今日は、7時発の対馬発壱岐行きのジェットフォイルに乗船。
1時間強で,到着。
何度か乗っているが、時速80kmとは思えない滑らかさ。
対馬と比較して、狭いので、次々と回れる。
全部は、載せられないが、なるべく多く。
最初は、月読神社。
とにかく、神社が多くて、予定よりも端折った。
お寺は、ほとんどない。
京都の月読神社を分霊したという。
月夜見命(つきよみのみこと)、月弓命(つきゆみのみこと)、月読命の三柱を祀る。
国片主神社。少彦名命を祀る。
そして鬼の窟。
この辺りに古墳が集中しており、かつ規模が大きい。
ほとんど石室に入れるが、石室の岩の大きさは、本土の物に引けを取らない。
対馬とは、かなり違う。
対馬は、韓国人の方が多いぐらいだったが、壱岐では、1人も、見かけなかった。
魏志倭人伝でも、その違いが、記述されているが、今も変わらない?
掛木古墳。
綺麗な円墳だ。
双六古墳。
全長91mの長崎県最大の前方後円版。
美しい。
兵瀬(ひょうぜ)古墳。
場所がわからなくて、最初諦めたが、ランチの時にもらった地図で、わかって再訪。
直径54mの円墳だが、全体像は、わからない。
石室は、立派。
興神社。
一宮としている情報も,あるので、御朱印を頂こうとと思ったら、御朱印の場所が分からず。
電話したら、わかって、こちらも再訪してゲットできた。
興は国府の意味らしい。
近年の研究では、天手長男神社が当社であるという説が有力という。
それで、一宮が二社になったのか?
ここが、一宮の天手長男(あめのたがなお)神社。
ここも場所がわからなくて、電話してやっと辿り着いた。
ナビが悪いのか、情報不足なのか。
ナビで行くと、最初天手長男神社跡に連れて行かれて、石があるだけで、唖然とさせられた。
神功皇后の三韓征伐ゆかりの神社。
三韓征伐に際し、御手長(おたなが)という旗竿に武内宿禰が持っていた紅白2本の旗をつけ上げ下げして敵を翻弄し、最後にこの旗を沖ノ島に立てたことから、この社名があるという。
住吉神社は、厳原の八幡宮に次ぐ大きな神社だった。
壱岐神楽も行われているようだ。
次に訪れたのが、猿岩。
ちゃんと毛が,生えている?
高さ45mの玄武岩だそうだ。
その近くにある黒崎砲台跡。
昨日の豊砲台と、規模も造りもそっくり。
こちらは、戦艦土佐の主砲が設置されたという。
砲弾と模型が展示されていたが、大和の砲弾の大きさとほとんど変わらない。
ちょっと足を伸ばして、鬼の足跡。
でかい!
その先の景色も見事。
今日見た景色の中で、一番だった。
手前は、芝生が広がっていて、ゴルフ練習禁止になっている?
島の北に向かい、本宮八幡神社。
鯨組で栄えた勝本を象徴する神社。
聖母宮(しょうもぐう)は、神功皇后を、祀る。
周りの石垣は、加藤清正の寄進。
新城神社。
文永の役の際、日本軍が全滅した新城古戦場近くで、大将だった平影隆を祀る。
自刃の地。
文永の役 新城古戦場跡に立つ石碑。
元寇時には、2回とも壱岐で大きな被害が出た。
少弐公園にある少弐資時の墓。
弘安の役でも全滅に近い被害を受けた。
ここにも、天智天皇時代の山城の跡が残る。
壱岐神社。
少弐資時が祭神。
左京鼻。
島の東部。
ほらほげ地蔵。
満潮時には、海に浸かる。
由来は、はっきりしないが、胸に穴が空いていることから、この名で呼ばれる。
海女の冥福のため、鯨の慰霊のため、疫病退散祈願など、諸説あり。
小島神社。
東洋のモンサンミッシェルと言うが……
1日2回の干潮時しか参拝できない。
夜は、困った。
ほとんど郷ノ裏の街は真っ暗。
と思ったら、ガイドブックに載っていた街の外れにあるステーキ屋が開いてて、壱岐牛の素晴らしいステーキがいただけた。
こういう店が生き残っていくのだろう。
ホテルは、これまた場違いのホテル。
壱岐に何故?と思うが、快適。