かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ロックの未来を変えた年、1966年。ビートルズに何が起きたのか。

2024年02月25日 | The Beatles
今日、昨年6月に注文していた車のデリバリーがあった。
1年かかると言われていたのだが、ちょっと早くデリバリー。
それでも8か月。
9年強振りの買い替え。
これで人生最後の買い替えか?
たぶん学生時代以来ちょうど10台目かな。

本当は、今の車にもっと乗りたかったのだけど、昨今の情勢で、乗り換えたいと思ってから、実際乗り換えられるまで、相当の時間がかかる状況になったため、このタイミングになった。
コロナと、米中対立の影響による、半導体不足が痛かった。
デリバリーされても、半導体不足で、鍵は、一つだけ。
もう一つは、6ヶ月後という。
TSMCが熊本生産を始めれば好転するのか。



今日は、雨でゴルフが中止。
昼、ランチだけに行ったら、プレイしたのは、早いスタートだった9組とのこと。
時間ができたので、見るのを諦めていたトークイベントのアーカイブ配信を見た。

先日紹介したビートルズ’66の翻訳者である奥田祐士さんと、藤本さんの対談。
奥田さんは初めてだったが、当然ビートルズにやたら詳しくて、まさにマニア同士の蘊蓄のぶつけ合いになった。
ついていける観客がどれだけいたか。
私も、’66は読んでいたのだけど、何気なくスルーしていた部分が、実は貴重な発見であったりしたことを、再認識した。

まずは、66年前半の空白。
この時期、ユナイテッドアーティスツとの3映画を作るという契約を果たすため、A Talent For Livingという映画撮影が予定されていたのだが内容いまいちでキャンセルになって空白ができた。
この映画、リチャード・コンドンという人の書いた小説が原作で、竹取物語をセクシーにしたような内容だったそうだが、いまいちだったらしい。
因みに、この原作は、後に映画化され、トッドラングレンが、音楽担当で、Up Against It というサントラ盤も出ているそうだ。
どこまでマニアック?
ユナイテッドアーティスツ社との契約履行のための3作目は、結局Let It Beになった。

本書で明らかになったポールのLSD初体験。
今も、66年末と言い張っているが、65年末であることが関係者の証言から明らかになっている。
そして、マリファナでは大したことがなかった作品への影響が、LSDで変わったことは明らか。

Yellow Submarineは、ポールの作品と言われていたが、冒頭部は、ジョンであり、実質共作であったことも明らかになった。
当時、ポールの家が、スタジオを近かったこともあり、ポールが声をかけないと、なかなか4人が集まらない状況になっていた。
ただ、言い出しっぺや、指導役がポールだが、そこで作品をモノにするのは、ジョンというケースも多く、ポールが恵まれなかったところもある。
例えばリボルバーはポールが主導したものの、時代を超えた作品は、ジョンとジョージの作品だ。
66年後半になると、ジョージは、ほとんどビートルズから離れ、インドに夢中。
SGTにも、よく見るとほとんど参加していない。

そして、問題のジョンのキリスト教発言。
インタビューアーのモーリーン・クリーブは、4人と仲が良く、貴重なインタビューを行ったが、そのインタビュ―をトニーバーローがアメリカのデイトブックという雑誌の編集長だったアート・アンガーに売り込み、彼が、DJに紹介して話が大きくなってしまった。
4人は、もちろん、エプスタインも全く予期せぬ広がりで、これは、エプスタインの大失策。
マニラでも騒動も、ビートルズサイドのコミュニケーションミスが原因で、エプスタインの責任と言える。
エプスタインは、この時点で、限界に来ていた。

ちなみに火を広げたアート・アンガーと4人は仲がよく、最後のアメリカ公演でもすべて随行。
さらにちなみに、お兄さんは、LSDの研究者。
モーリーン・クリーブも同様で、ジョンの浮気相手という噂もあったが、実際は、カメラマンのロバート・フリーマンの奥さんが、相手で、そのせいもあってか、ロバート・フリーマンは、リボルバー以降、出番が激減する。

映画と、コンサートがエプスタインの存在価値だったが、スタジオ録音中心になると出番がない。
そういった意味でも、年初の映画作成がキャンセルになったことはグループの将来に大きな影響を与えた。
ホランド・ドジャーとの共作のアイデアがあったが、流れたという。
これも、結果としては、大きい。

いろんな偶然が重なって、リボルバー、SGTが生まれたことになり、IF は、禁物だが、その偶然がなかったら、ビートルズが、これまで歴史に名を残したかは、わからない。
そもそもロックがこんなに世の中を席巻するようになるかすら、当時は、思われていなかった。
だから、リンゴは、俳優や、造園業に興味を持ったり、ジョンも映画に出たりしていた。

本書の副題に4人がアイドルを辞めた年としたところ、原作者からクレームがあったそうで、アイドルというと、日本ではポップスターだが、アメリカでは偶像というニュアンスが強いそうだ。
日本でのアイドルの意味を説明して、納得をいただいたという。
偶像としたら、今もずっと偶像だ。

最後は、Now And Thenの話。
藤本さんは、解散後出た3曲の内一番気に入っているという。
奥田さんは、それほどでもないが、初めてレコードに付属している訳詞を担当したことで、印象深いという。

アンソロジープロジェクトの際、ジョンを除いた3人により、All For Loveという新曲が作られたということで、そのリリースも期待したいとのこと。
アンソロジ―プロジェクトの時の映像も多くあるらしく、ピータージャクソンが、1966年のハンブルグ公演の映像も購入したという情報もあり、ライブ・アーカイブに期待とのこと。
楽しみ。



ということで、ネタの尽きないビートルズトークを満喫。
コメント
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