森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

3月10日☆2025

2025-03-11 01:22:51 | 梢は歌う(日記)

3月10日は東京大空襲の日。80年前のその日、空にB29が300機飛んできて、東京の下町を焼き尽くし、そして10万人以上の死者を出しました。

10万人ーその数の死者を想像できますか?

 

今日(3月10日)の私の生活は、とっても平和な1日でした。

朝早くから、通勤と通学のために満員のバスに乗り、9時25分からの映画を見てきました。ボブ・ディランの、あれです(感想は別に書く予定です。)

それから義母の為の銀行と、自分の家の為の銀行回り。

回転寿司で美味しいひとりランチ。

バスから降りて、トボトボと歩いていましたら知人に会って、思いがけずにお茶タイムを持てました。

家に帰ってから、メールのチェックなどをして、そして畑に行きました。

畑もずっと放置になってしまったので、ちょっと頑張らなければなりません。

行く道すがら、梅の花などにスマホカメラを向けたりしました。

「そう言えば、今年は敢えてそのためには出掛けないけれど、街中で花追い人をやるのではなかったかしら。」と思い出したのです。1月からずっと、もろもろと落ち着かず、すっかりとその事を忘れていたのでした。

ちょっと元気になったら、やる気も出て来て、そうすると毎日は楽しいことでいっぱいです。

 

夕食時、あまり注意して聞いてなかったのですが、夫が2回ほど「美味しい」と言っていたように思います。

そう言ってくれたことに、もっと反応しても良かったと思いました。

当たり前のように聞き流す。それはそれで傲慢なのだと思います。

謙虚な気持ち、大事なことですよね。

とってもいい1日になりそうだったのに、ばったり会った知人に、私はあまりいい話をしませんでした。1年ずっと苦しんでしまったある人との経緯について語ってしまったからでした。なかなか抜け出せないのです、その穴から。だけどあとから詰まらないことをしたと悔やみました。言うなれば自滅です。

 

楽しいがいっぱいの1日でした。そして詰まらないことでモヤモヤした気持ちになった1日でした。

 

だけどそんな1日が送れたのも、平和だからなのですよね。

確かに、今の日本は問題が山済みです。どうなっちゃうのかなって、考え出すと、本当にムカムカしてくることがいっぱいありますよね。

だけどそれでも戦争はしていないし、お国の為に誰かのために戦い死ねと言われてはいないのです。空を見上げても、雨のように爆弾は降っては来なくて、美しい青空や夜には月と星が輝いているだけ。

過去にあった恐ろしすぎる歴史を決して風化させずに、かろうじてだろうが何だろうが、この平和を死守していかなければ、人類に「進歩」なんてものは永久に訪れず、天使がラッパを吹くのを待つばかりになってしまうと思います。

 

それは風化なのか。3月10日に東京大空襲があった!

2018年に上の記事を書いてから、ほぼ毎年、3月10日の事を書いてきました。途中から2023年までツリーになっていたのに、昨年はどうしたのかなと思って、自分の記事を読んでいたら、昨年の3月10日は萩尾望都氏の講演会に出かけていて、かなり遅くの3月26日に投稿していました。

3月10日「萩尾望都先生特別講演会」


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朝の下灘駅

2025-03-09 19:36:58 | お出掛け日記

愛媛県の「愛ある伊予灘線」の「下灘駅」は、キムタクの「HERO」のロケ地にもなったみたいで、インスタの映えスポットとしても若い人たちに人気の場所なんですってね。これ、あとから確認したら、なんと藤原竜也の「リバース」でも使われた場所でした。そうか~、ここからの風景を彼も見たのね。

 

確かに、下灘駅は素敵なロケーションでした。

美しいなぁと思いました。

この記事は「光と風のしまなみ海道」の続きです。

翌日の19日の朝一番に行ったのはこの下灘駅観光でした。

 

私は一人で、この駅名標をしみじみと見ていました。なぜ、前後の駅名をひらがなで書くのかなと思ったからです。

「くし」と言うのは、ひらがなで書かれると、日本人にとってはあまりいい感じではないことを連想し、良い響きとは言えないのではないかと思ったのです。

この駅の本当の名前は、単に「串」なのです。

漢字で書けばいいのになと、私はしみじみと見ていたのです。

だけどそんな事が、実はあとからほんの小さなことですが、役に立ったのです。

「愛ある伊予灘線路線図」

朝も早いと言っても、だいたい午前9時くらいでした。それでも観光客は私たちのツアーだけ。

短い時間の観光と言えども、周りに何もない駅一つの観光なので、その時間を楽しみました。

 

バスは、この場所からかなり遠いところに止まりました。移動に15分以上かかったように思います。

膝がダメなので、このかなりの上りの道を降りなくてはならないのかと思ったら憂鬱になりましたが、意外と緩やかだったので、そこは大丈夫だったのです。

ところが私、今度のツアーでトンデモナイ事に気がついてしまいました。

ある日息苦しさを感じて、呼吸器外来に通うことになったのですが、最近面倒になって来て、薬を飲むのもいい加減になってきていました。

ところが、そのトンデモナイ事、つまり他の人と同じ速さで歩けないという事に気がついたのです。少し頑張ると息が上がってしまって、これは少し今後の事を考えなくてはと思うような気付きでもあったのです。

 

それでもゼィゼィハァハァと降りてきたところです。

ところで、下灘駅からこの踏切までの間に墓地が2か所ありました。

両方とも海を臨めるいい場所にあるなと思って、通り過ぎていました。

その一つ、良く見たら戦没者の人たちのお墓でした。

きっとこの地域の人たちのお墓なのかもしれません。

 

実は下のお写真二枚は、お借りしたものです。

時間には遅れなかったものの、いつもバスに最後にたどり着いていたので、とても立ち止まってお写真を撮っている時間はなかったのです。

上の踏切は?

線路内は ?

実は全く立ち止まっていません。

 

 

立ち止まりはしませんでしたが、3歩通り過ぎて、やはりスルー出来ないなと3歩戻り、そして手を合わせてきました。

「この故郷の海を見ながら、どうぞ、安らかにお眠りください。」と。


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相棒season23第18話最終回スペシャル前編「怪物と聖剣」

2025-03-08 01:27:20 | ドラマ(相棒)

もう一昨日だったかな。

ロケ地になった紅茶屋さんの情報がツイッター(現X)に流れて来て、ちょっとテンションが上がりました。

六本木から近い「デンメアティーハウス」。行こうと思えば行ける場所なので、是非行ってみたいなと思いました。

そのHPは→DEMMERS TEEHAUS | ウィーンの紅茶商デンメアティーハウス

 

あの紅茶屋さんのシーン、良かったですよね。

ライターさんもお勧めのシーンだそうですよ。

でもあのシーンで、「右京さんの友達」を思い出した方も、多くいらしたのではないですか。

私は、なんか言葉の端々にもそれを感じさせるものがあって、右京さんはいつも友達を紅茶屋さんで見つけるのかしらと途中まで思っていました。

たぶん同じライターさんかなと思って、その時の感想を読み直してみたら・・・・

その時の感想はこちらです→相棒season12「13話右京さんの友達」

 

そう。この時の感想を読み直してみたら、同じライターさんの真野勝成さんだったのですが、この作品が、彼の「相棒」デビューだったのですよ。

その11年後に「相棒」のトリ作品。なんかしみじみとしちゃった^^

 

あの時、「孤独の研究」をしていた毒島さんとは友達になれた右京なのに、「惡の研究」をしている浦神鹿(毎熊克哉)が「友達になってください」と言って差し出した手を、右京は取りませんでした。何者でもない彼の何かを、右京はこの時すでに見抜いていたのでしょうか。

だけど私は、彼の東インド会社設立からのヨーロッパの植民地支配のはじまりから、世界中に紅茶の文化が広まったと言う話には、まじめに耳を傾けていました。決して目新しい画期的な話ではなく、興味のある人にとっては、かなり普通のお話。だけどこれは本当は、例えば戦争が、間近なものでなくても、凄く遠いアレクサンダーの東方進出にしたって、それが文化交流を果たしたり、または新しい科学を生み出していったりしてることは事実で、じゃあ、それは必要悪だったのかと言うと、そんな事は決して「はいはい」と認めるわけにはいかないわけで、彼は上澄みだけを掬って話したようなもので、かなり深い内容だったのだと思います。

右京は右京として必要悪のような事を笑顔で語る人と、友達にはなれないのは当然なことかも知れませんね。

それとも何者でもない者は、何者にでも変わって行ってしまう、つまり怪物になっていってしまうことを感じていたのでしょうか。

しかし彼って、本当に何者!?

 

今回、細かいことを言ったら、冒頭からして「猫の手を借りたい」に反応して薫が「にゃあ」と言うと、右京が「はいはい」とあしらう。そんなところから好きだったし、襲われた都議の警護をする捜一トリオを、都議の娘ちゃんが「わたしの三銃士」と言うと、三人がにやけるところも好きだったし、暇ではない角田課長も見せ場だなと思ってみていたし。。。

 

だけど私は怒りを感じました。

痛い思いと、未来の扉を閉ざすような刺青をさせて、そして罪をかぶせて、その上で殺す。

まだ18歳でしたっけ。

何でそんな残酷なことが出来るのでしょうか。

どんな時にも味方である親と言うものがいないのでしょうか。支えてくれる友達もいなかったのでしょうか。

指示されたら動くしかない、知恵無き生活を送っていたからでしょうか。

そうであっても、人の命をゴミのように扱うやつらは許せません。

 

この怒り・・・・・

つまりライターさんの罠にはまったという事なのかもしれませんね。

というわけで、次回も楽しみですね。

ゲストさんたち、毎熊克哉 片桐仁 平山祐介 愛希れいかもみんな好き。

 

 

 


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3月4日は妹の誕生日でした

2025-03-05 01:43:03 | 梢は歌う(日記)

3月4日も雪でしたね。

でもトップ画像は、雪が舞うように降っていた3月3日に撮ったものです。

私たち姉と妹の3人のグループラインがあるのですが、その前はスノウさんを入れて4人のグループラインがありました。実は今もそのままになっていますが、彼女が居なくなってからは、そこは封印されているような感じ。ただ1年に1回だけ、開くのです。

それはスノウさんの誕生日の日。

生きていた時と同じように、「おめでとう」の文字が飛び交います。だけど違うのは、いつまでたっても「既読」の数が「2」のままなんですね、当たり前だけど。

それでもその既読の数は、ずっと後になると決まって「3」に変わる・・・・・。

いやいや、オカルトの話ではないです。彼女の夫さんが、何気なく見ているのです。閉じられていたグループラインが開いているから・・・・。

でも今年も見るかは分からないことです。もう見ないかな・・・・・。

だけどむしろ今年は見て読んでもらいたいような気になっています。

こんな事を書き込んだから。

 

『この前、久しぶりにゆきちゃんの夢を見たよ。
前に、蝶子さんの知り合いの人が、夢の中で亡くなった人がおしゃべりしている時は、まだそばにいるんだって。けっこうゆきちゃんとは夢の中で、日常的な会話をしてきたんだけれどね、最近はすっかり夢からして見なくなっていたんだ。』

『だけど君は立っていて、夢だから前後の脈絡は無いんだけれどね、私は立っているゆきちゃんの肩に手をやって言ったんだ。
「あんな大変なことを乗り越えたんだから、きっとこの先は何があっても大丈夫だよ。」って。』

『そしたらね、ゆきちゃんは振り向いて、そして言ったんだ。
だけど何て言ったかの前に一言だけ言わせていただくと、その時のゆきちゃんが、ものすごく綺麗でさ。ほらっ、私、身内馬鹿なもんで、その綺麗さに、なんかちょっぴり鼻が高くなったような気がしたよ。
でね、その時ゆきちゃんが何て言ったかと言うと
「うん。あたし決めたんだ。この先はしっかりと生きるよ。」って。』

『目が覚めて、私はすっかり悲しくなって、何が「生きるよ。」だよって思ったの。
でもその話を友達に言ったら、「生まれ変わったんだね。」って即答で返って来て、そう言うことだったのかと、また私はちょっぴり泣いたんだ。』

『ゆきちゃん、おめでとう。
世界のどこかで、また幸せな思い出をたくさん作ってくださいね。』

 

この書き込みに、姉の蝶子さんも妹の名都さんも泣いてくれました。

そして私もまた、ちょっとだけ泣いた・・・・・・

 

「泣いた」と書き込んだら、あることを思い出したのですが、実家の近所の家に、親の介護のために息子君が帰ってきたみたいです。その息子君は、なんとスノウさんの同級生だという事が挨拶の時に分かって、姉が彼女が亡くなっていることを伝えたんです。するとその男性は、

「知ってます。クラスの連絡網で流れてきましたから。」と言ったと言うのです。

 

スノウさんが以前、かなりさりげなくだけれど、中学のクラスはみんな仲良しだと自慢していました。そして定期的にクラス会を実施していたのです。

ある日、これまた近所のスノウさんの同級生のお母さんが私の母に会った時に、お礼を言われたそうです。

「うちの子、クラス会なんていまさら行っても楽しいかなと不安だったみたいなんだけれど、凄く楽しかったと喜んで帰ってきたのよ。ゆきちゃんのお陰です。」って。

スノウさんは少々ホステス気質みたいなところがありました。

私は時には、それが騒々しく感じる時もあったのですが、そのお礼の話を聞いて、きっと誰一人ポツンとさせることなく、みんなを巻き込んで楽しい時間を作っていったんだなと感心していました。でもそれを口に出して、彼女に伝えたことがあったかしら・・・。

だけど「クラスの連絡網で流れて」の言葉を聞いた時,「そこまで!」と胸がいっぱいになり涙がこぼれました。

「凄いねぇ、君さ。」と手を取って褒めてあげたい、スノウさんを。

 

でももう叶わないー。

涙は会いたいけれど会えない寂しさからと言うのもあるけれど、悔いの気持ちからと言うのもあると思います。

だから好きな人大事な人には、ちゃんと口に出していっぱい褒めてあげましょう。すぐに忘れてしまう悟れない私ですが、そう思った今日だけでも、私の言葉でほんのちょっとの幸せを配ることが出来たら、それはそれで私にとっても幸せな事なのかもしれませんね。

 


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光と風のしまなみ海道

2025-03-03 23:46:36 | お出掛け日記

尾道ラーメンを食べたからって尾道に来たことにはならないだろう☆その2」の続きです。

尾道を後にして、私たちツアー一行はしまなみ海道をひた走ります。

「因島大橋」です。

そしてここは、「道の駅多々羅、しまなみ公園」です。

ほとんど海のシーンばかりの写真日記です。

ここの道の駅は、お土産などが充実していましたが、なんか気分ものらずに何も買わなかったのです。

でも失敗しました。

この道の駅にはレモンやらおミカンなどがいっぱい売っていたのですが、安かったのですよね。

今年おミカンは高かったじゃないですか。

ミカンが大好きなので、高いな高いなと言いながら、買い求めてきました。

気分が乗ってなかったので、値段などもちゃんと見なかったのです。後悔しても後の祭りでした。

海の風景が本当に綺麗でした。

そして圧巻だったのは、「亀老山展望台」から見た風景でした。

 

 

 

 

そして私たちはその後、道後温泉に向かったのでした。

その日のホテルでの夕食です。

 

夕食のあと、道後温泉本館のお風呂に入りに行こうと思ったのですが、足が死にかかっていたので、1日目はホテルの温泉を楽しむことにして、その日は終わったのでした。

夢に出てきて欲しいような海の風景をたくさん見ることが出来て、満足のいく一日でした。


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べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜第9回「玉菊燈籠恋の地獄」

2025-03-03 11:13:21 | ドラマ (大河)

お互いの気持ちが通じ合っているのに、それでも別れて行かなければならない恋の地獄。

これ、あとからじわじわと、その悲しみが伝わってきました。

 

横浜流星と言う人は、本当に美しい人なんですよ。

でもお稲荷さんの所での恋の告白のシーンでも、その美しさを前面に出さず、顔を崩して言うじゃないですか。

「俺がお前を幸せにしてぇの。」って。

「どうやって」と瀬川が聞くと、

「なんとか」と答える蔦重。

年季が開けたら請出すと言う蔦重。それが精いっぱいの提案でも、瀬川にとっては最高なプラン。

心変わりなんてしないだろうねと言う彼女に

「俺はてめえの気持ちに気がつくのに20年かかっちまった。心変わりなんかあるっかよ。」

 

年季明け・・・・・

先が長いー。

 

身請けの話を断ってきた瀬川に間夫が出来たと、すべて分かってしまった松葉屋のいね。そしてその相手が蔦中であることも、ぐるっと丸っとオミトオシ。

だてに吉原で亡八の妻をやり続けてきたわけではないのですね。

結局、この吉原と言う特別な世界で、瀬川も蔦重も育ってきた子供。

あの亡八たちは、この世界なりの親心を持っているんだなと、私は思いました。

だから瀬川の表面的な言葉に頷かないし、そしてその間夫も「あれ」とすべてを見抜いてしまうのは、ずっとこの世界で生きて来た子供を見続けてきたからだと思うのです。

そして亡八は亡八なりのやり方で、二人を説得したのでした。

途中で、駿河屋のおやじ様が

「うちのが何かしてるか。」と松葉屋に聞きました。でも彼は

「うちの方で、何とかするから大丈夫。」と大ごとにはしません。

そして火種は大火にはならず、小さなままで消えていきました。

 

確かにうつせみの足抜け事件は、たまたまこの時に起きただけ。だけどその時のいねの言葉には、凄く説得力がありましたね。

「あんたを養おうと、あいつは博打。あいつを養おうとあんたは夜鷹。」

逃げても人別帳もなく、まともな生活の出来なくて、ただ場所が変わるだけの地獄を解くのでした。それは瀬川の心にも響かなかったはずはありません。

 

そして視聴者の私も、何となく吉原の花魁に対しての、いい意味の偏見が崩されたような気持ちになったのです。

遊女たちの頂点である花魁。上客しか取らないし、そしてその客も自分で選べるのかと思っていました。(「仁」の影響かな。)

ところが他の遊女たちと全く変わらないではありませんか。

襲名に使ったお金を取り戻すために、今までの馴染みをハードに相手をしなくてはならなかった瀬川。

その現実を蔦重に見せつける松葉屋。

 

蔦重は新さんとうつせみの足抜けプランと同じ事を考えていて、大門通行手形を本に挟んで瀬川に渡していました。

だけど二人は現実の前に挫折して、それでも瀬川は、

「このばからしい話を重三が薦めてくれたこと、きっとわっちは一生忘れないよ」と言うのでした。

「じゃあ、返したよ。」と彼女は蔦重の手を取り、本をその手に乗せました。

二人のほんの短すぎる触れ合いがそこにありました。

それで終わり。

切なすぎる。

 

子供の時、蔦重が花の井(瀬川)に渡した本は「塩売文太物語」。

こちらで全文読めますよ→塩売り文太物語

めでたしめでたしの物語です。

 

そして最後に貸し借りした本は「天の網島」。

こちらであらすじが読めます→心中天網島 - Wikipedia

しかしですね、これを読むと、何にも共鳴することが出来ず、本当にばかばかしい話だと私は思いました。

まあ、恋ってそう言うものなのね、きっと。

 

大門の通行手形が半分に切られていました。

きっとその半分を大事に持って、瀬川はこの吉原を出ていくのでしょうね。

本当に恋の地獄の物語でしたね。

 

 


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幸せな誕生日☆2025

2025-03-02 02:43:42 | 梢は歌う(日記)

トップ画像は我が家のあんずさん。起きているのか寝ているのかの中途半端な目ですが、幸せな眠りの猫さんの図です。

 

2月最後の日、私は洗濯を干しながら、ふとあることを思い出し夫に言いました。

 

1月、いきなり衰弱が始まった義母が、「何でこんなことに。」とボヤいていました。

それを「だってそう言う年齢だし。」とは言いませんよね、普通は。時々答えを見つけるのに困る質問ってあるじゃないですか。

だけど私は言いました。

「それは1月が、お義母さんの誕生月だからよ。我が家では昔から、母が『誕生日月は油断しないで気をつけろ。』言っていましたよ。」

事故とかからも気をつけなくちゃいけないわけですが、何となく体調が悪くなったりするのも誕生日月が多いと言うのが、私の母の理論なのです。

実際にも子供の時、母が誕生日会用のご飯を作り、祖母までも夕食時に遊びに来たと言うのに、肝心の私は寝込んでいた時がありました。そんな私に仕方がないよと言いながら、祖母も母と同じことを私に言いました。

これって、我が家伝統の考え方なのかもしれません。

だからその事を義母に言うのってどうなんだろうかと思いつつ、1月から急激に弱った義母に返す言葉を失って、私はそれを言いました。

すると義母は、「ああそう言うよね。そうか、そうなんだね。」と納得してくれたのでした。

「そう言う」と言う言葉にも、少々驚きましたが、そんな返しに義母が納得してくれた事が、何となく嬉しく思ったのでした。

 

という事を、夫に話す私。

すると夫も、私の話を否定せずに「俺も誕生月は何となく調子が悪い。」と言いました。

 

すると2月は、確かに楽しいことも多くあったけれど、全体的に不調でした。

トドメはコロナにかかると言う、なんか悔しいシメでもあったように思います。

コロナの話、どこにも書きこんでなかったかしら。

コロナ体験記の話は、また今度(笑)

 

実は2月と言う短いけれど1年で一番寒いこの月が、意外と好きです。

それでも気をつけなくちゃならない誕生月という視点で見たら、「ああ、行った行った。バイバーイ。」と言う気持ちにもなりますよ。

 

さあ、もう3月だ。復活するぞ。春も近い。



下の囲みは、昨年の誕生日の投稿です。

 
幸せな誕生日
2月1日、また歳を一つ重ねました。 下の囲みは昨年の2月2日に投稿したものです。昨年2023年の誕生日は病院で迎えました。最悪だと思いましたが、いつも通り姉妹から......
 



これと言って何もない一日。だけど、やっぱり姉妹たちからのラインが入り、そして今年は姉が母の「おめでとう」と言っている動画を撮って送ってくれました。

なんかすごく嬉しかったです。

母からのおめでとうコール。電話の嫌いな母が、頑張って贈り続けてきてくれた電話でした。ずっと当たり前のように感じていた誕生日のいつもの光景でした。

でも「当たり前の誕生日のいつもの光景」ではなくなってしまいました。

失ってから気がつくものって、てんこ盛りでたくさんあると思います。これもその一つ。

だから姉のその配慮がとっても嬉しくて、スマホカメラに向かって「おめでとう」と言ってくれている母の姿が、とっても愛おしく感じたのでした。

 

友達からのラインと夫からのおめでとうの言葉で、私は満足。幸せな誕生日を今年も迎えることが出来ました。

 

 確かにちょっと美味しいランチを頂いたけれど、これって別に誕生日だからじゃなくて、夫との普通のランチ。

いやぁ、もう、誕生日だからってお気遣いなく。

勝手に自分でお祝いしときますから。そっちの方が怖いかも(笑)

 

下の囲みは昨年の2月8日の事を書いた記事です。

しみじみとしみじみと思います。

あの時、「白寿」をお祝いしといて、本当に良かったと。

百歳のお誕生日会は、たぶん出来そうもありませんから。

 

 
99歳の義母と私の誕生日会
そりゃ、あなたね、自分の母親にだって言いたいことはいっぱいあるのですから、ましては元は他人で、言っては何だけれど、うちの母より数倍気が強くて自分中心で、自分偉いの(言いたい放......
 

・・・


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相棒season23第17話「盗まれた死体」

2025-02-28 02:22:14 | ドラマ(相棒)

こんばんは~☆

最近って、ドラマが終わった途端にドラマ記事がネットに出るじゃないですか。ブログとかではなくて、一応お仕事としての記事。

時には、「何をおっしゃっていらっしゃるの、あなた。ちゃんと見ていらっしゃるの。」みたいな記事もあると思います。だけど時には、凄くちゃんと見るべきところをちゃんと見ていて、あらすじも詳しくお仕事も早いと言う記事があって感心しますね。

先日、私が思っていたことがほとんどしっかり書かれている感想を読み、このようにブログで感想を遅れて書く事って意味があるのかなと、ちょっとだけ思ったりしたのです。

でも今、「相棒」の感想を書くのは、私にとっては惰性の慣習。いわばやらないと気になってしまう歯磨き的なものですから、どこかで読んだことある内容が書かれてあっても許していただきたいと思うところです。

ああ、でも、(「でも」が多い文章でm(__)m)そう言うネット記事って、悲しいことに(記者さんにとって)意外と短命で消えて行ってしまうのですよね。長いシーズンのドラマ感想って、実はその時だけじゃなくても。

(うんうん‥‥フムフム・・・←脳内回路整頓中)

 

じゃあ、出遅れて今は意味がないかもしれなくても、さあ書くか・・・・と、前振りが長い割には簡単に。

 

個人的に、こういうお話は好きです。

なんかね、あれみたいな感じがするじゃないですか。

折り紙をですね、いくつかに畳んで、どこかで形の切り込みを入れて、開くと綺麗な模様が出来るっていう感じ。(分かりますか?)

同時にごちゃごちゃと話が進んで、最後にお話が出来上がっていましたね。ごちゃごちゃって言う言葉を使うと、あまり褒めてはいないような印象ですが、そこはちょっと譲れないような気がします(笑)

でもとりあえず、良かったけれど切なかったなと、お話は綺麗にまとまったと思いました。

 

しかし今回、いろいろと学ぶことが多かったです。

闇バイトのリクルート手口、あれ、怖かったです。

皆さん、駅構内なんか、いまだに歩きスマホの人、凄く多いですよね。

誰だって、歩いている途中でスマホをチェックしなくてはならないことってあると思うんですよ。約束のメールの確認とか、あと地図や時計代わりに使ってる人が時計を見るとか・・・でも立ち止まって道の端とかでそれをするじゃないですか。地図を見る時だって、スマホと道をかわるがわる見るよね。

歩きスマホの人って、本当にずっとスマホ見ながら歩いてますよ。それ、今見なくちゃいけないのかしらって本当に思います。

依存症になっているのじゃないかしら。もう心療内科の門をたたいた方が良いですよ。

何でここまで言うのかって言うと、そういう人たちが、この闇バイトリクルート詐欺のカモだからですよ。

前をちゃんと見ていたら、「ぶつかってきたのはあなたの方じゃない。言いがかりをつけるなら警察に行ってお話しましょ。」と言える案件ですものね。

 

刑事羽藤の娘の美香を命がけで助けようとした住田は、友達を選ぶことに最大の失敗をしていましたよね。

前科がつくような喧嘩に巻き込まれてしまったのちに、またも闇バイトに誘われてのこのこ犯罪を犯すなんて、微妙な気持ちになりました。友達の廣岡にお金のことで泣き付かれたのかも知れませんね。

「友達」と言う言葉マジックに騙されずに、自分の正義から逸脱した行為を迫ってくる人は、既に友達ではないので離れるべしですね。

 

先に「微妙な気持ち」と書きましたが、実は一番大きくそんな気持ちになったのは、ユキチの正体を知った時です。

ユキチって今まで正体が分からずの、なんか大物感が漂っていたのに、急にヒューって風が吹きましたよ。

騙されたってことですねと言われたら、そうかもしれません。でも登場人物はこれしかいないのですから、まあそうかとは思いましたよ。

小者感が漂う普通のおやじだからこそ、正体が分からなかったのかも知れませんが、なんか頭が悪くないですか。

かなり厳しい重さの荷物(男の死体)を、運ばさせるのに、女性を選ぶなんて。

そしてその見張り役に、自分自身が出向いて行っちゃうなんて。

しかも生きていた男に身ぐるみをはがされるなんて・・・。

 

だけどね、一番びっくりしたのは鍵が破損するくらいのところから落下させたスーツケースの中の、刺されて出血した男が、その落下では無傷で、最終的に生き残った事なんですよね。

だけどこっちは「微妙な気持ち」にはならない私。

だってこれ、ドラマだから。時にはファンタジーが混ざっていても良いんだよ。

私単純に、住田、生きてて良かった~って思いましたよ^^

 

次回から2週続けての最終回スペシャル。ゲストの皆さんも楽しみ。

シナリオは真野勝成さんよね。ということは、今シーズンの輿水さんのシナリオ回は無し!!

そう言えばどうでも良いことなのですが、昨日「じゃあ、いま輿水泰弘は何をしているの、」なんて、ネットをウロウロしていたのです。

彼ってさあ、。私と同じ2月1日が誕生日なんですね。

アッ、だからどうでも良い話って言ったじゃん^^

 

 

 


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尾道ラーメンを食べたからって尾道に来たことにはならないだろう☆その2

2025-02-26 01:37:37 | お出掛け日記

・「尾道ラーメンを食べたからって尾道に来たことにはならないだろう」の続きです。

その記事は、書きながら思ったことですが、分かり辛かったと思います。

つまり尾道に来たら、やはり猫の道のような狭い道を歩かせることは観光の一つのスポットだと思うと言いながら、私自身は横浜の実家周辺を散歩することでそこは補完すると言ってしまっているからです。

しかしながら、お友達はそうとうの不満足を感じたようです。

だけどやたら観光客に狭い道をウロウロ歩かれても迷惑な事よねと私は思いましたが、友達は、それが観光地の宿命よなどと言います。やはりちょっとそれは違うと思いますが、だけど千光寺登山口から登っていくのなら、それは誰にも迷惑を掛けない歩く道ですよね。それから後から調べたのですが、尾道には「猫の細道」と呼ばれているところもちゃんとあるそうですね。

私は足も痛いし、出来る限り無理をしないで済むならばと思っていました。だから私はロープウェイで登って、彼女は歩きでも良かったのですよね。

結局、前の記事に書いた事を分かりやすく書き直しているだけなのですが、このツアーではロープウエイは使わない企画でした。そしてバスは千光寺公園の駐車場に止められました。でもそこから展望台に行くには、相当の無理が生じたのです。

でも私頑張りましたよ。確かに痛い。だけどそれだけだから。記憶に残るのは痛かった思い出ではなくて、観光地の風景と頑張った記憶のみですから。

だけど同じ頑張るのなら、千光寺も展望台も両方行きたかったです。

ぐるっとただ周って、だいたい45分くらいと添乗員さんが言いました。そしてここの滞在時間が50分・・・・あったけ ?

遠くの風景を見たり、写真撮ってはしゃいだり、それはその45分には含まれていないのですよね。

そして彼女は言ったのです。

「どちらか一つで良いのではないですか。」と。

 

近頃ボーっとしていて、あまり深く何事も考えていない私。

それを聞いて「はぁ、そうですか。」と思ってしまいました。

映画好き・ドラマ好きだったら、千光寺を選ぶべきだったと深く反省しています。それも後から。

 

それでもバスの中で、ついつい呟いてしまいました。

「尾道ラーメンを食べさせたからって尾道観光をさせた事にはならないよね。」と。

一番詳しく説明してくれたのは尾道ラーメンのお店でしたから。しかも気の毒なことに(気の毒だったのは私たちか。)彼女が言っていたお店は定休日ではなく、悉く臨時休業していたのです。(誰かがなんでだろうと言っていたので、根拠など全くなく、いつもの妄想モードで「組合の研修旅行でほかの地域のラーメンを食べに言ってたんじゃない。喜多方とか佐野とか。そしてやっぱ、俺っちの方のが美味いなとか言ってたりして。」と言い、笑いあってたのでお休みはあまり気にならずでした。)

ちょっとこの場所に思い入れが強かったこともあり、自分のリサーチ不足を棚に上げて、85%の満足で終わってしまったように思います。

この後のスケジュールを思ったら、この近所のバスパックツアー並みの時間割は仕方がなかったのだと思いますが、時間があったら、もっと海沿いの風景を楽しみたかったかもしれません。

 

以下は85%の満足度でも、綺麗だなと感動しながら撮っていた風景の写真日記です。

展望台に行く途中に「俳句広場」と言うところがあって、そこで写した風景です。

 

 

ここからの風景でも良いじゃないと言うところなんだけれど、やっぱり人は目的地があると、そこに向かいたくなる習性があるのよね、きっと。

 

 

そしてやっぱり、展望台から見た風景の方がずっと素敵だったかな。

 

 

こんな風にブログ記事に画像をアップしていたら、満足度が93%に上がったような気がしました。

 

 

 

 

 


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尾道ラーメンを食べたからって尾道に来たことにはならないだろう

2025-02-25 12:42:45 | お出掛け日記

ずっと尾道に憧れていました。なんたって尾道は「時をかける少女」の舞台でもあり、その前は「転校生」の舞台でありまた朝ドラの「てっぱん」の舞台でもあるのですよね。だけど私はそんな事はすっかり全く忘れていました。ただ覚えていたのは、昔、父と母と姉妹たちで奈良に行き、そして今度は尾道に来ようと言っていた事でした。

母がその時、「娘たちが今度は尾道に連れて行ってくれるって。楽しみだね。」と言っていました。連れて行ってと言っても、旅行代などは各自本人持ちです。それでもいつの間にか立場も逆転して、私たちが母たちを連れて行くのかと思ったら、なんだか印象に残った言葉でもあったのです。

その時私は、姉に言いました。

「お父さんとお母さんには下のどこかのカフェで待っていてもらって、その間に尾道らしい道をササっと上って来よう。」と。

その時は足も健脚でしたから、横浜育ちの私たちには尾道の猫の道なんてへの河童ですよと思っていました。

 

が、結局、それは夢で終わってしまいました。

そんな事ばっかり考えていたら、何かのロケ地だったことなどすっかり忘れてしまっていたのです。

なんだか未練たらしく、父母と来ていたらみたいなことを思っていました。

カフェは商店街にいっぱいありました。ここでお茶など飲んで待っててもらう。その間に、千光寺登山口から尾道らしい道を上っていく・・・・

いや、待てよ。千光寺まではロープウェイがあるのです。父母にはそこのベンチで待っていて貰えば良いんだわ。そして私たち姉妹は、そこから展望台に行ってみる・・・・

うん、なかなか。

 

でもツアーはそうはいかなくて、なんであんなにつまらない時間取りや企画にするのかって思ってしまう時ありますよね。

尾道は尾道らしい道を歩くと言うのは、大事な観光的要素よね。どう考えても。

でもあなた、今膝が痛いのではなかったかしらって思うでしょ。

痛いんですよ。ズキズキ。千光寺公園の駐車場って言うのがあって、そこまでしかバスは入らなくて、そこからは急な坂道を登っていくのですよ。上ると言うことは下ってくるわけで、本当に辛かったです。

これからは老人社会だって言うのに、膝が痛い人たちには全く優しくない場所だったなと思います。

私的にはですね、尾道らしい狭い道を歩くと言うのは、自分の中で横浜の実家近くを散歩すれば良いじゃないってことに数年前からなってます。

前に実家の近くを散歩して、私は悟ったのですよ。→「故郷の道を歩く

道に関して言えば、尾道と横浜はさほど変わりがないのです。

ただ上から見える風景が、尾道は海の風景。横浜はまた丘の風景で左近山団地とか笹山団地とかが見えるのです。

まあ、だからそこは観光地名物にはならないと思われます。

だけれど、道へのこだわりは消えると言うものです。

ただ私は、ちょっとだけ添乗員さんが、ほんのちょっとで良いから二つの映画と朝ドラの事に触れて思い出させてくれたら良かったのにと思いました。

時間を目いっぱい使ったけれど、見逃しが多かったです。

やっと来たのにがっかりです。

 

とそんな事を言いつつも、

レトロな街並みなどにはかなり満足しながら歩いて行きました。

以下はレトロな街並みの写真日記です。

このシネマの写真、一番気にいったかも。

もっと近くに行って何を興行しているのかなとか、撮れば良かったな。

 

 

 

腰のある麺に,汁は甘めです。美味しかったです。

尾道焼。ちょっとソースの味が濃すぎて、関東人には厳しいかも知れませんね。

今、オンデマンドで「てっぱん」見始めました。行ったばかりのところが映ると楽しいし、見逃したところの補完にもなって良いかなと思っています。

展望台から見た風景の写真日記は、次回に続きます。


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