森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

春の気配

2023-02-19 15:02:44 | 梢は歌う(日記)

今まで自覚がなかったのですが、花の写真、撮るのが下手 !!

まあ、それはこれからの修練するという事で(^_^;)

マンションの花壇の花たちです。

そのへたくそ人が撮った昨日のクロッカス。

もうすぐ咲きそうだなと思ってました。

2月16日は

 ちょっと寂しく感じるのは、ぽつんとしているからだと思います。来年は群生させたら良いのではないかと思いました。

知らないうちに植えられていたスノードロップ。

 先走って咲いてくれたけれど、この花たちはお仲間が傍にたくさん目を出していましたから、ほんの少しだけ群れて咲く姿を楽しめるかなと思っています。

種が落ちて芽が出たのを移植して育てている、ノースボール。

 ボケの花もチラホラと。

やっぱり春の気配を感じさせてくれるのは、花が一番ですね。

 

遠目で見ていると可愛らしく感じたコーナーも、写真に撮ると、けっこう残酷な面が映し出されてしまいますね。

それって、私たちの写真に似てるかも(笑)

あっ、なかなかうまく撮れてるじゃない。で、アップにすると・・・・・きゃーってなる(^_^;)

 

ところで下の画像は、私の行っている病院の玄関に飾られている生け花。

地域の方のボランティアもしくは依頼(?)で、毎回飾られているのですが、私はこの花を見る事を楽しみにしています。

 

今回は春の息吹みたいなものを感じさせる作品でしたね。

昨日病院に行ったところ、すっかり数字が良くなっていて、一応「治りました。」と言って良いみたいです♪

 

実は昨日のその言葉を聞くまでは、ちょっと憂鬱でした。と言うのも、まだちょっとお腹が痛むときがあったからです。それに入院前から背中が張り付くような気がしていて、入院中はそれがなかったのに、退院してからまたその感覚が戻ってしまったからでした。

だけど2月1日に退院が決まった時には、まだ炎症の数字はハイスコアだったのに、今回はみな正常値で

「すぐにはすっかり良くはなっていかないから。でもこの数字なら大丈夫。」と言う言葉でホッとしました。

 

不安だと少し未来の予定も入れたくないし、ヤル気も起きてこなかったのです。

 

私にとって昨年の妹の死は、本当に大きな出来事でした。しかしそれと共に、癌発覚からたった8か月でこの世を去っていってしまった義兄の死も、心に食い込んでいたのです。

これは私のみならず、多くの人に言える事だと思うのですが、来年の今頃、地上の人であるかどうかは本当に分からない事なんですよね。

だけど人には未来は見えない。

でも見えないからこそ、希望も夢もあるんです。

この一年にやりたいこと、また来年、更に10年の展望も持てるんです。

 

もちろん私は死に至る病になったら、告知も余命宣告もしっかりして欲しいと思う人です。

だけど先日、お友達と久しぶりにお茶をしていましたら、その人が

「で、あなたは結局はすい臓がんかもしれないの。」みたいな事を言ったんです。ちょっと吃驚してしまったので正確な言い方は忘れてしまいましたが、物事を知らないからこんな雑な言い方なのかしらと不思議に思いました。

すい臓がんと言われても、ちゃんと助かっている方もいます。直接な知り合いではありませんが、友達のお兄さんがそうです。でもたいがいは死の宣告と同レベルと思って、心の中で拳を握るような案件だと思います。

そしてその時は、退院したのは良いものの、なんとなく続いているような腹痛などに不安を感じていた私は、彼女の雑な物の言い方に、少々の疲れを感じました。

でもこの人のこう言うものの言い方は、今に始まった事ではなかったのでした。

「たぶん大丈夫。でももし私がすい臓がんと告知を受けたら、自分のために時間を費やしたいから、もうこのようなお茶会はしないわね。」と私は言いました。

 

未来は見えない。だから未来の展望も明るく持つことが出来る。

未来は見えない。だからなんて多くの無駄な時間を費やしてしまっているんだろう。

 

 

 

 

 


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