かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

逆説の日本史 26 明治激闘編

2024年02月24日 | Books


今日は、素晴らしい天気。
コロナがあって、久しぶりの高校の同窓会だったが、会場が歌舞伎町。
初めて歌舞伎町タワーを見た。
よくここに!



いつも文庫化されてから読んでいる逆説の日本史シリーズ。
今回は、日露戦争編。
いつもながら面白い。
頭の体操にもなる。

まずは、ヒーローに祭り上げられた広瀬中佐。
意図的に作られた神だった。
軍神と言うから凄い成果を上げたかと言うとゼロ。
部下を助けようとして戦死した。
ただ、当時の軍は、これを戦意高揚の材料に使った。

一方、司馬遼太郎は、乃木将軍は無能なリーダーとこきおろしているが、これは、本部の作戦ミスを、現場が救ったもので、とんでもない誤解。
ロシアは、その後乃木将軍の影におびえ続ける。
日露戦争の後のポーツマス条約は、戦勝国としては、非常に残念な内容であると交渉力の弱さを言われるが、とんでもない話で、これは、部数を伸ばしたい新聞媒体の煽り記事に、国民が乗せられてしまった結果。
そのため、日比谷暴動がおき、第二次世界大戦の破滅に繋がったと司馬遼太郎は言うが、これはまさに慧眼。
是々非々の議論を展開。

東郷平八郎の日本海海戦については、小さい頃から、横須賀の戦艦三笠内に、ジオラマ模型があり、叩き込まれていたが、より詳細に当時の状況と、日露双方の思惑に迫る。
本書のハイライトと言える。
12月に対馬に行った際、対馬の真ん中を船が通れるようにするため、人工的に二つの島にしたことを知ったばかりだが、まさにそれらの総合的な作戦と、目の前にバルチック艦隊が現れてからの判断と、ロシアの乃木の影に怯えた判断ミスが、日本の勝利に繋がったストーリーが、実感できる。
対馬や、壱岐で、砲台跡を見たが、これらは、使う機会がなかった。

ところが、見事な交渉をした小村寿太郎が、満州の鉄道をアメリカとともに統治する条約を蹴ったところから、事態は、最悪な方向に走り出す。
これも、司馬史観と一致するところで、誤りを認めないバカトップのため、誤りの上に誤りを重ねていってしまうのは、日本のエリートの悪癖で、その事例は、今も後をたたない。

悪癖でいえば、森鴎外が、脚気が麦食で治るという説を頑固に否定し続けたため、多くの死者を出したということは、初めて知った。
鴎外が習ったことと違うし、論理的に説明ができない迷信と決めつけたことが、原因。
晩年には、ビタミンB欠乏が原因であることが、わかって来ていたにも関わらず、諮問委員会などを作って検討を続けて、軍が認めたのが、鴎外の死後だと言うから恐れ入る。
晩年の小説にも、その言い訳っぽいものがあり、評価は低い。
それほど、東大医学部卒の自負は強かった。
このために亡くなった兵士は、戦死者の内の3割にのぼるとの説もあるそうだ。

一方、諡号についての研究のレベルは、高く、明治、大正の年号には、強い不満を持っていたと言うし、井沢氏は、賛同している。
記紀に出てくる諡号についても、もっと深読みすべきという意見だ。

いつもながら、マスコミの責任は、極めて重いと思う。
特に、戦前戦中派の、我々の親世代の人々にわかって欲しいのだが、それを理解させるのも、マスコミの責任であると思う。
マスコミが世論を作る!

歴史好きの方には、一読をお勧めする。
コメント (2)
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