かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

洋楽ロック史を彩るUDOライブ伝説

2021年08月07日 | Music

今日は、ゴルフがキャンセルになって、一日雑用。
全然進まない。
女子ゴルフの稲見選手が、銀メダル獲得。
すばらしかった。
これから、台風が来るというが、その気配は、まだない。



本書は、前述のように発刊記念展のジュンク堂池袋でゲット。

本書は、2019年3月に行ったUDO50周年記念で発刊されるべき本だったのかもしれない。
その後のコロナで、活動ができない状況になってしまって、今は、かなりしんどい状況と勝手ながら推察する。
逆に言えば、それまでの50年、これだけ多くのツアーを招聘してきたのか。
感嘆するばかり。

元々、ビートルズを招聘したのは、キョードーだったが、ロックミュージシャンの素行の悪さにあきれ果て、有働さんに、ロックミュージシャン招聘業務をおすそ分けしたのが、始まりだった。
それからは、有働さんの、血と汗と涙のにじむ努力の結果、来日公演は、UDOというブランドを勝ち取り、途方もない数、質のプロモーターを務めた。

本書を読むと、それは、ビジネスと割り切れるものではなく、まさに、日本的なおもてなし精神の塊だったことがわかる。
私もUDOさんの恩恵にあずかり、すばらしい体験をすることができた。
改めて、お礼を言いたい。

UDOの歴史が、データから、インタビューから、当時のMLの記事から、よみがえるのだが、私の経験がダブルのは、学生時代のわずかな経験と、シンガポールでもついでに公演してくれたツアーと、2005年以降の、ツアーぐらい。
もったいないことをしたとは思うが、当時の、私の状況を考えると、とても行ける状況ではなかった。
残念だがしょうがない。

逸話を語り始めたらきりがないと思うが、それを、このコンパクトな形によくまとめたなと思う。
私が行った中では、THE WHOや、John Mayerが、大きく取り上げられている。
Dylan は、私も、結構いけた方かな?
Wingsの痛恨事は、当然黒歴史になるが、UDOの責任ではなく、最後まで誠意を尽くして、対応、後始末をした。
シンガポールで見て、その後日本に行ったデビッドボウイも、忘れられない感動コンサートだった。その後倒れ最後のツアーになってしまった。
本書に取り上げらているミュージシャンで、早逝した方も多い。

シンガポールで見たコンサートは、全て、日本公演も行っている。
ネットで、チケットをゲットしたのは、シンガポールでが初めてだったが、UDOさんもPIAと組んで、初期段階から仕掛けていた。

最後に全ツアーのリストが付いているが、たぶん行っているのは、20~30ぐらいか。
UDOさんの招聘したツアーの0.1%にも満たないだろう。
一つ一つのコンサートが、私の人生の宝ものになっている。

これからもよろしく!

コメント
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