前に私が大阪に行ったのは、なんと2013年で、ちょうど10年後に再びその地を訪れたというわけなんですね。
その時のブログを読み直して、吃驚しました。
→西の都に行ってみよう~♪〈南禅寺その4・水路閣から永観堂そして駅へ〉
の中に、
>『今の中学生は自分たちで計画を練って好きな所を回るのが今どきの修学旅行なのです。
以前我が家に来ていた中学生がこの「本能寺」に行くのだと話してくれたことがあり、なんとマイナーなコースだと驚いたことがあるのです。
―同じ場所に建て直したわけでもないし、そこの所をちゃんと分かって行かないとがっかりするかもよ。
なんてことを、その中学生には言ったかも。。
だけど名前に惹かれるということはあると思うのです。
それは私が大阪城に行ってみたいと思う気持ちと同じようなものなのかもしれません。
今回は大阪城には行けませんでしたし、いろいろと行ってみたい所が残ってしまいました。だからまたこの街には是非来たいと思いました。』
なんと、あなた、ワタクシ、10年も前からそこに行きたかったのですね。
「大阪城は別に行かなくても・・・・」と言う方も、いらっしゃるみたいで、でも何となくその意味も分かっています。
大阪城の中は博物館。
犬山城とか姫路城のような昔ながらのお城を見るわけではないのです。
大阪城と言えば秀吉の城のような気がしますが、あの城は、最後に淀殿が、ド派手に爆破させて炎上したはず。その後徳川2代将軍の秀忠が再建した、いうなれば徳川の城なんですよね。
空襲で焼けた名古屋城も、中は博物館だったと思います。でも再建の城だと言っても、ちゃんと見るべき古のものが残っていました。大阪城だって残ってるわよ、きっとと、私は思っていたのです。
そして美しいなと感じた石垣を見て「ほらね。」と思ったわけですが、家に帰ってからウキペディアを読んだら、なんと秀忠は徹底していたのですね。
>『徳川氏は大坂城を再建するにあたり、豊臣大坂城の跡を破却して盛り土した上に、縄張を変更して築城したため、現在の大坂城址で見ることができる遺構や二重の堀、石垣は、全て江戸時代の徳川大坂城のものである。』
別に、そうであっても徳川時代からの石垣であるわけで、問題はないわけなのですが、「あー、そうなのか。」とは一応思いました。
そうしたら、なんと今「大坂城 豊臣石垣公開プロジェクト」と言うのが、継続中なんですね。
詳しくは→こちらから
確かに工事中の様に覆っていたところがあったのです。「なんか工事してんだな。」でスルーしちゃった。目に入ったものに反応しなくなったって言うのは、ある種の老化なのかも(;^_^A
だけどその徳川天守も落雷や火事などで焼失し、現存の復興天守が昭和6年に建造されたのです。
天守自体は、私の母よりは若干年上で、だけど姑よりは年下で、そう考えると、歴史的にはまだまだねと感じてしまいますが、やはり門や石垣など、見るべきものはたくさんあったように感じました。まだまだと言いましても、文献や絵巻などから復興させた、豊臣時代のデザインを取り入れており、やはりいかにも秀吉らしい派手さを感じることが出来て、やっぱり来てよかったなと、私は強く思うことが出来ました。
城に歴史ありを詳しく書いてあるウキペディアは→こちらです
以下は写真で綴る大阪城です。
石垣が美しいなと思ったら、たくさん写真を撮っていました。
そして門です。
天守閣の上から、遠くを見たり近くを見たり・・・
今回は、少々堅めの記事だったように思います。
大阪城での出来事は、続きます。