かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

日本の近代とは何であったか

2017年05月20日 | Books
今日と明日は、ほんとは、小旅行の予定だったんだけど、キャンセルになって、雑事に専念。
雑事の多いこと!



この手の本は、もう読むまいと思っていたのだが、新聞の書評でベタ褒めだったので、ゲット。
いい書だった。

明治維新から、今に至る日本の近代を、見事新書サイズに収めた。
10年ぐらいかけて書いた本とのことだが、さらに、今の問題に全て絡むところがびっくり。

ナショナリズム、憲法、天皇制、資本主義、植民地主義、二院制、教育勅語。

驚くべきことに、150年前の明治維新以降、試行錯誤を続けてきた諸問題は、現在進行形。
その割には、過去の経緯を無視した近視眼的な議論が行われることによって、先祖返り的な議論がなされたり、思考停止に陥ったり。

考えてみれば、会社のガバナンス体制は、何がベストかという議論は、常に行われ、制度もどんどん変わっている。
一方、二院制は、幕藩体制から、明治維新の枢密院、貴族院の歴史を、引きずっているのだが、どう見てもワークしているようには見えない。
教育勅語は、実質的に、憲法に変わるものとして、庶民に浸透していたにも関わらず、その決まり方は、かなり恣意的であった。
植民地の統治は、いかに行われるべきかについても、確たる決まりはなく、時々の都合で、流動的であり、その結果、日本は孤立していった。
天皇が神に祭り上げられたのは、明治憲法を作る際、キリスト教など宗教をトップに置くべきという欧米のアドバイスに対し、神道で明治維新を成し遂げた政府は、仏教をトップに置くわけにもいかず、天皇を置くことになった。
憲法9条の戦争の放棄は、戦前の不戦条約の延長戦条にあった等々。

目からウロコ、かつ今に通じる議論、経緯が浮き彫りにされている。

我々もそうだが、まず全国会議員と、主要官僚に読んでもらいたい本。
ちょっと難解な部分もあるが、慣れれば、大丈夫。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする