壱岐古墳探訪2日目である。例によって雨である。それでも行かねばならない古墳がある。それがこの平山古墳である。
古墳の裾を石垣が取り巻いている。これは現代人が封土崩壊を防ぐために施工したとのことである。あまり気にしないほうがいいかな。

今ではこの鉄道をJR西日本の三江線と言っているが、この当時は三江北線(江津~浜原)と言っていた。当然国鉄である。そしてこの当時は浜原で途切れているのが判る。
それにしてもなになに原と言う原のつく地名が多いな。
おっそうだ。世界遺産の大森銀山があるぞ。少し足を伸ばして寄ってみるかな。

当時の記録である。ここには川本の名前は揚がっていないが、その一つ手前の因原駅、三っつ先の乙原駅が記されている。
地図のように今も当時も県道40号が線路に沿っている。今回は川本から小原、Uターンして因原まで走りそこをまたUターンして川本に戻るという単純なルートである。たかがこれだけのことなのだが死ぬ前にもう一度走りたかった場所なのである。今回は恐らく古墳はないだろうな。
そんなことを言わずせっかくだから益田まで下を走ってスクモ塚古墳に寄ってみようかな。なにせ島根県下でも円墳にしろ前方後円墳しても最大級だからな。うん。