かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

仏陀南伝の旅

2010年12月28日 | Books



今日は、仕事納めだった。饅頭が配られたのだが、なかなか洒落ていた。卯年だからできたのかな?これで、辰を作るのは難しいもんね。



仏陀南伝の旅という本が出た。白石さんというインテリ?のお坊さんが書いた本だ。”仏陀を歩く”という本の続編というが、元の本は、読んでいない。

期待以上の奥深い本だった。単なる遺跡巡りではなく、歴史、宗教等豊富な情報とともに、紹介されるので、フムフム感も味わえる。

南伝の旅というと、ヒンドゥ教との関係に興味がわく。ボロブドールの近くには、ヒンドゥ教のプランバナンがあるし、アンコールでは、仏教とヒンドゥが入れ替わりを続けた。

友人のバラモン僧は、著者との議論で、ブッダはもともとヒンドゥ教徒であり、その教えもヒンドゥ教と少しも変わらず新たな宗教性は何もなく古来の伝統を再表現しただけである、と言い切ったという。もちろん、著者は、賛成しないのだが。

ラオスでは、現地ガイドは、「ヒンドゥ教は動物や人間を生贄として神に捧げるが、仏教は殺生をしない」「ヒンドゥ教を崇拝する王は自分のことしか考えていないが、仏教は誰でも僧侶になれる」と言ったという。

南伝仏教は、インド人がスリランカ、ミャンマーを通じて伝えていったものだから、バラモン教との混同が生じるのは、無理はない。本書を読むと、その拡大には、アショカ王の貢献がひじょうに大きかったことがわかる。

南伝というと小乗仏教のイメージが強いが、大乗仏教も密教もあった形跡が確かにあるという。次第に小乗仏教が主流になった。

仏教というと平和なイメージが強いが、残念ながら戦いも多くある。ただ、第二次世界大戦後、日本に賠償請求をしないと宣言したのは、スリランカだったそうだ。
「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」という仏陀の言葉を紹介し、平和を求めたという。

この言葉には、続きがあり、
「『われらは、ここにあって死ぬはずのものである』と覚悟をしよう。ーこのことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いは、しずまる」。
争いを避けるための実践的な道も示されているのだ。

ミャンマーに仏教が伝えられたのは、インド東海岸からインド商人たちが、黄金&錫を求め、航海をしたのが、最初という。その後、アショカ王が伝道団を派遣したらしい。
ミャンマーについての記載は詳細だ。仏塔や寺院の平面図も載っている。

それに比べ、インドシナ3国になると、説明は少なくなり、インドネシアについては、ほとんど触れられていない。やはり、僧侶の著者から見ると、スリランカ、ミャンマーは、南伝仏教を語る際に、圧倒的に重要なのだろう。

東南アジア、仏教に興味のある方に、お勧めできる本。

コメント
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