かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

さきたま古墳群その2 瓦塚・奥の山・中の山・鉄砲山古墳

2012年06月11日 | Other Eastern Japan


古墳を巡る前に、旧家が二軒移築されているのを見た。江戸後期の家のようだ。
古墳と比べると、そう昔のことではないのだけど、なかなかこういう家を維持するのは、もはや難しい。



さて最初に現れたのは、瓦塚古墳。明治初期に、瓦職人が、この辺に住んでいたことからのネーミングという。
全長73mで、6世紀前半から中ごろのものと考えられている。
この古墳からは、多量の埴輪が発掘されており、国宝館で見ることができる。大型だし、ユニークなものが多い。特に盾持ち人や、琴を弾く男子など、えぇ?っていうものもあり、面白い。



そこから奥にしばらく行ったところにあるのが、その名の通り、奥の山古墳。
全長66mで、6世紀中ごろから後半の古墳と考えられている。



二重の周堀があることが発掘で、確認され、その様子がわかるように整備されている。
奥に見えるのが、鉄砲山古墳。



さらに進むと、中の山古墳があった。この古墳が、さきたま古墳群でも最後の古墳と考えられている。多量の須恵器が発掘されているが、底には、穴が空いており、埴輪壺と呼ばれている。600年前後のものと考えられている。



その先にあるのが、鉄砲山古墳。江戸時代、砲術の練習所で、古墳目がけて、大砲を打ったらしい。全長109mでさきたま古墳群で3番目に大きい。二重の周堀が確認されており、6世紀後半頃のものと考えられている。
それにしても、古墳を的にするとは、ずいぶん荒っぽいことをしたものだ。

この4つの古墳は、さきたま古墳群を横切る道路の南側にあり、やや地味。
敷地内に、ビニールハウスや、石材屋さんがあったりして、公園感がいまいち。訪れる人も、一番、北にある瓦塚古墳以外は、少ない。



今は、立派な看板が各古墳に設けられているが、かつては、こんな石柱がかろうじて、古墳であることを示していたのだろう。
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