自動車には、無頓着な私だが、シカゴ駐在時代は、車に頼らざるを得ない暮らしだった。乗っていたのは、FORDとVWだったが、シカゴの厳しい気候に合った車とは必ずしも言えなかった(たまたま故障がやたら多かった?)。シカゴの寒い気候に合うのは、やはり、北欧育ちのVOLVOとSAAB。
ところが、シンガポールに行くと、これらはとんでもない車となり(暑さと湿気で、トラブル続き)、日本車が人気NO1。
日本では、VOLVOは大きすぎるし、重たすぎるし、当然燃費も悪い(たぶん)。でも根強い人気はある。
今朝新聞を開いたら、格好のいいチラシがあった。VOLVOのチラシなのだが、中国の四聖獣を背景にして、ずっと洗練されたVOLVOの車達が並んでいる。昔の戦車みたいなVOLVOの面影はない。
できれば、日本のメーカーにやってもらいたかったCMだが、カッコイイ。
昨今の飛鳥ブームで、この四聖獣は、結構知られるところになったし、横浜の中華街は、この四方を守る神々の門に守られている。
因みに、このチラシの説明を載せておくと、
青龍:東方を守護する聖獣。文字通り、青き龍。
白虎:西方を守護する白く輝く毛をまとった聖獣。
朱雀:南方を守護する全身に朱を帯びた聖獣。
玄武;北方を守護する聖獣。「玄」は黒を意味する。
この、車と神話のコンビネーションはいいと、勝手に思った。
一方、一般納税者は、よくわからない追徴課税を迫られるケースが多々あるようだ。小泉さんだったら、このまま放置しなかったと思う。
母子殺害事件で、21人の弁護団が組まれたという。冤罪かもしれない事件ならまだしも、事実関係ははっきりしている。被害者家族の気持ちを、どう考えているのだろう。言葉もない。
検察側も弁護側もどうなってしまっているのだろう。
福井藩の松平春嶽公と橘曙覧(たちばなのあけみ)さんについての話を聴く機会があった。講師は、福井市郷土歴史博物館の角鹿(つのが)尚計(なおかず)氏。経歴から言っても、話の中身から行っても、現代の国学者といってもいい方。おまけに、春嶽公の子孫と、橘さんの子孫もいっしょという150年前に時代スリップしたような一時だった。
正直、このお二人のことは私もあまり知らなかったので、ちょっとご照会すると、松平春嶽公は、越前福井藩の14代藩主(越前福井藩の初代藩主は、徳川秀忠の兄という由緒正しい藩であったが、不幸な事件も重なり、幕末が近い当時、藩の財政は、破綻状態だった)。江戸城内の田安(たやす)徳川家に生まれ、中根雪江(なかねせっこう)に教育を受け、福井藩主となり、当時、破産状態であった藩の財政を、橋本左内、由利公正らの補佐もあり、立て直した。江戸末期には、当初攘夷派で、安政の大獄で、若くして隠遁したが、その後開国派に転じ、明治維新後も、政治家として活躍した。
一方、橘曙覧さんは、福井の同時代の歌人、国学者であったが、身分も低く、高い才能を持ちながら清貧な一生を貫き、江戸から明治に変わる寸前に亡くなった。「貧しくも、心豊かに生きる」を、地でいった人だ。万葉集の時代の橘諸兄の末裔といわれ、後に正岡子規が、源実朝以来の歌人と称えたり、クリントンさんが、米国を訪れた天皇陛下に対する挨拶で、その歌を引用したことでも、知られる。
この話で面白いのは、徳川家の血筋を引く松平のお殿様が、まったく身分も立場も違う橘さんの才能にほれ込み、弟子にしてくれと懇願したが、橘さんは命がけで(お手打ち覚悟)それを拒み、一歌人として、一生を終えていることだ。
その断った時の歌を書いた、短冊が残っている。
花めきて/しばし見ゆるも/すずな園/たぶせの庵(いお)に/さけばなりけり
古文には疎いので、よくはわからないが、要するに、私は田舎でひっそりといるから光っているのだよ、ということかなと思う。
この短冊を送られた春嶽公は怒りもせず、返歌を送り、この短冊も大切に保存したという(今は、福井市郷土歴史博物館に保存されている)。
春嶽公は、橘さんの家(藁屋(わらのや))に、中根雪江の案内で訪れたとも伝えられ、そのあまりの粗末さに驚いたという。
春嶽公は、橘さんが亡くなった後も、慕い続けたという美談である。
橘さんは、独楽吟(どくらくぎん)という歌集で、人気を博する。52首からなる歌集だが、たのしみは~時というパターンの句のみでなっている。
たのしみは/朝起き出でて/昨日まで/無かりし花の/咲ける見る時
たのしみは/機織りたてて/新しき/衣を縫いて/妻が着する時
たのしみは/まれに魚にて/児等皆が/うましうましと/いひて食う時
最初の歌がクリントンさんが天皇皇后両陛下が訪米された時の、スピーチで引用したもので、英語では、
It is a pleasure when rising in the morning I go outside and find a flower that has bloomed that was not there yesterday.
となる。英語だと何やら味気ないが、クリントンさんは、その情景と心情を理解されたのだと思う。その心情、光景は、現代にも通ずるものだ。
春嶽公は、江戸末期に、その穏やかかつ先駆的な発想を(尊王敬慕愛国論)もって、平和な革命を成功に貢献し、明治維新とその後の近代化に大きな力を発揮した。
いい話を聞いた。
昭和30年代生まれの人は、TVの成長と共に育ってきたという感覚が強いと思う。その申し子的な存在が大橋巨泉さんだ。その巨泉さんが、放送の未来について語る会に参加する機会があった。何気なく申し込んだのだが、15倍の抽選に当たったということらしい。巨泉さんの番組は、随分見たし、本も随分読んだが、生の声を聴くのは、初めて。まじめな集まりだったので、巨泉さんも、まじめに、笑いをとりながら、一生懸命話してくれた。
まず、この会で紹介された(ビデオ録画のさわりを使用)巨泉さんのかかわった番組を挙げると、11pm、ゲバゲバ90分、クイズダービー、世界まるごとHow Much、こんなものいらないの5番組。それぞれが、巨泉さんの思い入れの番組だ。最後の一つ(シカゴ駐在時代で見れなかった)を除いて、私も随分熱心に見させていだたいた。
巨泉さんによると、当時に比べ、今はTV番組の商業化が進み、作り手の意見が取り入れられることが少なくなったことが、番組の質の低下につながっているという。下請け任せ、タレントありき、中身は二の次の番組作りが横行している。ドラマ作りでさえ、同じ状況になりつつある。最近のNHK大河ドラマを学芸会と称されていた。
TV局内で、編成、営業部門の力が増し、製作部門の力が弱すぎるという。あるあるの捏造問題も、そんな中起こった。昔は、誇張はあったが、捏造はなかった。視聴率を重視するあまり、視聴質が低下した。悪貨が良貨を駆逐するという例えが、ぴったり当てはまるケースだ。
私も同感で、今のバラエティ番組など見る気がしない。見るのは、NHKの3チャンや、ドキュメンタリー物がほとんどだ。タレントも消耗品化が進み、使う方も、使われる方も、それが分かっている。
バラエティ番組について言えば、1970年代までは、編集がほとんどなかったため、作る側も、タレントも、緊張感あふれる中で、生放送感覚で番組作りをしていたが、今は、編集前提の製作で(VTR編集技術の進歩)、それも、質の低下につながっているという。
ということで、巨泉さんは、放送の未来には、かなりネガティブで、インターネット、CATVで放送されている専門チャンネル(ニュース、天気、スポーツ、ゴルフ等)に、主役の座を奪われていくだろうというお考え。海外では、既にそういう世界になっているが、日本の視聴者はおとなしくて、番組の質の低下が続いても、まだ反乱を起こさず、TV局が生きながらえることができている。海外では、バラエティ番組や、録画のスポーツ中継、途中で、終わる野球中継、占いの番組などありえないが、今の日本のシステムでは、それでもまだOKだ。このシステムも、編成、営業中心の、TV局の体制によるところが大きい。
巨泉さんは、政治に足を突っ込んだ経験もあり、その話も出たが、外国に比べ、日本の庶民の従順さは、驚くべきものがあるという。それは、和を重んじる文化によるものかもしれないが、WWⅡに突入した原因にもなっており、現在の風潮も、その流れの中にあると感じられている。
反小泉のためと思って、民主党で当選してみたら、民主党内の考え方の不統一は、予想以上だったらしい。
11pmでは、慰安婦問題にも、正面から取り組み、まだ、50歳代だった元慰安婦に対するインタビューの記憶が鮮明に残っているという。残念ながら、そのテープは、残っていない。そのインタビューを見れば、狭義の慰安婦はいなかったという発言は、絶対できないのではないかとのご意見だった。
TVの歴史を担ってきた巨人の生の話が聞けて、有意義だった。我々大衆ではなく、政治家や、放送局の経営陣にこの話を聞いてもらいたかった。
リタイヤした人のたわごとではなく、見て見ぬ振りをしている方々への、貴重なメッセージだ。
巨泉さんの生き様の大きなポイントに、セミリタイアメントがある。50歳でやめるつもりが、まるごとHow Much が面白くてやめられなくなり、セミリタイアメントが遅れてしまったそうだ。これも、自分の思ったとおり、率直に生きる巨泉さんらしい。勿論この生き方が、誤解、反感を招いている面もあるのだが。
インターネットについては、世界各国のニュースがいつでもどこでも入手でき、メールで、時差を気にせずコミュニケーションがとれるツールになっているという点で、欠かせないくなっているが、現在新聞とのバッティングがちょっと深刻になりつつある段階で、TVとの融合については、まだ先というお考え(日本では、まだ、インターネットよりTVを見ている時間の方が圧倒的に長く、広告収入も、TVの方が圧倒的)。TV番組の質の低下が続くと、この世界の変化も速まるかもしれない。
それにしても、巨泉さんが製作にかかわった番組の記録(特に初期のもの)が、ほとんど残っていないのは残念だ(ゲバゲバも、巨泉さんの出る司会部分は、生放送だったとのこと)。硬派、軟派の題材を、同じ番組内で、あれだけ見事に両立させたことは、後にも先にもないのではないか。
思えば、土日もなんだかんだでずっとスケジュールがぎっしり。その疲れが、この良すぎる天気の下で、一気に出たようだ。適度の休息が、次の飛躍を生むと考えることにしよう。幸か不幸か、しばらくゴルフの予定はない。
五木寛之さんの林住期という本を読んだ。変な題名と思われる方もいるだろうが、仏教では、学生期(がくしょうき)、家住期(かじゅうき)、林住期(りんじゅうき)、遊行期(ゆぎょうき)と、人生を25年毎に、4つの時期に区切る考え方がある。つまり、林住期は、50歳から75歳の25年を言う。
五木さんは、この林住期が、人生の黄金期であると説く。そういえば、アメリカの理想のリタイヤメントの歳は、52歳ぐらいであるし、大橋巨泉さんも50歳ぐらいで、セミリタイヤした。
仕事をすることは、もちろん苦しみだけではなかろうが、必ずしもいつも楽しいわけでもなく、やはり生きるために必要だから仕事をしているのが、大方、実態だろう。
林住期は、必要だからではなく、興味によって何事かをする時期だという。
確かに、健康な内に、他のことは考えず、自分の好きなことのみをやれる人生はすばらしい。ただ、一般人は、先立つものをどうにかしないと、清貧な生活を送らざるを得ない。
五木さんの気持ちは、十分理解できるが、自分に当てはめようとすると、この世の中、なかなか絶てない家族、友人、親戚、組織などのしがらみが多いのも事実。
ただ、50歳ぐらいのタイミングで、その後の25年間をどう生きるかを考えることは、大切だと思う。50歳から、60歳の10年間を、60歳以降の15年間の助走期間と捉えるのもよい。
本の最後の部分が、すでに読んだ21世紀仏教への旅の内容とだぶっているのは、残念(たぶんこちらの本の方が先に出ている)。字が大きいのは、助かるが、もうちょっと軽装にして、価格を安くしてもいいかなとは思う。2時間足らずで読める本だ。