久しぶりに読み直しました
チェーホフの演劇脚本といったらいいのか
小説じゃねぇんだろうなっつう感じで
もうひとつ、これがなんなのかわかっていないのでありますが
桜の園
チェーホフが残した名作のひとつで
ロシア貴族の退廃というか没落というか
そんなところを描いた作品だそうであります
内容は、俺が大好き
ラネーフスカヤ夫人が、手持ちの家である
桜の園を借金の末、競売にかけて売らなくては
いけなくなったというところから始まり、
その家についての、様々な思い出語りと
そこに住まう人々、また、貴族と商人の有り方みたいなものが
次々とでてくるのでありまして
全然裏とって調べてないのでわかりませんが
多分、ロシアが社会主義から開放されるあたりの
なんかそんなことが関係してんじゃねぇかな
その転換期に、惰眠を貪り食った貴族が
居きるすべを持たず堕落していくところが
書かれてんじゃねぇかな
そういうふうに思いました
いつになく、ステキに普通な感想文になっておりますが
なかなかどうして
このラネーフスカヤ夫人という人が
おそらく貴族の典型なのでありましょうが、
借金とか酷いというのに
お金のばら撒きが酷い、浮浪者がうろうろしていて
お金をめぐんでくれと言われたら
ちょうどよい額がないからと
金貨を惜しげも無く与えてしまったり
頼みもしないのに、どこかへ茶など飲みにいくと
たくさん頼んだり、頼まなくても使用人くずれみたいなのにも
茶を馳走したりと
まぁ、多分、そんなところが貴族なのでありましょう
個人的に貴族の暮らしとか、高等遊民という言葉や
階級というか、そんなのが大好きなので
この無駄なダメっぷりがとてもステキ
ただ、ラネーフスカヤ夫人は、そのダメっぷりというか
身持ちの悪さを、常々悔やみつつ
それでもやめられることができない
悲しい、でも、どこかかわいらしい(注:俺の個人的感想)
娘や、また兄のガーエフという人が
あれこれ画策して、なんとかこの桜の園を売らないで済むように
便宜をはかろうとするのだが、どれも物にならない
というか、結局、みんなが貴族なので
ばかげているという具合であります
親戚のおば様から、お金を借りるといって
雀の涙ほどのお金しか借りれなかったり
銀行から借りられるとか、よくわからない話が沸いたりと
なんともはや、貴族はまるでダメだ
と、読者が思うわけでなく
もう一人の登場人物で、革命前には
地べたをはいずる農民、農奴であった
商人のロパーヒンが、そういう貴族ていとした人たちに
愕然としながら、あれこれと事業を
というか桜の園を手持ちにしながら安寧をはかる手段を
教えるのだが、貴族のラネーフスカヤやガーエフからすれば
それは「低俗だ」という一言で片付けられる
貴族のそういう高慢な姿勢もよくわかるが
じゃあ、どうするという案は大したものが出ない
事業家であるロパーヒンは、そこにくさくさしてしまう
結局、競売の日までに打開は見出されず
桜の園は売られることとなるのでありますが
ここで、この桜の園を買ったのは
なんとロパーヒン
ここに、貴族が退廃し農奴であったものが
金と事業によって成りあがるという構図が完成したのであります
と、おそらくそれで
内容を俺はつかめてるだろうと
一人ほくそえんでおるのでしたが、なかなかどうして
貴族的行き方やら、当時の背景やらを勉強すると
この作品の良さがわかるのではないかと
ありていな感想でありますが
チェーホフ読んだよー、みたくしておきます
劇中最後にフィールスという老人執事が
桜の園に忘れ去られてしまい、そこで
死んでしまう描写があるのですが
「一生が過ぎてしまった、まるで生きた覚えがないようだ」
とあるのですが
ヒエラルキーの下層に居た人物は解放後も
その地位で働き、こうつぶやいて死んだあたりに
なんとなく、ステキな古いものが滅びていく様が
あったように思われました
秀逸
チェーホフの演劇脚本といったらいいのか
小説じゃねぇんだろうなっつう感じで
もうひとつ、これがなんなのかわかっていないのでありますが
桜の園
チェーホフが残した名作のひとつで
ロシア貴族の退廃というか没落というか
そんなところを描いた作品だそうであります
内容は、俺が大好き
ラネーフスカヤ夫人が、手持ちの家である
桜の園を借金の末、競売にかけて売らなくては
いけなくなったというところから始まり、
その家についての、様々な思い出語りと
そこに住まう人々、また、貴族と商人の有り方みたいなものが
次々とでてくるのでありまして
全然裏とって調べてないのでわかりませんが
多分、ロシアが社会主義から開放されるあたりの
なんかそんなことが関係してんじゃねぇかな
その転換期に、惰眠を貪り食った貴族が
居きるすべを持たず堕落していくところが
書かれてんじゃねぇかな
そういうふうに思いました
いつになく、ステキに普通な感想文になっておりますが
なかなかどうして
このラネーフスカヤ夫人という人が
おそらく貴族の典型なのでありましょうが、
借金とか酷いというのに
お金のばら撒きが酷い、浮浪者がうろうろしていて
お金をめぐんでくれと言われたら
ちょうどよい額がないからと
金貨を惜しげも無く与えてしまったり
頼みもしないのに、どこかへ茶など飲みにいくと
たくさん頼んだり、頼まなくても使用人くずれみたいなのにも
茶を馳走したりと
まぁ、多分、そんなところが貴族なのでありましょう
個人的に貴族の暮らしとか、高等遊民という言葉や
階級というか、そんなのが大好きなので
この無駄なダメっぷりがとてもステキ
ただ、ラネーフスカヤ夫人は、そのダメっぷりというか
身持ちの悪さを、常々悔やみつつ
それでもやめられることができない
悲しい、でも、どこかかわいらしい(注:俺の個人的感想)
娘や、また兄のガーエフという人が
あれこれ画策して、なんとかこの桜の園を売らないで済むように
便宜をはかろうとするのだが、どれも物にならない
というか、結局、みんなが貴族なので
ばかげているという具合であります
親戚のおば様から、お金を借りるといって
雀の涙ほどのお金しか借りれなかったり
銀行から借りられるとか、よくわからない話が沸いたりと
なんともはや、貴族はまるでダメだ
と、読者が思うわけでなく
もう一人の登場人物で、革命前には
地べたをはいずる農民、農奴であった
商人のロパーヒンが、そういう貴族ていとした人たちに
愕然としながら、あれこれと事業を
というか桜の園を手持ちにしながら安寧をはかる手段を
教えるのだが、貴族のラネーフスカヤやガーエフからすれば
それは「低俗だ」という一言で片付けられる
貴族のそういう高慢な姿勢もよくわかるが
じゃあ、どうするという案は大したものが出ない
事業家であるロパーヒンは、そこにくさくさしてしまう
結局、競売の日までに打開は見出されず
桜の園は売られることとなるのでありますが
ここで、この桜の園を買ったのは
なんとロパーヒン
ここに、貴族が退廃し農奴であったものが
金と事業によって成りあがるという構図が完成したのであります
と、おそらくそれで
内容を俺はつかめてるだろうと
一人ほくそえんでおるのでしたが、なかなかどうして
貴族的行き方やら、当時の背景やらを勉強すると
この作品の良さがわかるのではないかと
ありていな感想でありますが
チェーホフ読んだよー、みたくしておきます
劇中最後にフィールスという老人執事が
桜の園に忘れ去られてしまい、そこで
死んでしまう描写があるのですが
「一生が過ぎてしまった、まるで生きた覚えがないようだ」
とあるのですが
ヒエラルキーの下層に居た人物は解放後も
その地位で働き、こうつぶやいて死んだあたりに
なんとなく、ステキな古いものが滅びていく様が
あったように思われました
秀逸