かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

京奈近その28 知恩院

2010年12月21日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )



それにしても、3日間で、奈良・滋賀・京都の見たいところだけ、回り放題。今となっては、贅沢な時を過ごしたものだと思う。
東大路通をさらに北上すると、知恩院がある。とにかく、この通り沿いには、見所がいっぱい。
そういえば、10月に北東にある京都大学から、京都駅まで、バスで、南下した時も、各駅で、多くのお客が乗り降りするものだから、時間のかかったこと。

知恩院は、法然上人が開いた浄土宗の総本山。
ちょうど来年が法然上人の八百年大遠忌に当たり、準備が忙しそうだった。

三門(国宝)から圧倒される。
たまたま、内部公開中で、見ごたえがあった。
江戸時代に秀忠により建立された日本最大の三門という。
楼上には、釈迦如来像を中心に、十六羅漢を始め、様々な像が並び、壁や、天井にも、極彩色の龍や、天人が描かれる。

知恩院の七不思議とされる白木の館も見れる。
大工の棟梁夫妻の像が納められてていたという。二人は、三門建設費予算超過の責任をとり自害したとされるが...
弁士は、最初からその気だったのではと推理する。

説明される方(弁士)が、本当に熱心で、いろいろ勉強できたのだが、この三門から、京都が一望できるのは、京都の東の入り口を固める見張り台的な役割があったのだという。
京都におわす天皇を見張ると同時に、二条城に将軍様が来た時の防御をするためだ。
春と秋に公開されているそうなので、そのタイミングに合えば、是非訪れたい。



御影堂は、家光の寄進により、再建された。国宝である。いかに、徳川家が知恩院を大事にしていたかを象徴するような立派なものだ。



これは、阿弥陀堂。立派だけど、ちょっと新しいのかな?



お堂が沢山あって、うる覚えなんだけど、これは、経蔵だったかな?



鐘も立派。巨大。何もかもが、大作りだ。



法然上人の御廟があるというので、上ってみることにした。



拝殿の奥の御廟が見えた。



隣に、勢至堂があった。室町時代の再建と伝えられ、知恩院の中で、最も古い仏堂とされる。

ちょっと長くなったが、たまたまあ知りあいで、浄土宗のお坊さんがいて、知恩院が徳川家の手厚いサポートを受け過ぎて、布教活動がおろそかになり、宗教としての勢いを失ったと聞いたことがあった。
ちょっとそれがもっともらしく思えるくらい、江戸時代には、恵まれたお寺だったんだろうなぁという、徳川家の政治力を感じるお寺だった。


コメント
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