今日の天気予報は、あまりよくなかったのだけど、結局雨も降らず、薄曇りの過ごしやすい一日だった。
ということで?、駒込にある東洋文庫ミュージーアムに行ってみた。
恥ずかしながら、NHKの日曜美術館で取り上げられるまで、まったくこの美術館の存在を知らなかった。
亜細亜探訪中の筆者には外せないテーマの展覧会をやっているとのことであったので、まずは、訪れてみた次第。
チラシも立派。このチラシ、本の形にトリムされている。
建物は、こんな感じで、美術館というより、巨大秘密倉庫のイメージか。
東洋文庫というのは、元は、1889年に始まり、岩崎久彌氏がマックル・ミューラーの蔵書を一括購入し(関東大震災で焼失した)、さらに、モリソン氏の蔵書を購入し、1924年に、正式に東洋文庫となったという。
その後も、書の収集を続け、何と100万冊の蔵書があり、内国宝5点、重文7点など、お宝の山になった。
どうやって数えたのかわからないが、時価70億円!?
この蔵書を中心に研究、保存活動が続けられてきた訳だが、昨年の秋、ミュージーアムをオープンし、蔵書や美術品を少しづづ展示・公開することになったということらしい。
こじんまりとはしているが、すばらしい建物。ライトの作品を思わせるすっきりした直線を強調した内装になっている。
ここはエントランスホールになるが、オリエントホールと呼ばれており、右側のボックスの中に、いろんな亜細亜の言葉で記された本が展示されている。
奥に、江戸の最大の地図と、あの広開土王の碑の、実物大拓本が展示されていた。
広開土王の碑は、日本の古代のことを記した数少ない資料だが、こんな巨大なものだったのかと驚く。
今の現物の保存状態はどうなのだろうか。ちょっと心配。
2階がメイン展示室だが、まずこの書棚に度肝を抜かれる。何層にも本棚が重ねられ、本がびっしり詰まっている。モリソン書庫と名付けられている。
目の高さのところにあるボックスに目玉の本が展示されている。
特別展示は、この巨大本棚の両脇の部屋にある。
単に本が展示されているだけではなく、本と、立体映像が組み合わされた展示や、デジタル化された本を、めくりながら見れるコーナーなどがあり、工夫されている。
これは、展示されていた本の一つ。シーボルトの日本植物誌の1頁。シーボルトが、アジサイを日本で発見した話は有名。彼らを通して、日本の情報が、ヨーロッパに事細かく伝えられていった訳だ。
これは、ブルーメのジャワ植物誌の1頁。ラッフルズが発見した世界一大きな花であるラフレシアの絵だ。
当時、いかに大きな驚きをもって、亜細亜の情報がヨーロッパに伝えられたかを、思い起こさせる。
ラッフルズは、偉大な商社マンであったが、亜細亜の情報、すべてに興味を持ち、記録に残し、その情報は、ヨーロッパにもたらされた。
これは、今回の展覧会のテーマの一つである、ヨーロッパと中国との交易に関する絵。
イギリスの外交官であるマッカートニーが乾隆帝に謁見している様子であるが、清に服従する儀礼をマッカートニーは拒んだ。一方、オランダは、東インド会社で、そういう儀礼には、慣れていたという。
この空間は、本棚の両脇をつなぐ廊下で、回顧の道と名付けられているが、何とも不思議な空間だった。本棚の裏側ぐらいに位置すると思われるが、本のトンネルをくぐっていく感覚だ。
この感覚は、実際歩いてみないとわからないかも。
蔵書の中からは、きれいな色の残る浮世絵や、河智慧海がチベットから持ち帰った妙法蓮華経や、国宝の毛詩など、これまたお宝が多数展示されている。資本論の初版本も展示されていたな。まさに、この資本論の教えに従って、イギリスは、亜細亜との交易を進めた。
建物の奥の庭は、シーボルト・ガルテンと名付けられているが、その脇を知恵の小道という道が延びる。
側面には、亜細亜各国の言葉で、それぞれの国の格言が記されている。
庭には、白い座像があるが、シーボルトなのだろうか?
庭の奥には、洒落たレストランがある。時間の関係でいただかなかったが。
ということで、思いの外、楽しめた。
愛書家、美術館好きな人、亜細亜の歴史に興味のある人には、是非お勧めしたい。
これから、サッカー。
がんばれNIPPON!