帰路につく。少し寄り道していこうかな。
チブサン・・・垂乳根の・・・母である。
全長約45メートル、後円部の直径23メートル、高さ7メートルの前方後円墳で、築造年代は6世紀初頭である。
石室は羨道から奥室まで約6メートル、前室は1.9メートルの方形、後室は奥行き、幅とも3.6メートル。後室の奥壁沿いに長さ2.3メートル、奥行き0.9メートル、高さ1.4メートルの寄せ棟造りの家形石棺が置かれている。
踏切名も川本である。今10時40分頃だ。列車は8時台が出れば次は13時台である。ここで待っていても無駄な時間を過ごすことになるから、まあ待つ気は毛頭ないからな。どんどん走っていかねばならん。
益田の手前の戸田小浜で台風に追いつかれ横殴りの雨風の中を走った。耐えられなくて益田YHに駆け込んだのである。
翌日は台風一過の好天であった。江津から江の川を遡って川本を通り、邑智を抜け志学、そして三瓶荘までである。
我輩が言っていたのはこの踏切のことなのである。所謂一般的な第一種踏切である。40年前とはどうなのだろうと思ってもみたがその当時の記憶はない。踏切道床は恐らくは枕木を使用していたのであろうがな。
本日は三度目の考古学講座がある。今回は古墳時代である。出かけるのに駅に行く。ホームの後ろは法面になっておりいつもはざっそうが生い茂っているのだが、今の時季は少し違う。御覧のように白い彼岸花が目に付くようになった。
今日は我輩得意分野の古墳時代である。さてどのような内容になるかな。
この緩やかなカーブを抜けるとかの踏切はもう目の前である。どんな踏切か気になる読者諸氏もおられようが・・・
その前に今走ってきた街並みを振り返ってみよう。