今日は、梅雨の中休み。
庭の紫陽花は、枝を切りすぎて、すっかり花が減ってしまったが、ようやくちょっと咲いてきた。
こちらは、まだまだ。
今日は、楽しみにしていた、立花隆さんの講演会に行ってきた。
どんな話か興味深々だったが、立花さんらしい話だった。
脱線だらけで、大幅時間超過だったが、話の根っこは、ひこばえ。
ひこばえというのは、枯れかけた木から出てる芽のこと。
八幡宮の大銀杏でも、このひこばえからの復活が期待されている。
その見事な例が、善光寺坂にあるムクノキ。幸田露伴の家の前にある有名な木だそうだが、道路に囲まれ瀕死の状況だった。
それが、今見事に復活。
これは、樹木医の診断により、Doパイプと、Reパイプで、酸素、栄養を的確に与えた成果なのだそうだ。
樹木は、酸素、水、栄養があれば、永久に生き続けることができる。
今の日本はどうか。
間違いなく瀕死だ。3.11の前にすでに瀕死だった。
政治も、経済も。
ただし、産業に目を向けると、凄い技術がまだまだ日本にはある。
代表的なのは、炭素繊維。SACLAプロジェクトも、他を寄せ付けないという。
立花氏は、終戦を5歳の時、北京で迎え、引揚者になった。敗戦で引き揚げというと、悲惨なイメージがあるが、立花氏には、非常に楽しい経験だったという。
PTSDという言葉がよく言われるが、悲惨な経験をした年齢によっては、それがPTG(ポスト・トラウマティック・グロース)にもなるのだという。
神戸淡路震災でもそのようなケースが見られた。
立花氏は、引揚後、上野高校に通う道すがら、戦後のバラックを通り抜けていたそうだが、それが突如取り払われたという。既に戦後10年は経過していたのだが。
戦後の高度成長時代に入るまで、戦争はずっと身近な存在だった。
戦後の悲惨な状況と比べれば、今の悲惨さなど、比べものにならない。
ちなみに戦後の高度成長を支えたのは、戦地に赴くことを免れた理系の飛行機技術者が、自動車業界に転じたことが大きいのだという。戦時中の日本の飛行機メーカーの技術は、ダントツ世界一だったのだそうだ。
国家もしょせんは、人と組織の集合体。
空気と水を与え、のびのびとさせる。
これが、今日の講演の結論だった。
そのためには、剪定が必要!
ということで、次回選挙で、剪定ができるか?
ちなみに、O氏のことは、ケチョンケチョンだった。
評価している人が見つけられないのに、これだけの力を有している。
謎である。隠れサポーターがどこかにいるのか?
帰りに、横浜で途中下車。
たまたま総帆展帆の日だった。
見たことない人は、一度是非。
伊勢佐木町に行ったら、わっしょいわっしょいやっていた。
開港記念祭の神輿の部のようだ。知らなかった。
それにしても、凄い人。どこから、こんなに担ぎ手が集まるのだろう。