CLASS3103 三十三組

しがない個人ホームページ管理人の日記です。

死刑を考えた

2004-09-15 23:06:14 | 雑感
昨日、自分のホームページの掲示板で
酔っぱらいながらだらだら書いたんだが
なかなかどうして、日記転載して、自分のうつけを晒す機会とサトリ
思わず転載、断じてネタが無いからじゃない
うるさい黙れ、俺は凡庸なのだ、仕方ないじゃないか、うあん

安楽死
馬なんかによく使われる方法で
なんとなく不気味な言葉であります
しかし、安楽死は
ある意味贅沢な逃亡手段であると
最近気付いた次第でもあります

過日、奇しくも
いやそうでもないが
宅間死刑囚の刑が執行された模様
楽なのだろうな
そう思ってしまう

拷問という手段とは何一つ関係しないので
実際言いたいこととはずれてしまうのだが
死刑(あるいは目に見える刑罰)を施したことで
誰かの溜飲がわずかに下がる「かもしれない」
そんな曖昧で微妙なことなんだが
やることやらないことでは

遙かに違う
命の重さなんていう、形而上の話じゃない
そういうのは宗教とか、道徳とか
五月蠅い輩が多いから語るまい

この死刑を執行することによる
治安の整備
これが重要だとおいらは思っている

かつては公開処刑が当たり前だった
罪を犯せば、ああなるのだ
そういう人間の反省を促すために必要だった
だが、人間は狩猟をたしなむ動物だ
それは残虐性を呼び起こすとも言われた

個人的には、もう一説ある
公開処刑という形で
狩猟だったころの残虐性を
たしなめる、たまり貯めて爆発させる前に
息抜きをする
そんな具合にもなるんじゃないか

前時代的だが、今のおいらは、少なくともそう思っている
死は、戒めに扱ってこそだろう
これは集団を統一するためのセレモニーだ
避けては通れないことだ

戦争が続くのは、狩るものが最早
人間の他に見あたらないせいだ
他の動物は既に、組伏したに等しい
ならば、同等以上の力を持つものに挑む
チャレンジという言葉をことさらありがたがる
野蛮なアメリカンを見ていれば、一目瞭然
性根はそんなものだ、農耕民族とて遠き祖先は
その道を通っている、所詮は獣の産まれだ

だから、せめて、死という現象は
壮大な政に使うべきだろう
だって死んだ後には何もない、これは
数百年前に、織田信長が到達した、唯一無二の真理だ

つまるところ
死刑というものは、ここまでおこがましくなった以上
人間が人間を苦しめる、一種の娯楽(不謹慎)
いやさ、余興として
続ける伝統であろう、何時の日かこれを
野蛮と一笑に付す
新たな生命体が、我らの頭上に降臨するまで
まぁ、降臨したら、派手に始めるけどね

戦争をさ