森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「終わりに見た街」

2024-09-29 01:53:38 | テレビ・ラジオ

夏シーズンのドラマが終わってしまって、次のドラマが始まるまで、ドラマ好きにとっては一番夜がつまらない毎日ということになりますが、最近の私は9時頃から11時頃まで、昼寝ならぬ夜寝タイムでグーグーと寝ていることが多いのです。

何となくブログ更新から遠ざかってしまっているのも、そんなこんなが理由です。

 

ゆえにタイムリーには書けないことが多いわけですが、少しずつ追いつくように書いていきたいと思っています。

あまり熱くは語らずあっさり目になると思います。

 

先日大泉洋主演の「終わりに見た街」を見ました。

タイトルを見て、ああアレだなと思いました。

アレと言うのは、この山田太一原作のドラマは過去に2回映像化されていて、細川俊之主演の1982年版と中井貴一主演の2005年版があって、私は中井貴一主演の2005年版を見たことがあるのです。(もしかしたら両方とも。2005年度版は最後の方だけだったかも。)

その時も衝撃的なかなりインパクトの強い内容に感じました。

正直言って、お話の重さから再び見たくなるようなものではありませんでした。それでも主演が大泉洋でシナリオがクドカンなら、何か違ったカラーで見せてくれるかもしれないと思って見てみたのです。

主演以外も吉田羊・堤真一・三田佳子などのいい味を出していて、ドラマ全体が重すぎることもなかったです。

また脇を固める人たちの俳優陣が豪華でした。

神木隆之介・田辺誠一・塚本高史・西田敏行・橋爪功・勝地涼などなど。中にはほんのちょっとと言う方もいて、クドカン組の力だなと感じました。

このドラマの衝撃的な部分は、もちろん主要な訳の分からないSF部分、つまり家族で過去にタイムスリップと言う所だと思うのですが、なぜ彼らだったのかと言う謎は解明されません。でもそれは・・・・・って後で書きますね。

 

意外と驚きだったのが、若い人たち、つまり子供たちの反応です。

大人はこの戦争のあとに、何が来るかを知っています。何としても生き延びなければ、生き延びることが、最初の1歩です。

だけど子供たちは、今目の前の現実と向き合って、それが過去の事だからとは思うことが出来ません。彼らにとっては、今が現実だからです。

かつての国民たちがそうであったように、国の為に国を信じて自分なりに頑張ろうとします。そして「こんな戦争」という親に反発するのでした。

だけど1982年、2005年を含めて、その親たちもみな戦争経験者ではないはずです。実は子供たちと同じなのです。

戦争を歴史の時間で習い、誰かの話で知り、さらに映像などで体感していた・・・・。

だけど親と子供で、なぜその反応に違いが生まれたのか・・・・?

たぶんそれは、子供たちは純粋だったからと言うより、空っぽとは言い過ぎかもしれませんが、かなりの容量の隙間があったからじゃないかなと思いました。

ここに出てきた子供たちが、今までで一度たりとも、前の戦争について思いをはせたり考えた事なんかあったのでしょうか。

隙間、もしくは真っ白。だから簡単に染まった、または詰め込まれたのだと思うのです。

もっともらしいことを言って、さながら、もしかしたらそっちが正義なんじゃないかなと思わせるような顔をして、親に反論してくるけれど、この子供たちの思考のからくりが分かっていれば、親は揺るぐこともなく子供たちと対話が出来ていくと思うのですが、何せ時間と言うものがなかったのでした。なぜなら東京大空襲が迫っていたからです。

 

が、最大の衝撃は、ラストシーンですよね。

主人公が見た終わりに見た街は、未来または現在の核によって破壊された東京だったのでした。

過去に飛ばされた時、何かが窓の外で光ったのです。

あれは何だったのか。

これは彼が核の爆風に飛ばされてしまうまでの間に見た夢なのかもしれないのです。

だから思いがけずに再会したばかりの遠い親戚の男親子もまた過去に飛ばされて、また直前までスマホに出てきていたプロデューサーの男が様々な場面で出てきたりしたのではないでしょうか。

これが彼の夢ならば、彼の家族だけが過去に飛ばされた理由もそこにあると思います。

だからと言って「なんだ、夢落ちか。」とはならないメッセージの強さがそこにはあったのです。

もちろん、この「夢落ち」と言うのは、あくまでも私の感覚であって正解ではありません。

じゃあ、正解はと言ったら、それが分からない・・・・・。

なぜあの時、窓の外が光って、彼ら一家は過去に飛ばされたのか。

なぜあの男は様々な場面で出てくるのか。

なぜ記録にはない場所で大きな空襲が起きたのか。

なぜ彼は未来に飛ばされ、核のよって死んでいかなければならなかったのか。

 

だいたいあの光はなんだ !?

さっぱり分からない。

いや、この「分からない」が正解なんだと思います。

そこに描かれたものは、「理不尽」そのものだったから。

その「理不尽」と言うモンスターの正体は、戦争。

そしてそれは、ある日唐突にと言う所が、最大の恐怖なのかもしれませんね。

 

最後に、クドカンには必要なかったみたいで、過去作にはあって今回なかったシーンについて触れておきたいと思います。なぜならそのシーンが、過去作の中で頗る私には印象深く心に刻まれていたからです。

それは、家々にチラシを配って歩く主人公が、道行く人にチラシを渡しながら、「逃げてください。」と言うと、道行く人は言うのです。

「こんなチラシを配られててしまうから、逃げるに逃げられない。」と。

噂に流した言葉(「東京大空襲がある。上野に逃げましょう。」)はちゃんと効果があったのです。だけど恐怖を感じていたとしても、出どころの分からないチラシの言う通りには行動できない。人の目、特に軍部の目がそうさせていたのでした。

ビックリしがっかりする主人公・・・。

良かれと思ってやってきたのに・・・・。

そう、そこにも「理不尽」はちゃんと存在していました。

 

心に残る印象深いドラマでしたね。

あっ、なんか「さっぱり目」ではなかった・・・・・かな・・・・(;^_^A

 

 


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