6月7日は母の誕生日。
90歳になりました。
その誕生日会を6月3日の土曜日に横浜の実家にて行いました。
19名の集合は、賑やかで楽しかったです。
昨日の夜、これを書き始めて、ふと毎年の「母の誕生日」の事を思い出し、自分の過去記事を読み直してしまいました。そして深夜になってしまい、書くのを諦めて就寝し、また朝になってから書き始めました。
ずっと続けているブログは、本当に役に立ちます。だけど時々、続いているがゆえにめちゃくちゃ切なくなる時もあるのでした。
・母の誕生日会(2015年82歳)
てまり寿司にエビフライ。みんなちょっと頑張りました。エビフライはなにげにスノウさんのリクエストだったと思います。てんこ盛りの量を揚げたのは私だけれど^^
なんでかこの年から、母の誕生日会をすることになりました。父がいた時、母は父のあばらを1本貰って人生を生きていたような人だったと感じています。私たちの思考も、そんな風になってしまっていたように思うのです。父の誕生日のお祝いイベントをしても、いつもその時に母も一緒。今思うと大きな間違いだったかもしれないけれど、みんなの生活を思えばそれはそれで正解だったと思います。(でも誕生日のお祝いは、ちゃんとその時に別に渡していました。)
・ああ、笑ったねっ♪(2016年83歳)
お店を予約して行いました。みんなでずっと笑っていました。
・まったく無理をしない「四万温泉旅行記」その4(2017年84歳)
私の節目のお祝い旅行だったのに、2月が6月までずれたせいで、いつの間にか「母の誕生日会」になってしまいました。この四万温泉に行きたいと言ってきたのはお姉ちゃんだし、旅館の予約からバスのリサーチと切符の手配、母のプレゼントの買い物(姉と)・・・・頑張りました、私 !
いや、頑張るのは良いのだけれど(好きなことですし)、やっぱりこれは私の誕生日会だったのでは・・・・と今でも首をかしげたくなるようなまたはニヤニヤとしたくなるような微妙な気持ちになります。
・何に涙するか分からない。(2018年85歳)
2018年は意外と家族イベントが多くて(東京のスーパー銭湯に行ったり、一族で旅行に行ったりなど)、母の誕生日には集まりませんでした。みんなのラインでのお祝いコメントで涙する母。
2019年はスノウさんは再び病気だったこともあるけれど、ちょうどその時、私のトルコ旅行と重なって「誕生日会」はなかったのでした。
2020年はコロナのせいで、やっぱり集まりませんでした。
だけど8月の終わりにみんなで集まり焼肉パーティをしました。この時スノウさんの事ばかりが記憶に残っていましたが、すでに母はかなりスッとぼけた人になっていました。耳が良く聞こえてなかったからもあると思います。この頃、持っている補聴器を真面目にしていなくて、よく姉が怒っていました。
それでも母は普通の人に感じていました。一緒に食事に行ったり散歩に行ったりと楽しかったです。
・「痛くない所を探すのが大変なの。」&紫陽花の季節(2021年88歳)
やはり集まれず。米寿だっていうのに。でもスノウさんの体力、コロナ。仕方がない事でした。それでもラインがあって良かったです。
この頃、姉の口から「ボケてきた」という言葉が出るようになりました。
確か、この年に病院に認知症テストを受けに行ったのではないかと思います。
それでもラインを読んで涙した母、返事の動画の母は、普通の可愛らしい老人に見えました。
・母の誕生日会☆2022(2022年89歳)
2022年は、スノウさんのお葬式のあった年でした。
母は認知症。お葬式の時、母が少しボケていて良かったと、私は思ってしまいました。そうでなければ、子を先に失う悲しみに耐えられるわけがありません。
上の記事の中で、
>そう、老人性の認知症になってしまったのです。でもまだ入り口。普通の会話は大丈夫です。
と書きました。
今でも普通の会話は出来ます。だけど、視界から消えると、その人が来たことを忘れたり、または帰ってしまうと、その日はもう誰も来なかったことになってしまいます。
今年、「誕生日会」を開いても、すぐに忘れてしまうかもしれません。最短で皆が帰った夜には。
だけど私たちは、みんなが集まった時間が3時間ならその3時間の楽しさのために頑張ろうと思いました。
私たちだって、昨日が楽しくて今日が楽しくて明日が楽しかったら、毎日が楽しいとなって、「なんて楽しかった人生だったのだろう」と思えるんじゃないかと思います。
その間隔が短くなるだけ。
忘れてしまったら、その理屈は当てはまらないことのようですが、それでもその楽しい一瞬のために頑張りたいと思ったのでした。
記憶は消えても、楽しかったと言う想いは消えないかもしれないからです。
集まったら、最初にみんなで記念写真を撮りました。お料理も入れて^^
お行儀よく座っているのは、この後ろにもずらりで、18人の人間が並んでいるからです。
今回もなんでだかお買い物係は私で、高島屋で夏用のシャツを買ってきました。
横浜人なので、あの薔薇の包み紙は需要かなと思いました。でも無反応だった。
ちょっとそこは、読み間違えました。
余計な話ですが、高島屋での買い物の時、パッと見た服が素敵で、「ああ、これ素敵。おいくらですか ?」
「3万5千円です。」
クラッときました。
そう言えば、デパートで服を買うのも久しぶりで、2011年、今では幻の時代ですが、10キロやせた私は、いそいそとスカートを買いに高島屋へ。2枚買って、5万5千円払ったような気がします。で、最近は大きな声で友達に「しまむらって楽しいよねぇ。」とか言ってる生活なので、シャツ一枚の異世界金額にクラっと来ても仕方がないことですよね。
でもそこでコソコソとしないのが私らしいかも。
「あーー、恥ずかしい~。侮っちゃったわ、高島屋。」と言ったら、
「ご予算は。」と聞いてくれたので
「その半分よ。もう少し買い求めやすいお店、このフロアにあるかしら。」と聞いたら、
その場所までわざわざ案内していただけました。そしてそのお店の店員さんに、それまでした会話も含めて(袖とか色とか)紹介してくれたので、あっという間に良い買い物が出来ました。
私は今はデブで、あまり何を着ても似合わないと思うのですが、実は服を買うのが好きなんです。でも時にはぐっと我慢して、少々お金をためて自分のために、デパートで服を買うのも良いよねと思ったりもしました(昔の様に)
で、話を「誕生日会」に戻しますね。
「今日は、お母さんの誕生日のためにみんなが集まったのよ。」
「私は89歳よね。」
「ううん。(面倒くさいので)今日からお母さんは90歳よ。」と言いました。
「あと4日あるけれどね、今日から90歳ね、分かったわ。」という母。
母の誕生日は本当は7日なのです。「あらっ、何 !? 分かってるじゃん。」と驚く私。
ちょっと忘れてしまいましたが、似たような会話が又ありまして
「なんかボケてないんじゃないの。」と独り言のように私が言うと、隣に座って居た叔父さんが
「誰なの、ボケたって言ったの。失礼しちゃうわよ、まったく。」と母の真似をしてふざけて言いました。
たまにしか会うこともない夫も
「今日のお母さんは、本当に普通に見えたし元気で良かったね。」と後から私に言いました。
でもその日、気になった私は、夜お姉ちゃんに電話をしました。
母は、やっぱり最初は「誰も来なかった。」言ったのだそうです。
だけど「東京からも千葉からも皆来たじゃない。」と姉がもう一度言うと、じっと何か考えているようなそぶりを見せた後、
「あー来た来た。東京からも千葉からもみんな来たねぇ。」と楽しそうに笑ったと言いました。
やっぱり可視化って大事なことだなと思いました。
写真とか、プレゼントとか。
いつまで覚えているかは分からないことですが、卒寿のお祝いはサクセスだったと思いました。