センスの哲学 著:千葉雅也
センスとは何か
哲学として究めていく道程を楽しめる本でした
定義をしてそれを補完というか、肉付けしていく
そこにセンスというものが現れるといった感じで、
リズムや、直観、様々なもので思索を深めていく、
一緒に学ぶ本といった様相で楽しめた
何かを感じる時、それを面白いと思うという部分の素体として、
一定の法則、そしてその打破
というものの繰り返しと裏切りがあって
結局すべてが、そういうもの、そのリズムによると定義することで
センスというか、人がよいと思うものに近づいていけるというお話だった
なんでもかんでも、オンオフみたいな感じに位置づけると
わかりやすく楽しみが増えるという、芸術鑑賞の手引書のようなところもあり、
そのリズムの幅、どれをリズムととらえるかという部分の広さが、
やがて、様々なものを楽しむことへと繋がっていき、
それがセンスの良さに編まれていくといった感じで、
読んでいるとなるほどと思うのだが、
なかなか難しいことをさらっと書いてるなとも思うのである
本としては、とても丁寧にたどっていくので
読んでいて迷子になることはまったくなく、
なるほど、そうなるとそうだなと納得しながら進むのだが
その論理枠組みはともかく、事象として、じゃぁセンスのよいものをというのは
なかなか難しいなと思うばかりであった
センスのよいものを理解するという指南書には比較的なりやすいけど、
センスをひけらかすでもないが、身に着けて実践するというのには
やはり遠いのではなかろうかなどと思ったりしたのである
とはいえ、芸術の楽しみ方のひとつとして、
こういう方法もあるんだな、あるいは、これこそが根元的なもので
その良しあしというよりか、応用であらゆる分野を楽しめるというのが
やはり、センスの良さに繋がっていくのか、
そういう理解を得られるきっかけになりそうで楽しかったのでありました
模倣とそこからの脱却という
よくある、型破りと形無しとの違いも含めて、
思うところの多い内容だったけども
何かしら、自分なりに心地よいと思えるリズムを意識すると
芸術やセンスはともかく、生き方として面白く
やがて個性になるのかもなと思ったりしたのであった
でも、たいがい、下手で終わってしまうから怖いなと思うのだけど
それは思索が足らないということかもしれぬと
努力不足を嘆くのであった
センスとは何か
哲学として究めていく道程を楽しめる本でした
定義をしてそれを補完というか、肉付けしていく
そこにセンスというものが現れるといった感じで、
リズムや、直観、様々なもので思索を深めていく、
一緒に学ぶ本といった様相で楽しめた
何かを感じる時、それを面白いと思うという部分の素体として、
一定の法則、そしてその打破
というものの繰り返しと裏切りがあって
結局すべてが、そういうもの、そのリズムによると定義することで
センスというか、人がよいと思うものに近づいていけるというお話だった
なんでもかんでも、オンオフみたいな感じに位置づけると
わかりやすく楽しみが増えるという、芸術鑑賞の手引書のようなところもあり、
そのリズムの幅、どれをリズムととらえるかという部分の広さが、
やがて、様々なものを楽しむことへと繋がっていき、
それがセンスの良さに編まれていくといった感じで、
読んでいるとなるほどと思うのだが、
なかなか難しいことをさらっと書いてるなとも思うのである
本としては、とても丁寧にたどっていくので
読んでいて迷子になることはまったくなく、
なるほど、そうなるとそうだなと納得しながら進むのだが
その論理枠組みはともかく、事象として、じゃぁセンスのよいものをというのは
なかなか難しいなと思うばかりであった
センスのよいものを理解するという指南書には比較的なりやすいけど、
センスをひけらかすでもないが、身に着けて実践するというのには
やはり遠いのではなかろうかなどと思ったりしたのである
とはいえ、芸術の楽しみ方のひとつとして、
こういう方法もあるんだな、あるいは、これこそが根元的なもので
その良しあしというよりか、応用であらゆる分野を楽しめるというのが
やはり、センスの良さに繋がっていくのか、
そういう理解を得られるきっかけになりそうで楽しかったのでありました
模倣とそこからの脱却という
よくある、型破りと形無しとの違いも含めて、
思うところの多い内容だったけども
何かしら、自分なりに心地よいと思えるリズムを意識すると
芸術やセンスはともかく、生き方として面白く
やがて個性になるのかもなと思ったりしたのであった
でも、たいがい、下手で終わってしまうから怖いなと思うのだけど
それは思索が足らないということかもしれぬと
努力不足を嘆くのであった
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます