かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

持統天皇と男系継承の起源

2021年08月04日 | Books
昨日の2回目のワクチン接種でやはり、腕が痛い。
微熱もあり、この程度で収まってくれるといいのだが。
そういいつつ、昨日のサッカーのスペイン戦は最後まで見てしまった。
今朝の新聞を見ても、日本への批判は少なく、健闘を称える評価の方が多かった。
まさに死闘だったが、願わくば、PK戦までもつれ込んで、勝利が転がりこんでくれば、なおよかった。
今日の野球はどうするか。



本書は、本屋で、見つけた。
5月に出たばかり。
武澤さんの本は、かなり読んでいるが、本書も面白かった。
元々建築専門の方で、論理的な書きぶりが楽しい。
本書は、そういった意味では、珍しく文系の分野に深く切り込んでいるのだが、古代の家の構造、都市計画等の話も織り交ぜ、当時の大きな流れを分析している。

前半は、持統天皇に絡めて、当時の王朝は、男系ではなく、双系であったと断じる。双系はあまり聞きなれない言葉だったが、男系、女系、双系は、従来より使われている言葉だそう。
持統天皇は、天武天皇が崩じた後、天皇となるのだが、そこからの血への執着は、並々ならぬものがあり、藤原京遷都、伊勢神宮まで巻き込んで、持統の血筋が王家を継いでいく仕組みを固めて、亡くなった。
そのブレーンは、藤原家だったのだが、藤原家の本音は、違うところにあり、持統天皇が敷いたレールをことごとく、ひっくり返していく。

双系から、男系に転じたのも、天皇家ではない藤原家が、王朝に入り込むのに、男系の天皇に、藤原家の后を次々と送りこむことが好都合であり、実際、次々と、時には、強引に政略結婚を進めていった。
持統天皇やそれを継いだ天皇も、強引さでは負けないが、持統天皇の意思を継ぐものが、同じく、血に強いこだわりを持つ藤原家であったのは、誤算だった。

長屋王の変(実際冤罪と続日本記が認めているのだから、この呼び方はおかしい)、平城遷都等を敢行し、オセロのように、持統天皇の施策をひっくり返し、その後、近代まで続く、藤原家繁栄の礎を築いた。

その経緯、特に、血からの考察も丁寧になされていて、本当に、当時の人々がそこまで拘りが強かったのかはわからないが、結果として、そのおどろおどろしい様子が、クローズアップされている。

飛鳥時代から、奈良時代までの、古代史を、持統天皇と藤原家という切り口で、男系・女系の議論も交えて、考察した好書だと思う。

コメント
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