今日は、流石に暑かった。
今日、ゴルフで流石に暑かったので、氷嚢をゲット。
明日は大丈夫か?
今度は、Cyndi Lauperさんのサインをゲット。
ちょと小さいが、ハートマーク付きで、しっかりとされている。
1980年代のものと思われる。
Cyndiさんは、1953年生まれだから、30歳代の頃のものか。
ソロデビューが1983年だから、デビュー間もない頃?
1984年を皮切りに何度か、来日しているが、まだコンサートには行けていない。
日本シンパとしても有名で、モノマネ歌番組などにも出演していたっけ。
NYで、日本食レストランでバイトしていたことが、きっかけという。
裏は、どこかのクラブのチラシのようだ。
価格が、ポンド建てなので、イギリスであることがわかる。
もうちょっと情報量が多ければ、場所や、日時が確定できるのだが。
次回来日してくれた時は、コンサートにも行ってみよう。
ディランから手紙が届いた?
申し込んでいたサインが当たったかと期待したが、歌詞集の差し替え版だった。
元々、ほとんど事前情報がない中でのライナーノートを急ぎ作成したと聞いていたので、さもありなん。
関係者には、お疲れ様といいたい。
サインは、当たらないだろうけど。
本書は、本屋で見つけた。
こんな研究が、こんなに深く進んでいるとは知らなかった。
漢字が象形文字から来ていることは誰でも知っていると思うが、その細かい経緯は、たぶん誰も知らない。
本書を読むと、研究者の間でも、隷書以降は、かなりわかっているものも、その前の経緯は、かなり見解が異なっていることがわかる。
若手である著者が、自説を、滔々と述べている本。
私は、素人だから素晴らしいと思うけど、専門家がどう本書を読むかはわからない。
それほど、自説に自信満々の本だ。
まず、この訳の分からない象形文字をフォントにしていることに拍手。
どうやって作ったかわからないが、こう書いていただくと、リアルさが違う。
そして、その変遷を、自説他説を交えながら、ビジュアルと、言葉で説明してくれる。
著者は、どちらかというと、象形を尊重するタイプ。
学者によっては、発音や、意味を重視するタイプも多いらしい。
発音も、まったくの門外漢なるも、結構重要な要素のようだ。
また時代時代の、文字の使われ方、文字を使っていた人々の生活様式も重要なポイントだ。
日本人は、漢字のおかげで、漢字輸入以前の日本語を知ることができている。
漢字がかなり確立した段階で、輸入したことになり、読み方もかなりはっきりしている(呉音→漢音だが、中国での読み方を基本的には、踏襲している)。
古代の中国語は、漢字もさまよい、発音も定かではない。
ここにも日本のラッキーを見た。
Del Shannonのサインをゲット。
1934年、ミシシッピ州、グランドラピッズ生まれ
なんといっても悲しき街角(1961年)が有名だが、デビューは、1958年とのこと。
1963年にイギリスに上陸し、ビートルズと出会う。
From Me To Youをカバーし、全米77位を記録。
レノン=マッカートニーの作品としては、初めて全米TOP100となった。
Peter & Gordonにも曲を提供。
しかし、イギリスに進出したことにより、人気低迷という皮肉な結果となった。
その後、プロデューサーとしての仕事が多くなる。
その後、トム・ペティのツアーにゲスト参加するなど活動を続け、来日もした。
トラベリング・ウィルベリーズに、ロイ・オービソンの後継として参加する予定だったが、猟銃自殺を遂げ、実現しなかった。まだ55歳。
珍品ゲットというところか。
暑い日が続く。
存在するだけで、消耗する。
ポールのアーカイブシリーズは、何作目になるだろうか。
一応全部揃えているはずだが、今回のもまたヘビー。
Flaming Pie。
出た当時は、個人的に多忙を極めていたころで、全く見向きもしなかったのだが、一方で、アンソロジープロジェクトや、ポールのその他の活動が活発になっていた時期でもあり、ジョンの死後、静かだった動きが、復活してきた時期と認識する。
たぶん初めて通しで聞いた。
その後、ツアーなどで取り上げられることも少なく、インパクトは、少ないのだが、佳曲が多い。
ピュアマッカートニーというポール自身が選んだベスト盤にも、多くの曲が取り上げられていた。
それで、本セットの中で、メイキングとか、PVとか、その他情報がどんどん重ねられるので、さすがポールと言いたくもなってくる。
とにかくサービス精神旺盛。
CDがたくさん入っているのだが、1枚目がリマスター版で、2枚目、3枚目がアンソロジー的な制作過程の音源。
ただ、元々ポールのソロプロジェクトでもあり、制作過程の音源を聞いてもあまり驚きはない(ビートルズの場合、最初の段階と、最終段階で、変化が大きい)。
同じような音を、繰り返し聞かされている感じ。
おまけがやたらに多く、値段がはる原因になっている。
これは、曲ごとの演奏者リストだが、こんな立派なものにする必要は、ない。
楽器の写真のカードなどもたくさん。
ポールの当時のファン誌であるサンドウィッチの復刻盤。
この雑誌は、廃止になり、現在は、WEBでの情報発信になっている。
このFLAMING PIEとい題名の由来を迂闊ながら知らなかった。
先日入手した、マージービート創刊号で、ジョンが、Beatlesのグループ名の由来について、Flaming Pieに乗ってきた男が告げたというジョークから来ているのだそうだ。
Beatlesの名の由来については、諸説あり、アンソロジーでは、映画のセリフから来たということになっているが、ジョンのアイデアというのが本当らしい?
こちらは豪華写真集。
リンダのベジタリアンレシピ付き。
リンダの乳がんが発見された時期と重なり、ひじょうに苦しかった時期となるが、そんなことはおくびにも出さず、制作活動に集中している。
リンダの映像も多いが、ポールと心底楽しみながら本アルバムを制作していることがわかる。
本アルバムに収録されている曲は、1990年代半ばのものから、寸前に完成したものまで、数年に渡って書き溜めていたものだ。
歌詞のオリジナルの複製。
凝りすぎ。
CDの4枚目、5枚目は、ひじょうに面白い。
4枚目は、当時の別プロジェクトの音源で、骸骨のバラードは初めて聞いたが、最初ボブディランかと思った。
その他未発表曲も多く収録されていて、ワイルドなサウンドが楽しめる。
最後は、ウブ・ジュブの1~6だが、これは、当時のポールがDJをしたラジオ番組の音源らしい。
説明書きが全くなく、推測するしかないのだが、WIKIで調べると出てくる。
5枚目は、ポールがアビーロードスタジオにある楽器、設備類を紹介するものだが、これも面白い。
アビーロードスタジオならではの楽器もあるし、その楽器からどのような名曲が生まれたのかも、ポール自身から紹介される。
メロトロンは、今は、シンセサイザーが出て使われていないが、当時は、画期的な楽器だった。
単音しか出せないので、リンダが、片手で演奏していたと言っていたが、本当なのだろうか。
また、オーケストラの音がコンピューターで出せるようになり、ポールのオーケストラ曲もここで作られたそうだ。
4トラック時代の制作技法も説明してくれた。
とにかく原始的だった。
Flaming Pie のイメージの炎。
このパッケージに、CD5枚と、DVD2枚と、歌詞冊子が収納されている。
歌詞冊子では、各曲の紹介が丁寧になされている。
DVDの1枚目は、当時出たIn The World Tonight ビデオのDVD版。
2枚目が、今回新た作られた続編みたいなものだが、合わせて見ても楽しめる。
メイキングや、PVや、音源にもあったアビーロードスタジオの紹介や、当時取り組んでいた絵画の話や、オーケストラ用の曲の話や、サーの称号授与の話や、プロモライブの様子や、インタビュー番組の様子や、ジャケット制作過程の様子や、とにかく興味深い話のてんこ盛り。
リンゴとの共演や、ジェフ・リン、ジョージ・マーティン、ジェフ・エメリックとの制作過程も興味深い。
息子のジェームスの演奏の様子まで出てくる。
ということで、ちょっと高いけど、ビートルズファンには、マストな商品になっているのではないか。
Roberta Flackさんは、1937年、ノースキャロライナ州生まれ。
ソウル歌手のイメージが強いが、親の影響で、ピアノの演奏家からスタート。
その後、クラシック、声楽を学び、その後もピアノ演奏などで、キャリアを積み、30歳代になってからプロデビューした。
愛は面影の中にが、クリントイーストウッドの映画で使用され、大ヒット。
グラミー賞を受賞した。
1972年のことで、私が、洋楽を聴き出した時期に重なる。
そして、やさしく歌って。
これも、グラミー賞を受賞。
二年連続受賞は、あとはU2のみというから驚きだ。
愛のためいきも大ヒット。
スターの座を不動のものとした。
ダニー・ハサウェイとのデュエットアルバムもヒット。
日本の歌手との交流も。
ビートルズ絡みと言えば、なんといっても2012年のLet It Be。
流石の歌唱力!
このサインは、1984年10月22日、Sheffield City Hallでのもの。
あまり見ないサインをゲットできた。
裏のサインは、全然知らないグループだが、Spear of Destiny。
1985年10月6日のメモがある。
Alan St. Chair、Mickey Donnellyの二人のサインが読み取れる。
1983年結成のポストパンクグループ。
まだ活動はしているようだが、流行ったのは、1980年代が中心のよう。