街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

久しぶりに花を描く

2009-07-10 00:27:17 | 花の絵

 久しぶりに花の絵を描くことにした。実家に咲いていたものだ。母が花の名を言ったのだが覚えていない。まあ聞けば判ることなのだがな。

 何時ものことだが私は葉から描いていく。花を描く人は大概花から描いていくようだ。私の場合、葉が上手く描ければ花により集中して描くことが出来るからである。少し変っているかもしれん。

 従たる花と蕾が上手くいけば主たる花により集中することが出来る。こうして順序を逆にして描くと確実に完成するからだ。花から描いてゆくと、まあこれで良しとしようとしてしまうからである。
 大森銀山に行ったときには紫陽花が満開だった。こちらではもう既に終わってしまっていると言うのに。小さな名も無き花の写真も撮った。いつか描くつもりでいる。
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世界遺産 大森銀山

2009-07-09 23:52:07 | 史跡

 この橋を渡って岩窟を見るのに料金がいる。道の脇から見ていても良い訳だ。
ただ背中を車が行き交うので鬱陶しい。
 しかし、やはり切り取った光景はなかなか好い。ここはB地点から歩いて一分足らずのところにある。

 後を振り返ってみると正面に蕎麦屋があり、その横を露地が通っている。この露地に石橋があるのである。やはり思うように散策出来ることは好いことだ。人はこの上を歩くが気が付かないでいる。まあ興味や趣味の問題なのだからどうのこうのはない。しかし、ここは観光客が来ないな。
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世界遺産 大森銀山

2009-07-09 09:13:57 | 史跡

 添乗員に言ってみるものだ。一も二も無く自由に歩かせてくれるそうだ。
在り難い在り難い。心うきうきだ。急いで五百羅漢に行った。
 この光景はもう皆さんもご存知であろうと思う。私は思いを膨らませ過ぎたかもしれん。バス道路脇にあるのだ。少しがっかりだった。また、料金表などの看板が4枚立っている。誰が見てもがっかりするだろう。写真ではトリミングさえすれば見たくないものを切り取ることが出来る。やはり現場に行かねば判らぬものだ。
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世界遺産 大森銀山

2009-07-09 08:42:20 | 史跡

 観光バスはB地点観光バス乗降所に着いた。車窓の右に街並みが延びている。途中小さな石橋が見えた。ガイドはここに連れて行くのだろうか。
 左には五百羅漢の石橋が見えた。ここには連れては行くだろうか。
 歩いてゆきたい所が既に車窓から見えている。まあ兎に角着いた。
ここで多人数なので二班に分けた。其々にガイドが一人付く。
説明ではB~C~B~Aのコースである。石橋、五百羅漢などは行きそうになかった。さてどうしたものか。

 おっ、ベロタクシーだ。二人乗りである。我輩を見ても「乗りませんか」などとは言いそうに無い。時速は3キロ程度だ。歩くより遅い。高齢者にとっては好いのかもしれん。
 そうこうしている内に点呼を取り始めた。少し気が重いのだが、いよいよ世界遺産を歩くのである。
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世界遺産 大森銀山 (余録)

2009-07-08 10:35:22 | 史跡
 大朝から国道261号を北上して行くと江川に突き当たる。その地は因原である。因原を右にとり、川本に行く。三瓶山に向って走るのである。 
 その川本を左にとれば、もう銀山は近い。
 因原、川本、なにか懐かしい地名だ。特に川本の街並みには懐かしさがこみ上げてくるものがあった。
 そう、三十数年前、福井県までの自転車旅行で江津から江川を遡って三瓶山に向ったのである。この時この両地を走っているのだった。川本の町外れに踏切がある。この踏切を見たときにその光景がまざまざと我脳裏に甦ったのである。
 今はバスで渡っている。三十数年前は自転車で渡ったのである。なぜか涙が流れてきた。誰にも気付かれなかった。そのときもう一度、もう一度でいいからここに来てみたくなった。
 当時国鉄は浜田から浜原(三瓶の麓にある駅名だ)三江北線である。
三次から口羽までの江南線があった。それが今では口羽から浜原までが繋がり、三江線となっている。山奥だからとっくの昔に廃線となっているものだとばかり思っていたが、どっこいそうは問屋は卸はしないらしい。広島と島根が鉄路で結ばれていたのだった。
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世界遺産 大森銀山

2009-07-08 10:15:53 | 史跡

 バスの中が騒がしい。弁当を配っている。弁当など付くはずは無かろうと思っていたから助かった。何処かで食事をとらなければならんなと思っていたからだ。
 その煩わしさから開放されたことで嬉しくなったのである。

 その中身がこれだ。手弁当のように質素でよい。おにぎりの味はよかった。
高速道路を降りる前に食べておかねば。一般道になると右や左やブレーキやらで面倒だと思っていたら、添乗員もその様にアナウンスしていた。
 中国道を逸れ、浜田道を行く。最初のインター大朝で降りた。いよいよ銀山道である。
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世界遺産 大森銀山

2009-07-07 00:52:11 | 史跡

 ある日の新聞広告が目に着いた。「世界遺産大森銀山1万円」これは魅力だった。世界遺産になる前から行ってみたい場所だったからである。今の私にはおいそれとは簡単に行くことの出来ない場所だったからである。このことを妻に話したところ一緒に行こうとあっけらかんとした答えが返ってきた。私はツァーなどというものは初めてである。団体行動なるものが好きではない。しかし、銀山ならばどうしてもという気になった。
 新幹線「こだま」で新山口へ行き、そこからはバスである。

 貸切バスだ。何十年も前だな。こうして乗ってゆくのも。総勢38名。私を除いて他の37名はそれなりの経験があるようだった。
 説明によると、現地ではガイドが付く。我々にガイドが付いてくるのか、ガイドに我々が付いて行くのか、恐らくは後者になるのである。そこが問題だ。自由行動が出来ない。撮りたい写真が撮れない。行きたい所には行けず、行きたくない所には行かねばならん。はてさてどうしたものか。いつの間にかねむってしまった。
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