今日は土曜日。最近1週間が早く感じてしまいます。アッという間に毎日が過ぎていって、ようやく秋めいてきたというのに、気がつくと「寒い寒い」と言っている自分の姿が用意に想像出来てしまいます。
今週の初め、HHK の「あさイチ」という番組の冒頭挨拶でイノッチが
「今日は月曜日、そして10月1日、新朝ドラも始まりました。」というようなことを言いました。
当たり前の普通の言葉ですが、私には印象的な言葉でした。新朝ドラの部分はおまけのようなものですが、私的には「梅ちゃん先生」が好みに合わなかったので、新朝ドラには少々期待しています。が・・・。まあ、このドラマのことは別記事にて何か書けたらイイなと思っています。
それはともかくとして「月曜日」と言う1週間の始まりの曜日にも、「ついたち」と言う一ヶ月の始まりの時にも、どちらにも何か期待できる響きがあるのが好きです。同じように「朝」という時間にも。
これからなんでも出来るような希望があるからでしょうか。
だけど、だからといって土曜日・31日・夜に嘆く必要は無いわけですが、時には不満足の気持や後悔に心が沈む場合もあるかと思います。
水曜日の夜、眠りにつく前の私の心は穏やかで少々の満足感に満ちていました。なぜならその日は一日中家の片付けと掃除をして、それなりの達成感があったからでした。掃除や片づけでそんな気持ちになるとは、私は「家事嫌い」というわけではないんだなと思いました。また、そんな程度で満足は得ることが出来るんだなとも思えたのでした。
大望ある人は、それに見合った充実感がなければ気持は埋まらないと思います。だけど一日の充実感は、人それぞれ違っていて、ささやかに生きるものには、最初から満足度メーターのマックスが低いと考えられるような気がします。
大きな目で見れば、それは悲しい事かもしれませんが、その小さな世界しか知らなければ、それはそれで幸せなことなのかも知れません。
だけれど満足度メーターが元々低いというのに、ある時にはそれさえもメーターマックスにすることが難しく感じる日も多々ありませんか。
イノッチの言葉に頷きながら、実際にはなかなかエンジンが掛かりませんでした。
その日から2週間のちょっと長い休みに入った姉が、計画を立てやるべきことをこなすべく始動し始めた話を、朝の挨拶の電話で聞きました。それで少々の負けじ魂を出してみたものの、それでも動きはノロノロ。
実は私は月曜日が一番エンジンの掛かりが遅いのです。そして一番疲れているのです。
土日のいつもと違うタイムラインが私を疲れさせるのです。そして私はノロノロ家事になってしまうのですね。そうなのだとわかっているならば、月曜日はいっそ、自分のおやすみにすれば良いのだと思います。
嘆いてその日の終わりを迎えるならば、気持や思考をチェンジさせて満足度メーターを上げる工夫をすることのほうが良いのです。
だけど家事という仕事はほぼ年中無休です。溜めればなんとなく心の中が淀みます。
翌日には仕事が二倍になっていくからです。
そんな時は、一日の終わりまでに帳尻が合えばいいやって思います。そんなわけで昼間やるような事を夜ベランダでやり始めていた私。ふと東の低い空を見ると・・・
思わずあれは何かしらと思うようなオレンヂの球体が。
まるでハロウィーンの大きな赤いカボチャのようなものに見えました。
それは昇って来る月だったのですが、森の木々の影を映してまるで絵のような月だったのです。
前日は夜半から唸るような風を伴った嵐で、その後のベランダは大変なことになっていました。台風に備えて片付けておいたので、滅茶苦茶になっていても被害はありませんでしたが、空の上でも台風が過ぎていくのを待っていたのに違いないと思えるような月だったと思います。
ああ、
と、私は思いました。
何を思ったのかといえば、この時間にベランダに出て、そしてあの月を見るために一日が、ちゃんとそう動いていたのだと思えたのでした。
今の時代、遠回りすることも失敗の体験談を重ねることもいっぱいあると思います。
でもそれはきっと意味のあることなんじゃないかなと、時々私はそう思うのです。
おまけの画像
野分の後のベランダ