今日は、冬に逆戻り。
ゴルフだったが、スコアも逆戻り。

横浜市歴史博物館の隣に、何と弥生時代の遺跡があるというのtで、寄ってみた。
1986年に国の史跡に指定された。
お墓が多くある歳勝土遺跡と、弥生時代の環濠集落である大塚遺跡からなる。

こちらがお墓が多くある場所。
方形周溝墓と呼ばれる形で、低い四角の形をしている。
お墓の周りに溝が掘られるので、この名になった。

一基、中が見えるように公開されているが、棺は木造で、小さい。
西日本の弥生人のお墓より、簡素な感じがする。

その他にも多くのお墓が見つかっており、形だけ表されている。
この地域は、公園になっていて、ひじょうにいい空間だ。

その隣の大塚遺跡は、生活の場になっており、環濠集落の外に、お墓のエリアがあったということになる。
多くの竪穴式住居と、高床式倉庫が復元されている。

竪穴式倉庫は、すべて入れるようになっている。
中に大きな違いはないが、サイズは様々で、途中で、大きく建て替えた痕跡のあるものもある。

構造はシンプル。

こちらは、復元せず、柱跡などがわかるように展示されている。
途中で、大きくした様子や、通路が2本(こちらも途中で作り替えた?)あったことがわかる。

この部分に、環濠集落と墓地とをつなぐ橋があったと考えられている。
こんな近くに、弥生時代の遺跡が、見やすく展示されているとは。
行って得した気分。

遺跡の下にある都筑まもる君。
ゴルフだったが、スコアも逆戻り。

横浜市歴史博物館の隣に、何と弥生時代の遺跡があるというのtで、寄ってみた。
1986年に国の史跡に指定された。
お墓が多くある歳勝土遺跡と、弥生時代の環濠集落である大塚遺跡からなる。

こちらがお墓が多くある場所。
方形周溝墓と呼ばれる形で、低い四角の形をしている。
お墓の周りに溝が掘られるので、この名になった。

一基、中が見えるように公開されているが、棺は木造で、小さい。
西日本の弥生人のお墓より、簡素な感じがする。

その他にも多くのお墓が見つかっており、形だけ表されている。
この地域は、公園になっていて、ひじょうにいい空間だ。

その隣の大塚遺跡は、生活の場になっており、環濠集落の外に、お墓のエリアがあったということになる。
多くの竪穴式住居と、高床式倉庫が復元されている。

竪穴式倉庫は、すべて入れるようになっている。
中に大きな違いはないが、サイズは様々で、途中で、大きく建て替えた痕跡のあるものもある。

構造はシンプル。

こちらは、復元せず、柱跡などがわかるように展示されている。
途中で、大きくした様子や、通路が2本(こちらも途中で作り替えた?)あったことがわかる。

この部分に、環濠集落と墓地とをつなぐ橋があったと考えられている。
こんな近くに、弥生時代の遺跡が、見やすく展示されているとは。
行って得した気分。

遺跡の下にある都筑まもる君。