昨日の善光寺詣りは、本当に最高だった。7年に一度の最高の日ではなかったか。天気といい、行事といい。
長野新幹線も行きは満員。帰りは、空いていたから、泊まった人も多かったのだろう。駅も御開帳一色だ。
御開帳に合わせて、特別GATEも設置されていた。
仁王門がまず迎えてくれる。
東大寺の仁王様をちょっと小振りにしたような感じだが、高村光雲・米原雲海の作だそうだ。その原型を、左奥にある善光寺資料館で見ることができた。
これは、午後一番の時の様子だが、いかにも仲見世通りらしい通りだ。ここをぶらぶらするだけで、わくわくしてくるのだ。
ここから回向柱まで、山門を通り越して、数百メートルはあったのだが、誰も文句を言う人はいない。
山門も堂々とした造り。平成の大修理で、往時の姿によみがえった。500円で、上に登ることができ、仲見世通り側を見下ろすことができる。中には、文殊菩薩騎獅像があり、また、お堂を一回りすると、四国八十八か所を回ったのと同じご利益があるという。
この善光寺の字額も真近に見れる。この三文字の中に五羽の鳩がいるのが、わかるだろうか。
そしていよいよ本殿だ。手前にあるのが回向柱で、7年に一回の御開帳の際、本堂内に安置されている前立御本尊の御手に結ばれた金糸とつながっており、この柱に触れることは、ご本尊に触れることと同じ功徳が得られるのだ。
一時間以上並ぶと、こんな感じで、お祈りすることができる。ただ、御開帳の時は、24時間触れられるそうだから、夜に来れば、並ぶ必要はない。
御開帳のもうひとつのポイントは、内陣参拝だろう。
何せ本尊様は、ずうっと秘仏。最後に見られたのは、1692年らしい。この前立本尊は、鎌倉時代のレプリカだが、たぶんご本尊の面影を伝えているはず。この前立本尊が、7年に一回御開帳になるのだから、これを見ずに帰るわけにはいかない。ところが、法要の日と重なったため、これも一時間半待ちになった。でもそのかいはある。すぐ近くで拝めるわけではないが、これだけ、有名な仏様だ。
何せ、善光寺縁起によると、仏教伝来と同時に日本に伝えられたものという。仏教は邪教とする物部氏に捨てられたが、信濃の本田善光に持ち帰られ、これがご本尊になったと伝えられている。まさに日本最初の仏像なのだ。
かつ、戦国時代に、この仏像は、武田信玄、織田信長、徳川家康、豊臣秀吉と巡り巡った。特に、豊臣秀吉は、この仏像を国の本尊にしようと、京の方広寺に招来した。ところが、その後、不幸なことが続いたため、善光寺に返還することにし、仏像が京を離れた翌日に秀吉はなくなり、その後、豊臣家は、徳川家に滅ぼされる。44年間の流浪の旅であった。
本殿の中には、びんずるさんというお坊さんの像もあって、なでられ回されている。なでるとなでた部分の病が治ると信じられている。
前立本尊の上には飛天が舞っている。
お堂の向かって左側では、御印文頂戴といって、お坊さんに頭に錦に包まれたありがたい印を押してもらうことができる。
これは、戒壇巡りのための行列だ。これも一時間以上かかった。写真の左の方から、お堂に入り(本殿の正面から見ると右側になる)、写真の右の方から出てくる。
本殿の地下を迷路が巡っていて、そこを手探りで進むと、本尊の真下にあるという”極楽の錠前”に触れることができるのだ。
これは、本当に真っ暗で、びっくりした。小さな子供など、泣き叫んでいる。
これも、江戸時代に盛んになったという善光寺詣りの重要なアトラクションだったのだろう。
まだまだ、見どころは多いのだが、これぐらいにする。
これは、帰りにちょっと寄った釈迦堂。日本では、珍しく、涅槃像がある。
ということで、善光寺での一日満喫した。
江戸時代に全国各地から訪れた参拝客も同じような気持ちを味わっていたのだろう。