※ 今年2月に見たお芝居の感想を書きそびれていましたが、この先時がたてば経つほど、書けなくなることは分かり切っている事なので、途中まで書いてあったものを無理やりまとめて終わらせようと思いました。もう一回チャンスがあって見る事が出来たなら、もう少し最後のまとめをまともに書く事が出来るとは思います。
あと10行くらいだったのにな。ヒロインの名前を確認するのを後回しにして、後でにしたのがいけなかったんだな(^_^;)
☆
東京での公演は17日に終了してしまいましたが、私は2月6日に観に行く事が出来ました。
(お芝居の感想は敬称略で書かせていただいています。)
チェーホフが、なんとなく自分の中で苦手なような気がしていました。それと言うのも、若き日に見た「ワーニャ伯父さん」をよく理解できなかったせいなのです。また藤原竜也主演だった「かもめ」も、心に陰鬱な影を落としただけの作品だったような印象を持っていたからだと思います。
ところが、今になってもう一度「ワーニャ伯父さん」のあらすじを読むと、なんとなく「鱈々」と同じ匂いを感じたりもして、若き日の自分の理解力のなかったことを思い知らされたのでした。また「かもめ」の自分の感想を読み直してみると、決してそこにあったものは陰鬱な影のみではなかったことを思い出したのでした。(一応その「かもめ」の感想は→「Чайкаーかもめ」 「鱈々」の感想は→・『鱈々(だらだら)』の感想 その2)
更に恐ろしい事に気が付いてしまったのですが、この記事の為に、自分の過去記事を読んでいたら、今からおよそ10年と半年も前に、チェーホフと「ワーニャ伯父さん」について、まったく上記に書いたことと同じ事を私は言っていたのでした。
あまりにもあまりで、ビックラポンや。
因みにその記事は「チェーホフ・・名前からして」
演劇は総合芸術と言うじゃないですか。
私はその中に、観客の見る力と言うのも入るのではないかと、しみじみと思ってしまいました。
こうなったら、藤原竜也に「ワーニャ伯父さん」を演じてもらいたいです。
ワーニャ伯父さん・・・・・、冴えない飲んだくれの中年のおっさんです。
(だから若き日は感情移入する場所が無くて、理解できなかったのかも)
だけどきっと藤原竜也なら、本当の面白さを私に見せてくれるに違いないと
彼のプラトーノフを見たら、そう思えてしまったのでした。
あらすじは書いていませんが、ささやかな所でネタバレしています。
いつもながらセリフは不正確ですが
「ある朝歯を磨いていたら、既に自分が死んでいる事に気がついた。」
何気なく語られるそのセリフの中に、プラトーノフの破滅型の行動の理由があるような気がしました。
彼は女たちを愛することによって、必死に生き返ろうともがいていたのかも知れない・・・・・。
死んだまま家族と食事を仕事に出掛けて行く・・・・・。
チェーホフの、いえ、プラトーノフの生きた時代に何があったのか、年表さえ開かない私ですが、かつての恋人が昔は何かに一生懸命だった事を告げていました。
美しく精悍で人望もあり、皆に愛されていたプラトーノフはこの時すでに空っぽな人だったのかも知れません。
彼と妻は客席からの登場でしたが、それは私の背後だったのです。吃驚しましたが、爽やかに本当に美しかったのです。それが妻から捨てられて、女絡みのトラブルで彼はどんどんどうしようもなくなっていき、とうとう最後まで、その美しいいでたちに戻ることはありませんでした。
そしてとうとう薄汚れたまま死んでしまったのです。
ー 愛され過ぎて。
だけどもしも、妻に諸々な事がばれず、彼女との生活をしていたらどうだったのでしょうか。もしくは妻が彼を許していたら・・・・・・。
彼は本当は、それだけを望んでいたのじゃないのかしら。一瞬の気の迷いはあったにしてもです。
滅亡に向かう深い愛よりは、地味で時にはむなしく感じる地道な生活の中に、実は夢も未来もあるのかも知れませんね。
彼の妻の妹が酷い目にあって、青木が(どうしても青木と言ってしまう。)、浅利さんが(役名を確認しようとすると、また後になってしまうので)
「こんなことは誰かに話さなきゃやっていられない。だけど話したい君がこんなことになってしまっては、これからは誰と酒を飲んで語り合えば良いのか。」と嘆くではないですか。酷い男であっても、愛されていたのですね。
前から浅利陽介さんは好きでしたが、好き度が上がりました。
(二回見ても、この程度の感想のような気もするし、何かもっと違うことを言いたかったような気もするし・・・・今となっては分かりません。思い出したら書きますね。)