かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

日本国家の起源

2021年03月11日 | Books
今日は、3.11から十年。
仙台出身の私にとっては、まさに忘れられない日。
当時は、東京勤務だったが、当然帰宅難民になり、そのまま宿泊になった。
毛布、保存食などがあって、本当に助かった。
電源が落ちなかったことが大きい。
その電気の源の一つである原発問題の議論が、ぐちゃぐちゃ続きなのが残念だが。



本書は、書店で平積みされていた。
クラシックな岩波新書の再版のようだ。
1960年初版で、本書は、2021年第44刷!
大ベストセラーだ。

読んでいてわかったのだが、古代史の議論が本格的に始まったのが本居宣長の頃。
しかし、明治維新で、天皇家(≒古代史)に関する議論は、封印され、それが、敗戦まで続いた。
そして、敗戦後恐る恐る議論が再開され、それが、庶民の元に届いたのが、本書が出た頃のようなのだ。
敗戦後15年。
確かに。

議論自体、そんなに古さは感じさせず、今の議論がその頃の議論をベースに発展させたものであることがわかる。
当時、すでに記紀に対する疑義が議論されていたわけだが、いつ頃以降の記述が、史実に近いのか、邪馬台国は一体どんな国で、その統治体制は?と大和政権の関係は?、騎馬民族制服説をどう考えるかなど、議論の成熟度は異なるが、テーマはそう変わらない。

最近の議論は、実在の最初の天皇は、崇神と考える人が多いと思うが、本書では、応神とみている。
邪馬台国は、絶対九州説。
纒向が見つかる前の議論だが、たぶん見つかっても意見は、変えなかったろう。
騎馬民族征服論については、部分的に肯定。
著者の意見をはっきり述べているところもわかりやすくていい。

本書で強調されるのが、当時のことを記しているかもしれない確かな文献は、中国にしかないということ、そしてそれらしい文献が日本にもあったが、直接は残されず、記紀に取捨選択して残されたと思われること。
そして、それば、削られただけではなく、古い方に付け加えられた可能性が高く、それが神話につながっていったらしいこと。
たぶんその通りなのだろうと思う。
記紀以前にあった記録が、記紀のどの部分に残されているのかを探る議論も、当時から重要だったし、結論は出ていない。

ということで、古代史の争点・推理のベースの本として、ひじょうに面白かった。
高校の日本史の授業で、習ったことがそのまま書いてあるような気もした。
当時の高校教師にとっては、うってつけのネタ本でもあったかもしれない。
コメント
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