2019年に行ったトルコ旅行が、あまりにも楽しかったので、続けてどこかに行きたいなと思っていました。
ふと、フランスなんかも良いなあと思って星子さんに言うと、何度もそこに行っている星子さんはあまり乗り気にはならない様子。
「モンサンミッシェルとか行きたいんでしょう?」と彼女が言うと、私はすました顔で
「あっ、別に、あまり興味がない。」と言いました。
フランスが誇る世界遺産を興味がないなどと失礼なことを言ってしまいましたが、その時までの私は、美術館になっているフジタの終の棲家とか、タペストリー美術館とか、少々マニアックなところに行ってみたいなと思っていたのです。
だけどモンサンミッシェルと言う、修道院の島の名前を聞いて、
「あー、ちょっと思い出した。子供の時からずっと行きたかったところがあったのよね。えっとえっと・・・・・名前は調べないと分からないから、後でメールを送っておくね。」と言いました。
「島」で思い出した、フランスのあこがれの場所、それはフォール・ボヤールです。
あとからその場所は、そこだけ少し離れたところにあるから周るのが難しいかもと星子さんに言われました。
「そうなのか。残念。」と思いました。
だけど今の時代は本当に便利です。すっかり忘れていたその島を、私は早速グーグルアースで訪問しました。子供の時に見て、ずっと心の中に閉まってあった憧れの場所。それは映画「冒険者たち」のロケ地でした。
彼のその映画は、美しい絵画を見たようなずっと心に残っている彼の代表作の一つだと思います。
私はこの作品が一番好きです。私を作った細胞の一つだと感じています。
特にこの要塞島で撮られたラストは、心に残りました。
「彼女はお前と行きたがっていた。」「嘘つきめ」
ううっ、泣ける。
そう言えば、これアマプラで200円で見ることが出来ますよ。↓
下の画像はグーグルアースから。
どっちにしろ中には入れないので、少しは行った気になれます。
アラン・ドロン氏が8月18日に88歳で亡くなりました。(以下、敬称略です。)
彼の名はハンサムの代名詞。それを否定できる人って、そうそう居ないと思います。
子供のころから美しいがゆえに彼が好きでした。
だけど中学生になった頃、友達が言ったのです。
「アラン・ドロンってさ、日本の女性の事を短足胴長で鼻ぺちゃで美しくないと言っているのですってね。」
もちろんこれは友人の発言のみの根拠があるものではありません。
だけどムッとしました。
「ふーんだ。だからさ、国じゃ、ジャンポールに勝てないのよね。」
その頃12歳と言えども、小学生の頃から「ロードショー」や「スクリーン」が愛読雑誌だった私たちの発言は、かなり生意気だったと思います。
まあ、日本人は平たい顔族ですので、間違えてはいないわけですが、そんな事を言われても(真実は分からない)嫌いにはなれなかったですよ。
やっぱりハンサムだったからかしら。
その彼が、それから数年後に日本に来た時に、スペシャル番組がありました。抽選で当たった彼のファンたちがスタジオに呼ばれていたと思います。
いったい彼はどのように日本女性と接するのかしらと、私もテレビ前で見ていました。
すると彼は、司会者そっちのけと言っていいくらいに、スタジオの女性たちから質問に答えたりファッションのアドバイスをしたりと、大サービスだったのです。
皆キャーキャーとはしゃいで、大盛り上がりでした。
覚えているのは、パンタロンをロングブーツの中に入れろ。それが今パリでは流行っている。と言うもの。
よほど印象的だったのでしょう。他の事は何も覚えていないのに・・・・。
本当かどうか分からない言葉に縛られて、人の事を見ちゃいけないなと、私はそう思いました。
だけど心のどこかで、アラン・ドロンは光と影がはっきりと見える人だなと、そんな事も感じたのでした。
それゆえに、ちょっと横目で見たり、上目遣いで見たりで孤独や屈折した心を表現できたのだと思います。
「太陽がいっぱい」のドロン。その目力でクラクラっと来たかもしれません。音楽も名曲ですよね。サインを練習するところ、なんか真似なんかしちゃって…(;^_^A
でももうドキドキしたくないので、やっぱりアマプラで見られるけれど、見ないと思います。
いつだって評価が高かったわけでもなく、かなり人気の高かった「ゾロ」公開の時、どなたかのレビューに
「『黒いチューリップ』がつまらなかったから、これを撮ったのかな。」と言うのがあって、その時、人のレビューは参考程度にすると学んだような気がします。
なぜなら「ゾロ」もだけど、私には「黒いチューリップ」も面白かったのです。
なんたって子供だったので「黒いチューリップ」に憧れて、それのごっこ遊びを一人でしていました。(;^_^A
↓、アマプラで見ることが出来ますよ。「ゾロ」は有料ですがお高くはありません^^
アラン・ドロンとジャンポール・ベルモンドが一番輝いていた頃、私にはハリウッドよりもフランス映画の方が輝いていたように感じていたのです。
二人は幸せなライバル。
なんと二人とも88歳と言う同じ年で亡くなっているのですね。
アラン・ドロンの映画は、かなりの作品数を見ていますので思い出もつきません。
「世にも怪奇な物語」とか・・・・もね。でも尽きないので、この辺で^^
彼が亡くなって、世界中が彼の訃報を、彼が抱えていた陰の部分を含めて報道していました。
太陽がいっぱいだった彼の人生は、その分だけ陰も深かったのかも知れませんね。
さよならアラン。
素敵な映画時間をたくさんありがとう。