ドナサマーさんが、亡くなった。ホイットニーさんといい、ドナさんといい、若い?ころ、流行していたミュージッシャンが立て続けに亡くなった。ホイットニーさんは、映画でヒットしたけど、歌手としては、ドナさんと、どっちが流行ったのかな?

岩波新書の日本古代史シリーズの第4巻。
奈良時代を中心とした話。実際は、大宝元年(701)ぐらいからの話となる。大宝は、実質的に初めて使われた年号だ。それまでは、干支で年を表した。
この時代からは、比較的にリアルに記録が残されている。続日本紀は、記録として極めて優れているのだそうだ。これまでは、推理小説的な面白さとすれば、ここからは、歴史的な面白さを追及するステージに入ったと言えようか。
当時は、中国の制度をそのまま日本に導入していた時期だが、その一つに、律令がある。有名なのが、大宝律令だ。律令を国家を治める基本に置いた。これが、なかなか凄い。何にもなかったところに、こんな制度を入れて、いきなり運用しようとしたのだから、凄いエネルギーがかかったろう。今読んでも、なかなか面白い。
官僚制も整ってくる。五位以上が、貴族とされたが、最下の位階から、貴族寸前の正六位上まで15階あり、毎年「中上(9段階評価で4番目)」の評価で、20年かかるという。しかし、木簡の研究から、中上の評価はなかなかもらえず、今は、30年~40年かかったのではないかと考えられているという。貴族の子弟は、末端からスタートする必要はない。今の昇進制度に似ているではないか?
今話題の女帝の話も面白い。皇位継承の方法については、まだ定まっていない時期だが、女帝が生まれたのもこのころ。皇位継承が円滑に運びそうもない時に、女帝が中継ぎに立てられる慣例があったという。当初は、天皇の后が立てられたというが。皇位継承問題を研究する際に、是非、皇位継承の歴史をよく研究した上で、議論してもらいたいものだ。
継承の方法は、グローバルスタンダードなどなく、日本の皇室独自のものである。
有名な和同開珎もこの時期だが、なかなか流通しなかった。蓄銭叙位令など、工夫もしたが。結局、調や、雑徭を銭で代納することを認めた。これにより、平城京造営の予算の問題を片付けたという。まさに、日本事始めなのである。
この時期は、天平時代とよく言われるが、実際は、天平宝字、天平神護など、四字年号が多かったそうだ。武則天の影響だ。その他、唐に追いつけ追いつけの時代だった。陸奥で、金が見つかったのもこのころだ。このように、造都、造寺、造仏ができたのも、このころ天災が少なかったためという。平安に入り、たいへんな天災が続くことになる。仙台市の大津波(869年)の記載もあるが、3.11後に書かれたものかぎりぎりだ(本書は、昨年5月発行)。
まさに日本国家の枠組みができた時期であった。日本国の版図、その区分方法、法律、戸籍、税金、通貨。この100年足らずの間にだ。
明日から、ちょっと小旅行予定。

岩波新書の日本古代史シリーズの第4巻。
奈良時代を中心とした話。実際は、大宝元年(701)ぐらいからの話となる。大宝は、実質的に初めて使われた年号だ。それまでは、干支で年を表した。
この時代からは、比較的にリアルに記録が残されている。続日本紀は、記録として極めて優れているのだそうだ。これまでは、推理小説的な面白さとすれば、ここからは、歴史的な面白さを追及するステージに入ったと言えようか。
当時は、中国の制度をそのまま日本に導入していた時期だが、その一つに、律令がある。有名なのが、大宝律令だ。律令を国家を治める基本に置いた。これが、なかなか凄い。何にもなかったところに、こんな制度を入れて、いきなり運用しようとしたのだから、凄いエネルギーがかかったろう。今読んでも、なかなか面白い。
官僚制も整ってくる。五位以上が、貴族とされたが、最下の位階から、貴族寸前の正六位上まで15階あり、毎年「中上(9段階評価で4番目)」の評価で、20年かかるという。しかし、木簡の研究から、中上の評価はなかなかもらえず、今は、30年~40年かかったのではないかと考えられているという。貴族の子弟は、末端からスタートする必要はない。今の昇進制度に似ているではないか?
今話題の女帝の話も面白い。皇位継承の方法については、まだ定まっていない時期だが、女帝が生まれたのもこのころ。皇位継承が円滑に運びそうもない時に、女帝が中継ぎに立てられる慣例があったという。当初は、天皇の后が立てられたというが。皇位継承問題を研究する際に、是非、皇位継承の歴史をよく研究した上で、議論してもらいたいものだ。
継承の方法は、グローバルスタンダードなどなく、日本の皇室独自のものである。
有名な和同開珎もこの時期だが、なかなか流通しなかった。蓄銭叙位令など、工夫もしたが。結局、調や、雑徭を銭で代納することを認めた。これにより、平城京造営の予算の問題を片付けたという。まさに、日本事始めなのである。
この時期は、天平時代とよく言われるが、実際は、天平宝字、天平神護など、四字年号が多かったそうだ。武則天の影響だ。その他、唐に追いつけ追いつけの時代だった。陸奥で、金が見つかったのもこのころだ。このように、造都、造寺、造仏ができたのも、このころ天災が少なかったためという。平安に入り、たいへんな天災が続くことになる。仙台市の大津波(869年)の記載もあるが、3.11後に書かれたものかぎりぎりだ(本書は、昨年5月発行)。
まさに日本国家の枠組みができた時期であった。日本国の版図、その区分方法、法律、戸籍、税金、通貨。この100年足らずの間にだ。
明日から、ちょっと小旅行予定。