かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

壱岐 その1

2023年12月09日 | Other Western Japan


今日は、7時発の対馬発壱岐行きのジェットフォイルに乗船。
1時間強で,到着。
何度か乗っているが、時速80kmとは思えない滑らかさ。



対馬と比較して、狭いので、次々と回れる。
全部は、載せられないが、なるべく多く。
最初は、月読神社。
とにかく、神社が多くて、予定よりも端折った。
お寺は、ほとんどない。

京都の月読神社を分霊したという。
月夜見命(つきよみのみこと)、月弓命(つきゆみのみこと)、月読命の三柱を祀る。



国片主神社。少彦名命を祀る。



そして鬼の窟。
この辺りに古墳が集中しており、かつ規模が大きい。
ほとんど石室に入れるが、石室の岩の大きさは、本土の物に引けを取らない。
対馬とは、かなり違う。
対馬は、韓国人の方が多いぐらいだったが、壱岐では、1人も、見かけなかった。
魏志倭人伝でも、その違いが、記述されているが、今も変わらない?



掛木古墳。
綺麗な円墳だ。



双六古墳。
全長91mの長崎県最大の前方後円版。
美しい。



兵瀬(ひょうぜ)古墳。
場所がわからなくて、最初諦めたが、ランチの時にもらった地図で、わかって再訪。
直径54mの円墳だが、全体像は、わからない。
石室は、立派。



興神社。
一宮としている情報も,あるので、御朱印を頂こうとと思ったら、御朱印の場所が分からず。
電話したら、わかって、こちらも再訪してゲットできた。
興は国府の意味らしい。
近年の研究では、天手長男神社が当社であるという説が有力という。
それで、一宮が二社になったのか?



ここが、一宮の天手長男(あめのたがなお)神社。
ここも場所がわからなくて、電話してやっと辿り着いた。
ナビが悪いのか、情報不足なのか。
ナビで行くと、最初天手長男神社跡に連れて行かれて、石があるだけで、唖然とさせられた。
神功皇后の三韓征伐ゆかりの神社。

三韓征伐に際し、御手長(おたなが)という旗竿に武内宿禰が持っていた紅白2本の旗をつけ上げ下げして敵を翻弄し、最後にこの旗を沖ノ島に立てたことから、この社名があるという。



住吉神社は、厳原の八幡宮に次ぐ大きな神社だった。
壱岐神楽も行われているようだ。



次に訪れたのが、猿岩。
ちゃんと毛が,生えている?
高さ45mの玄武岩だそうだ。



その近くにある黒崎砲台跡。
昨日の豊砲台と、規模も造りもそっくり。
こちらは、戦艦土佐の主砲が設置されたという。
砲弾と模型が展示されていたが、大和の砲弾の大きさとほとんど変わらない。



ちょっと足を伸ばして、鬼の足跡。
でかい!



その先の景色も見事。
今日見た景色の中で、一番だった。
手前は、芝生が広がっていて、ゴルフ練習禁止になっている?



島の北に向かい、本宮八幡神社。
鯨組で栄えた勝本を象徴する神社。



聖母宮(しょうもぐう)は、神功皇后を、祀る。
周りの石垣は、加藤清正の寄進。



新城神社。
文永の役の際、日本軍が全滅した新城古戦場近くで、大将だった平影隆を祀る。



自刃の地。



文永の役 新城古戦場跡に立つ石碑。
元寇時には、2回とも壱岐で大きな被害が出た。



少弐公園にある少弐資時の墓。
弘安の役でも全滅に近い被害を受けた。



ここにも、天智天皇時代の山城の跡が残る。



壱岐神社。
少弐資時が祭神。



左京鼻。
島の東部。



ほらほげ地蔵。
満潮時には、海に浸かる。
由来は、はっきりしないが、胸に穴が空いていることから、この名で呼ばれる。
海女の冥福のため、鯨の慰霊のため、疫病退散祈願など、諸説あり。



小島神社。
東洋のモンサンミッシェルと言うが……
1日2回の干潮時しか参拝できない。



夜は、困った。
ほとんど郷ノ裏の街は真っ暗。
と思ったら、ガイドブックに載っていた街の外れにあるステーキ屋が開いてて、壱岐牛の素晴らしいステーキがいただけた。
こういう店が生き残っていくのだろう。



ホテルは、これまた場違いのホテル。
壱岐に何故?と思うが、快適。
コメント
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