かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

高松塚古墳は守れるか

2007年05月21日 | Books
NHK Books から、高松塚古墳は守れるかという本が出ている。
NHK解説委員の毛利さんという方が、高松塚発見から、様々な議論の末、現地保存に決まった経緯と、結局カビとの戦いに負け、解体修理に至った経緯が、客観的に、淡々と書かれている。

我々から見ると、何であそこまで痛んでしまたんだろうという感想を持つわけだが、本書を読むと、一旦発掘されてしまった壁画の保存というのは極めて難しいことがわかる。一方、ここまで、自体が悪化してしまった背景に、文化財保存に関する縦割り組織があるという。よく言われる話だ。ただ、本書によれば、白虎の痛みは、1980年代初頭にかなり進んでいたらしい。

元々、古墳内の湿度は、ほぼ100%だったそうで、今回のカビの原因は、発掘後のカビの菌の侵入と、温度の変化にあるという。現地保存が決まってから、1億円をかけた空調装置が導入され、国民は、これで保存されると安心してしまったが、実は、これも、まったく検証されていない方法だった。ここに、大きな誤りと、間違いの始まりがある。このシステムが、まだ検証されていないものだと皆が知っていれば、その後、細かくフォローアップし、ここまで、痛まない内に、次の対策を考えるきっかけがあっただろう。

ヨーロッパのフレスコ画と構造が似ているらしいが、やはり微妙に材質が違っており、気候も異なることから、その保存方法をそのまま真似ることはできなかった。また、このような文化財は、元の場所に保存されて始めて価値があるという意見も、日本側に多かったようだ。
私の見た陝西省の博物館で展示されている壁画や、2005年春の東京のシルクロード展で展示された壁画の話も出てくるが、この保存、展示の仕方にも、様々な議論(異論)があることを知った。

そういえば、インドのガンダーラ石窟の壁画は、かなり乱暴に公開されている。イギリスの当初の乱暴な保存法(ワックスのようなもので、表面を塗りたくった)のため、保存はされているが、色が、緑がかっている。敦煌での壁画はがし、トルファンのベゼクリク石窟の壁画剥ぎ取り等、いろんな現場を目の当たりにした。当時の探検家達が持ち帰りたかったということもあろうが、この方法が、壁画の保存にはベストと思ったということもあるだろう。確かに、残されたものが、破壊されてしまったケースもある。ミャンマーでは、素人画家たちが、貴重な寺院内の壁画に、ペンキで上塗りをしていた。言葉もない。

この本は、今回の解体前に書かれたものだが、その後高松塚古墳の解体は、成功し、今後の焦点は、今後、いかに修復し、保存していくかに移っている。少しでも、往時の鮮やかさを取り戻すことを祈りたい。

この本を読んで言えるのは、せっかく見つかった人類の宝に対し、もっと謙虚に取り組むべきだったということだろう。
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ハンカチ王子と井上陽水(あきみ)さん

2007年05月20日 | Music


早明戦って、そんなに人気カードだっけ?ご覧の通りの大人気。それも、ハンカチ王子のおかげ。
バックネット裏で、のんびり見ようと思ったら、売り切れで、ご覧の通りの、遠距離観戦(内野席とは名ばかりの、ほとんど外野席)となった。
でも、六大学の人気復活と、ハンカチ王子の安定感には、脱帽。ピンチでも、全然動じない(ように見える)。
ちょっと近づくと、この程度までは、見えるのだが。
六大学を見に行ったのも、20数年振り。



そして、夜は、お待ちかねの井上陽水さん(本名”あきみ”、芸名”ようすい”)のコンサート。神奈川県民ホールで、もちろん超満員だった。私にとっては、昨年6月の、パシフィコ横浜でのチケットを取り損ねたリターンマッチコンサートでもあった。
恥ずかしながら生まれて初めての陽水さんのコンサートだったが、本当に、夢のような楽しいコンサートだった。”人生が二度あれば”や、”夢の中”へなど、感涙もの。

まず、驚いたのが、普通にインターネットで、チケットをGETしたのに、一番前の列の、中央から、5番目ぐらい(ステージに向かって)右の席。陽水さんから、5mぐらい。いつものサングラスで、視線は確認できないものの、陽水さんは、(陽水さんから見て)左下方を見る癖がおありになるようで、私のために、コンサートをしてくれているような感じだった。
ただし、”氷の世界”のあとで、ブルース・ハープを投げてくれたのは、私の2つぐらい後ろの席の人がGET。私の頭の真上を飛んでいった(投げるのを知っていれば、ジャンプしてGETしたのに)。アンコールが終わって、去り際に投げたギターピックは、私の4人右の最前列の人がGETしていた。

コンサートは、古い曲中心とのMCだったが、陽水さんの古い曲の定義は、昨日以前に作った曲全てのことということで、”愛”から”MAKE UP SHADOW”まで、歌いまくってくれた。ヒットアルバムから、2-3曲づつという感じ。コンサート毎に、相当曲を入れ替えているらしい。
最初は、アコギのみ(陽水さんと、もう一本)でスタート、途中から、キーボードが入り、中盤以降は、バックバンドが入ってのコンサートだった。

MCは、ほとんどアドリブだったが、結構しゃべった方なのだろう。しゃべらないといけないという強迫観念にとらわれているそうだ。
”愛”は、流石に、やや臭い歌かなと昔から思っていたが、アンアンかなんかの作詞コンテストに殆ど素人時代に応募した曲なのだそうだ。”いっそセレナーデ”は、つまんない曲と思って捨てようとしたら、スタッフがシングルで出すべきと言い張り、大ヒットとなった。
人生経験豊富で、つねにミュージッシャンとして最前線で活躍されている陽水さんだから、本気でしゃべったら、すごいネタがあるのだろう。
アンコールでの”アジアの純真”、”渚にまつわるエトセトラ”では、歌詞に”YOKOHAMA”を入れていたけど、大興奮状態の中、どれだけの人が気づいたか。
アンコールの最後の曲は、”少年時代”で、しっとりと締めた。

とにかくかぶりつき状態で、マイクをはずした声も聞こえる状況で、超満足の、本当に楽しいコンサートだった。陽水さんのコンサートに行ったら、絶対音楽が好きになる。陽水さん以下、メンバー全員が、歌が好きでしょうがないという感じ。

どっかにしまったギターを探してこようか。
前にも書いたと思うけど、ギターの覚え始めの頃の題材は、陽水さんの曲だった。
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Rolling Stone 日本版

2007年05月19日 | Music

今日は、(朝~昼)&(夜)。体力的には、ややきつくなってきたが、やはり、40年振りぐらいの再会で、だんだん記憶が蘇ってきて、今の姿と、40年前のイメージが合体する感覚は、なかなか得がたいものだ。

Rolling Stone 日本語版を買った。日本版3号とあるが、今まで、日本版は、なかったんだっけ?JLの、ビートルズ後期の時期のインタビューをまとめた小冊子が、おまけでついている。これをぱらぱらめくってみると、やはり同じような感覚にとらわれる。
思いつきで、ぺらぺらしゃべっていただけなのだろうが、40年後読み直すと、高度なトピックを、わかりやすいメッセージに置き換えて送っている。亡くなって4半世紀以上経っても、人気が衰えない理由が、よくわかる。
そのほかにも、ポスターやら、ステッカーやら、おまけもたくさんついていて、リーズナブルな値段。マニアックな内容なのに。

日本の雑誌が、結構廃刊になっているのは、熱しやすく、冷めやすい日本人の性格によるところが多いのかもしれない。

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帝蚕倉庫

2007年05月18日 | Yokohama ( Japan )
愛知県で、また、拳銃を持った人物が、事件を起こした。
拳銃がいかにたくさん流通しているのか、そら恐ろしくなる。拳銃の取り締まりがまず重要だ。
ただ、今回の事件が起こってからの警察の対応については、(素人の私のからさえ)お粗末としか思えないことが2つある。

1、傷ついた警官の、空からの放送を許したこと→犯人が見ている可能性があるメディアで、現場の状況を教えるなど、常識では考えられない(生では放送していなかったのかな?)。
2、救出に向かった警察官が殺されてしまったこと→防弾チョッキを着ていたとは思うが、あまりにもお粗末。近づいたら殺すぞと言われて、近づいて殺されてしまった。本人はもちろん、ご家族の方も、納得できないだろう。

今、犯人が、捕まったとのニュースが流れた。正直、むなしさだけが残る事件だ。



昨日に続いて、横浜の倉庫シリーズ。
帝蚕倉庫は、昨日の東西上屋倉庫以上に有名だろう。帝蚕倉庫の文字も目立つ(写真では、文字は見えないが)。赤レンガ倉庫に似た佇まいもさることながら、戦前、日本の貴重な外貨獲得源であった生糸の貿易拠点だったということで、歴史的意義も高い。
1923年(関東大震災後)に建てられたもので、ここに日本の生糸が集積され、輸出された。いわば、日本のシルクロードの終着点だ。

この建物は、現在、森ビルが保有し、高層ビルに生まれ変わる予定。
近代的な高層ビルは、みなとみらい地区に集めて(写真の背景に、みなとみらい地区の高層ビルが見える)、昔からのこの地区の建物は、日本の近代化の証(あかし)として、大切にしたいようにも思うのだが、勝手なことを言っていてもしょうがない。

PS
今日、当ブログのカウンターが、H/Pのカウンターを突破。ありがとうございます。
とはいっても、H/Pの更新が全然出来ていない中、当たり前だけど。
H/Pは、だんだんプロの世界になって、個人は、ブログに向かうのかな。
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東西上屋(うわや)倉庫

2007年05月17日 | Yokohama ( Japan )


横浜の歴史的建造物は、これまでも、多く取り上げてきた。それらは、なるほどと思わせる佇まいである。
この東西上屋倉庫も、ひじょうに目立つところ(大桟橋の近く)にあるのだが、倉庫という日陰者的存在で、あまり注目されることがなかったように思う。
しかし、2009年の開港150周年を控えて、再開発で取り壊されることとなると、にわかに脚光を浴びる。
横浜の港近くには、当然保税倉庫が必要で、その代表格が、この東西上屋倉庫なのだ。戦後の日本の復興を支えたといっていい。ということで、横浜の港を訪れた際は、是非、この日陰者の倉庫にも目を向けて欲しい。もうすぐその使命を終える。

そういえば、東京の日比谷通りの三信ビルも、建て替えられるらしい。あちらはもっと風格があるが、これも無くなってしまうとなるとさびしい。景気が悪くないのは、いいことなのだが、複雑な気持ち。
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