円墳があるということだけが頭に入っているが何処にあるのかは判らない。案内もない。それでも確実に三基目を確認した。残念ながら石室はない。
何ヶ月ぶりだろうか。例の彼と久しぶりに出かけた。肋骨骨折はいまだ完治せずにいるが、何時かは行かなければならない場所があったものでその機会となったものである。残念なことに例の彼の車の座席がマイカーよりも低かったので骨折部分を上体の体重で圧迫してしまったことであった。
ところがその様なことも忘れてしまうような場所がここなのである。読者諸氏は覚えておいでであろうか。「大分」と書いて「だいぶ」と読み、神功皇后がこの地で軍を解隊した地に由来するということ。
そしてもしかしてあのことが本当なら古墳時代が根底から覆るという・・・びっくりするような場所なのである。
また「えっ こんなことでいいのかね」と言うような場所でもある。あほらしくて思わず笑ってしまうかな。それとも呆れて憤りを感じてしまうかな。
二号墳石室内 なぜか脆弱に見える。袖(柱)石と楣石との間にワンクッションある石が脆弱に見えるからではないだろうか。それでも側壁は持ち送りのように見える。
数箇所に横穴墓があるが、これが一番綺麗に残っている。しかし、崖上にあって近づくことが出来ず中を覗くことが出来ない。これらは寺の敷地内にあるため必ず断って見学をしないといけない。