かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

古墳を築く

2023年12月11日 | Books
今日は、今のところ好天だが、在宅。



本書は、本屋で見つけて、古墳を少なからず回っている私としては、即ゲット。

まさに、時代時代の古墳がどのような工法で作られたかを、探る本。
面白かった。
著者は、昨年行った近つ飛鳥博物館で見た大仙古墳の模型を作られた方だそうで、プロ中のプロだ。

古墳は、形も違うし、石室の作り方も違うし、もちろん大きさも様々だし、作られた時代も違うし、当然工法も違うことが想定される。
今回の対馬、壱岐だけでも痛感した。

本書は、工法を中心に記述するので、古墳を作る前の状況はどうだったかの推理から入る。
古墳が作れる平らな場所は、そう多くなく、山、谷など、元の地形や、回りの古墳の状況(向き大きさなど)を考慮し、極めて精巧に作られているという。
かつ、大きな古墳は、30年毎にしか作れず、その合間に、中小規模の古墳が作られていたと想定されるという。
確かに、同時進行で、あんな巨大な古墳を作ることは、不可能だ。

回りの土を掘って、それを、設計図に沿って盛っていたのだろうと想像はするが、それ以外に、いろんな工夫や、努力がないと完成はできなかったとする。
例えば、持った土が崩れないようにするには、どうするか、古墳を覆っていた葺石や、中の石室の石の移動はどうやったのか。
ピラミッドの石をどう運んだのかという疑問に似ているが、とてつもない労力と、技術がなければ、不可能であったと考えられるという。
確かに、例えば、あの石舞台古墳の石を人力でどう運んで来て、どう積み上げたのか。
それだけ考えても、凄い権力がなければ(エジプト王のような)不可能であったことが容易に想像できる。

本書は、近畿の古墳を中心に論じるが、巨大古墳はその他の地にもあり、近畿の技術を使うにしても、巨大な権力が地方にも存在したことが、想像できる。
円筒埴輪が、古墳の回りに並べられていたことが知られているが、その工房が、古墳の回りに設営され、また技術も時代を経るに従い変わっていたことがわかる。
刷毛の使い方にも、傾向があるのだという。

古墳が作られなくなり、その代わり寺院が作られるようになるが、古墳作りの技術が、活用されているという。

古墳ファンは、一読してみては、いかがか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする