森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

『ホテルキング』の感想

2020-08-14 13:30:07 | 海外ドラマ

申し訳ないのですが(なぜ謝る、私?)、またも「韓国ドラマ」の感想です。ジャンル分けすると、ラブロマンスに入れられてしまうのかも知れませんが、これはサスペンスだと思います。見ごたえ十分でメッチャ面白いです。または肉親との愛憎劇でかなりのヒュ~ドロドロ・・・・って、ヒュ~の部分は無しですね^^

※    ※    ※

私はあんまりラブロマンスと言うジャンルには興味がないと、何とはなしにこのブログ内でも呟いていたと思います。それは本当で、あえてそれが中心のものは、なんだか疲れちゃってずっとは見られないのです。

だけどこれ、

「お前を愛さなければ・・・・・・・・・僕が死ぬ・・・」

なんですよ。

だめでしょ、これは、もう。

愛してはいけない人を、愛してはならないとずっと突き放してきたのに、抗いきれずに自分の気持ちを吐露する言葉がこれなんですよ~。

思わず白旗、降っちゃいました。(笑)

 

時々、すべてのドラマで思う事ですが、ライターさんが泣きながらそして同時に笑いながら書いているなと想像できるセリフがあるのですが、まさにこれがそれ。泣きながらと言うのは、そう言う泣けるシーンだから。テレビ前とか劇場でみんなが号泣するシーンなど、一番先に泣いているのはライターさんの場合もあるのではないかと思っているんです。いや、凄く思ってる。でもそれはその人の性格もあるので、単に一概には言えないだけで。

そしてなぜ泣きつつ笑っているかと言うと、そのセリフが「会心の一撃」だから。

そしてその一撃にやられてしまった、わたし。

「トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜」が面白くて、出ているキャストさんがことごとく気に入っていたので、その繋がりで作品を選んでいます。(『トンイ』は別です。)この作品の主演は、「トッケビ」では死神だった、イ・ドンウクです。

 

彼はこういう陰のある静かであっても、熱い時には熱い男性を演じるのが似合っていますね。

ヒロインはイ・ダへ。「韓国ドラマ」を見る新人の私から見ると、「トッケビ」のサニー役のユ・インナとイメージがよく似ているように感じてしまいます。

悪役に徹していたイ・ドクファや敵か味方かと言う謎の女性を演じていたキム・ヘスクが、なんだか素晴らしかったです。

演出によっての表現の仕方が違うので、その役者さんたちの演技力と言うものは、イマイチ分かりかねるのですが、この脇を固めた二人の大人たちの演技が素晴らしかったことは間違いのない事です。

32話のドラマでしたが、私的には28回は神回で、ティッシュボックスを抱えて、涙で鼻が詰まって死にそうになりました。

それは恋愛パートではなく、親と子の物語パートであったことは、やはり私らしいと言えるかもしれません。

ヘスクの演技に号泣でした。

 

そうそう。

ホテルの建て直しについていろいろ語られますが、日本人好みのいろいろなアイデアが出て、それにまつわるいろいろなエピソードがあってと言うお話は皆無です。つまり営業系の奮戦記などはまったくないと言う事です。団体客を取るのに走り回るとか、訳アリのお客様の謎を解き、感謝されて大口の顧客になると言う話もまったくないですからね。

起死回生のイベントもことごとく邪魔をされ失敗したり・・・・いろいろあり過ぎ。

それでも何とか経営が存続しているのは、ホテルの規模とロケーションが良かったから、それによって持ちこたえていたのかも知れませんね。

この物語は主役二人の、過去からの呪縛から解き放たれ、人間としてまたはホテリアとしての成長の物語だったように思います。

お勧めできます。

Amazonprimeで、prime特典で見る事が出来ます。

 

※       ※     ※

少々のネタバレ感想です。

 

「あの人に終わりはないのかな。だったら怖いな。」とチャ・ジェワン(イ・ドンウク)が最後には呟いてしまほどの、徹底した悪役だったイ・ジュング。

優秀でありながら貧しく貶められてた・・・・・・。

だけど親友もいた、家族にも恵まれた、素晴らしい子供にも恵まれた・・・・・・。すべて自らの心の貧しさで失った事に、最後まで気が付かなかったのだと思いました。

素晴らしい家族が離れて行ったのも、ミヨンが彼をとうとう愛さなかったのも、そこに理由があったのに。

 

だけどどんな親でも最後まで突き放せなかったチャ・ジェワン。

来世では、私の息子になって生まれてきてください。ぬくもりに包んで育てます。・・・・のような事を言いますよね。

なんだか心打たれました。

今生で縁した人は、来世でも近隣に縁して生まれてくると仏教では言われていて、私もその説は好きなんです。

本当の愛し方も分からなかったジュング。でも彼は彼なりにチャ・ジェワンを愛していた事は伝わってきます。お金や名誉を渡すことが愛だと思っていた、悲しい愛でしたが。

最後に言った「ありがとう。」は心からの物だったのだと感じ、それだけが救いでした。

 

また、心から憎んでいた男の子供の子を宿しても、本当にその子を心から愛したミヨンは立派な人ですね。

 

なんたって32話もあるので感想は山のように有るのですが、残念ながらお仕事に行く時間になってしまいました。

 

あまり引きずりたくないので、この辺にしておきましょう。

HPはこちらです→

 

追記:上の文も少々直したのですが、やっぱり後ひとつだけ書かせてくださいね。

それはチャ・ジェワンがやっと母と再会し、幸せな時間を持った時、

「今まで出来なかった事を、今からすべてやっていきましょう。」

「今から ?   どんなことを ?」と言う母に

「僕の服を選んだり、ご飯が出来たよと言ったり、帰りが遅いと小言を言ったり・・・」

 

なんだかこんな日常が、本当の幸せなんだなと、今の私の胸には突き刺さったのでした。

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

既に歴史の一部に

2020-08-13 01:33:12 | 梢は歌う(日記)

中学三年生のテキストに、

「コンビニエンスストアが大きく飛躍した。」と言う、今の時代の説明にこんな一文がありました。

「本当ね。街の中にコンビニがあっちにもこっちにもあるのが今は当然よね。」

そう言ってから、ふと

「昔、『セ×ンイレ×ン』が出来た時、『なんて、画期的なんだろう !!』って感激したなぁ。」と付け加えました。

不思議そうな顔をする中学生・・・・・。

「あっ、だからそれはね、その頃のお店って、6時とか7時に閉まっちゃったのよ。だからその後開いているお店が開出来たなんて助かるじゃない。」

「なるほど。確かに。」と少年は応えました。でも私は彼の反応の何かが気に入らなかったのです。

それで言いました。

「『セ×ンイレ×ン』ってなんでそう言う名前になったのか知ってる ?」

少年は、驚いたような顔をして首を振りました。そんな事を考えた事もなかったのだと思います。

私だって、「ロー×ン」や「ファ×リーマート」が、何でその名前になったのかなんて知りません。

どうも「ロー×ン」は人の名前から来ているみたいですね。

 

「それはね、朝の7時から夜の11時まで営業していたからよ。」と私が言うと、少年は納得したように頷いたのでした。24時間営業が当たり前になってから生まれてきた彼らにとって、私が語る話は雑学ではあるけれど、既に歴史の一部になっているのだと感じました。

もちろんそう感じたのは、コンビニの話だけからではありません。

 

私たちが眺めていた風景が、今の子供たちには既に歴史・・・・。

だから時間が許す限りでありますが、私は語り部であっても良いのかなと思うのです。

私たちが見てきた風景を語る人・・・・。

 

 

また歴史の教科書はどんどん分厚くなっていく宿命があると思いますが、その宿命を断ち切るために、書き込む言葉を削除すると言う選択を取っていくのでしょう。

それは私たちが知っていて当たり前の事を、知らない子供たちも出てくるって事なのかも知れませんね。

 

そしてこの先の未来の教科書には、今の時代はどのように書きこまれて行くのでしょう。

この疫病については書かれても、「アベノマスク」も「Go to  キャンペーン」の事も書かれないのではと思います。(確かな事ではないですが)

今と言う時代をちゃんと見ていくと言う事も、大切なことかもしれませんね。

(近所、時々自宅で子供たちの勉強のお手伝いする仕事をしています。)

 

以下は、6日の日のお散歩の風景です。

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トンイ」の感想。

2020-08-10 16:37:40 | 海外ドラマ

これもスノウさん(妹)がラインで情報を送って来てくれて、それで見た韓国ドラマでした。

情報的には、「テレ東京で朝、始まるよ。」と言うものだったのですが、Amazonprimeなどで一気見の方が面白いかもと言っていたので、確かにそうだとAmazonprimeで見る事にしたのです。一気見の方が面白いと言うのもありますが、毎朝見続けると言うのは、私的にはどうかなと思う所もあるし、録画しても録画消化が出来るかどうかも分かりません。

それで今も朝の8時10分辺りにテレビ東京で放映されていますが、全60話、視聴終了しました。

(注:今の段階では『トンイ』はprime会員特典では見られません。有料で見るか、またの機会を待つか、テレビなどで毎朝見るかと言う選択肢があると思います。)

 

韓国の宮廷ドラマって面白いんですよね。「宮廷女官チャングムの誓い」なんかけっこう嵌って見ていました。だけどそれでもそこに出演していた俳優さんたちの事を、そんなに興味を持っては覚えてはいないかったのです。

この「トンイ」に出てくる王様の粛宗(スクチョン)役のチ・ジニは、「宮廷女官チャングムの誓い」で最終的には彼女の夫になるチョンホの人だったのですね。監督が「宮廷女官チャングムの誓い」と同じイ・ビョンフン。その繋がりもあったのでしょうか。繋がりと言えば、同じ監督の作品には,「イ・サン」と言うのもあって、トンイが生んだ英祖の孫の話になっているのも面白いですよね。そちらはprime会員特典が切れたので、まだ1話目しか見ていませんが、繋がりを思うと、なかなか面白いなと感じます。

しかも宮廷物って、料理人から宮廷楽士から絵画部門まで、いろいろなテーマがあって趣が深いです。日本のドラマでも「大奥」なんかは、けっこう面白いと思いますが、お針子からとか台所の端女からとかが側室のトップに上り詰めた話なんかはないので、違った面白さを感じますね。

ところで先程の王様である粛宗、なかなか優しい面立ちで、私なんかは威厳もあるけれど何処かホッとできるキャラが良いなと感じたのですが、他の人の感想を簡単に読み流すと、皆一様に褒めてはいますが、「あまりハンサムではない王様が」と言うような言われ方をしているような気がしたのは、勘違いでしょうか。

ヒロインのお相手役は、やはり群を抜いたイケメンとかが良いとか ?

 

だけどこの「トンイ」はそんなイケメンは出てきませんよね。でもチョンス兄さんは、最強の男でカッコいい~。

このお話、凄く良く出来ているなと思いました。史実にあった事を要所要所に盛り込んで、完全なるフィクションでありながら、真実もこうであったかもと思わせるところが凄いと思いました。

仁顕王妃の廃位と復位。ヒビンの最後。トンイの宮廷追放などは史実であっても、その真実は分からないわけで、そこに様々なドラマを華々しく咲かせたところに人気の秘密があるのでしょうね。

私はチャン・オクチョン、後のヒビンやその兄のヒジェなんかは結構好きな悪役でした。なんかこの人たちの最後には同情するものもありました。そうとうな悪なくせに、その悪だくみがことごとく上手くいかなかったように思います。特にトンイ暗殺など。←当たり前か ! 上手くいったらドラマが終わってしまうものね。いや、だけどもう狙い過ぎでしょう、毎回毎回・・・・・。

毎回毎回と言ったら、本当に次から次へと事件が起きて、心が休まる時がないなとも思ってしまうけれど、毎回何か起きなければ、ドラマとして成り立たないわけで、そちらも当たり前だのクラッカー・・・・・って、古すぎる~ !!!

 

と言うわけで、この「トンイ」は探偵ものプラス宮廷での愛憎劇でいて、本当にまったく飽きずに60話を見る事が出来ました。

なにげに側室対決では、ヒビンとヒジェvsトンイとチョンスの兄妹対決だったように思います。

高潔で美貌のヒビンが、結局は落ちて行ってしまうのは、大切に思っていた兄を守ろうと思ってしまったからではないかと思ってしまいました。兄も妹を命を懸けて守ろうとしますが、守り方を間違えたのではないかしら。

また世子たちの子供時代のエピソードも面白かったですね。子供たちが可愛らしかったので、楽しめました。

世子の肉体的な問題を知った時、視聴者の方の多くは早い段階で、トンイと同じ事を考えたのではないでしょうか。なんたって今の日本の東宮の事を思えば、解決法は分かると言うものですね。だけどそのためには・・・・ってな、粛宗の決断には驚きましたが。

 

最終回までずっと面白かったです。ただ、「えっ、どういう意味 ?」と二回見てしまいました。

と言うのも、楽しいトンイと粛宗の出会った時のような楽しい絡みがあった後、唐突に、トンイの息子が英祖になって、そして母の墓参りのシーンになってしまうものですから。

きっとトンイと粛宗はあんな感じで絡み合い生きて行ったのでしょう。トンイは意外と早くに亡くなってしまうのですね。49歳だったかしら。その2年後に粛宗も亡くなったのでした。

野原を歩くトンイが振り向くと、そこには粛宗が居て二人で仲良く歩いて行くシーンは、しみじみと余韻を残しました。

 

友だちは、この「トンイ」を2回も3回も見たと言っていました。

凄く人気のある作品みたいですね。

でも私は、違う作品を次に見たいと思っています・・・・って、もう見ているのですが・・・・( ̄ー ̄)ニヤリ。

この三連休、どこも行かなかったのもあって。暑いのでどこも行きたい所もないのですが、ドラマで楽しむと言う方法を見つけておいて良かったかもしれません。

 

あっ、そうそう。

ちゃんとした発音は分かりませんが、やはりこれを見ていると「ダウリ―」とか「マーマ」とか「アボジー」って言葉が、頭の中に響きます。「チョナー」もね。

トンイが最後に出世を重ね、淑嬪(スクピン)になるのですが、私の耳には「スッピン」と聞こえてきてしまい、「スッピンママ」「スッピンママ」と聞こえて来て、今、世間では、このスッピンママで一杯だなぁと、変な所でしみじみとしたのでした^^

 

トンイ:ハン・ヒョジュ

粛宗(スクチョン):チ・ジニ

ヒビン チャンシ:イ・ソヨン

チャ・チョンス:ペ・スビン

ソ・ヨンギ:チョン・ジニョン

仁顕王妃(イニョン):パク・ハソン  ←上品な感じが好きでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寂しかりき

2020-08-08 17:38:58 | 梢は歌う(日記)

ある時、姉妹のline集会でスノウさんが、

「予言の書によると、この後核攻撃が起きて世界は滅んでいく。」と言ったかどうか。

この一言は、メチャクチャツッコミどころマックスのはずだと思う。例えば「予言の書」って何だってところから始まって・・・・となるわけだが、そこは誰も突っ込まない。咄嗟にどうせ「ノストラダムスの大予言」あたりじゃないかと勝手に思い込む。古いね、私。

それどころか、その一言に大真面目に

「何ら否定する根拠もないな。」などとのたまう。誰がって ?

まぁ、だいたい・・・・私だけどね。

 

正常性バイアスに思考を乗っ取られた人々が、知らず知らずに終息して欲しいと誰もが願っているアレを拡散して歩いている。それを何とオクニがどうぞどうぞとお手伝いをしているような、変な国、それが今の日本なんだと私には思えてしまう。

頭脳が死んでいるー。

これじゃあ、ゾンビの国じゃないか。

人々はどんどん不安ばかりが増幅されて、そしてかつて太古からある、あの予言の書に思いが行きつくのだ。

天使がその時ラッパを吹いてってあれ。

 

そのための方法はいくらでもあるでしょう。

何処かの大国の山奥での細菌(兵器)研究所で、新型ウィルスを敢えて生み出して、まだそれに対するワクチンが作られていないうちに、その宿主である動物が、地元の市場に横流しされて村人の腹の中に納まってしまったりとか。悪意なくとも無知なるゆえに、そんな事もあ起こり得るかもしれない。

地球はるか上空で、それらの風景、つまり感染した人々やそれに怯える人々がまるで色が付くように描かれていたとしたら、そしてそれを眺めていたら、きっとそれらは音もなく、静かに悲しい風景を描いて行くに違いない。だけど悲しいと言うのは単なる主観だ。その風景はまるで春が夏に、そして夏の風景が秋に変わっていくように、静かに変化して行くのだろう。

そして大いなる不安は疑心暗鬼の心も増幅させ、力なき為政者は自分の力を誇示もしくは守るために、人々の心を惑わして、憎しみの対象を指し示すだろう。

そしてある時、何処かでラッパの音が聞こえたと思ったらー。

空の特等席からその風景を見ていたとしたら、キノコの形の雲や幾重もの風が大地を包み込むのが見えるかもしれない。

 

或る日、スノウさんが言いました。

「予言の書によると、この後核攻撃が起きて世界は滅んでいく。」

「何ら否定する根拠もないな。」と、私は答えたのでした。

 

 

仕事のパターンが変わると、それに合わせて生活のパターンも変わると思います。2011年に病気になって、私は10キロも痩せました。それはもう理想の体重みたいなもので、そのまま行くのかと思ったけれど、その頃の私は全然元気が出なくて、もう残りの人生は余生かと思えるような毎日でした。予約外に病院に受診に行く事もままあって、そんな時に薬が変わって、私はすっかりと元気になったのです。いろいろとヤル気と気力が満ちて来て、今の生活になったわけですが、とんでもない事にあっという間に私は20キロも太ってしまい、すっかりコンコンのデブな人になってしまったのです。

「途中で気が付くでしょ、そんなの。」と冷たく言った人もいたけれど、気が付くのも間に合わないスピードで、・・・・もういいや、そんな話は意味もなく疲れるし、とってもくだらないから。

だけど最初はもう恥ずかしくて、それに人の言葉にも凄く傷ついたし、引き籠りたいような気持ちでいたのは事実。

ある時スーパーに行ったら、結婚したばかりの頃に縁のあった人に出会いました。結婚したばかりの頃と言う事は、私は20代の真ん中で、その人は夫殿を君付けで呼び、私をちゃん付けで呼んでいました。その頃の彼女の娘が中学生で、そんな年の差のあった方です。

「花子ちゃん、いったいどうしたの。こんなになっちゃって。」と、その人はその時から30年以上も経っているのに、やっぱりちゃん付けで私を呼び、そして私の腕をフニフニと掴みながら、そう言ったのです。

「ええ、まあ。」と、私は恥ずかしそうに言うと、その人は言いました。

「でも、可愛いから許す。」って。

 

斜め後ろに一緒にスーパーに来た、同年代の知人がいたので、私は思わず照れて「えへへ」と笑いました。

10の位で四捨五入したら、この人も私も、皆100歳ってわけですが、それでも「可愛い」と言われたら、やっぱり悪い気はしないものですよね。

おっと。

もしかしたら、今指を折って数を数えた人もいるかしら。でもまあ、息子たちがおっさんズと言っているくらいだからね、歳だってバレルってものですよね。

またその後生活パターンも変わり、その人に会う事はなくなってしまったのですが、少し前から「あの人、どうしているのかしら。」と思い出すことがあったのです。

だけど会わなかった年数を数えたら、もしかしたらと言う想いもなくはなかったのです。

 

4日の火曜日、買い物に行く時に、いつもと違う離れたスーパーに行ったので、またふと思いついてその人の家に行ってみました。

その人の家は、そのまま有りました。

だけど表札の名前が違っていました。でも苗字は違っていても、名前が彼女の娘の名前だったのです。

懐かしい引き戸の玄関。だけどその玄関は開け放されていて、中は空き家。外の壁に「解体」の看板が出ていて、壁に沿ってそのための車が止まっていました。

解体はその日からだったのでしょうか。

何かに呼ばれたのかしらと、私は思いました。また、何かに間に合ったようにも感じたのです。

 

私はとっても寂しく感じました。

人の世の変化に?

私を大切に思ってくれた人がいなくなってしまった事に?

 

いいえ、それは違います。

 

周りの人が老いて、もちろん私もですが、そして病になってこの地上から消えて行く・・・・。

そこにあった思い出の家屋が解体され、新しいものに変わっていく・・・・・。

そんな変化に慣れていっている自分がいる事に、寂しさを感じたのです。

 

その寂しさの正体こそが、「老い」なのかも知れません。慣れると言うのは、悲しいものですね。

 

昨日今日生まれた赤ん坊でも無ければ、今地上にいるものは100年後の世界には、もうみんないないのですよ。死は滅びの同義語ではないけれど、

何も疑い憎しみを増幅させ、醜い雲や恐ろしい風を吹かせなくても、いつかみなそれぞれににその肉体の滅びる日を迎えるのです。

 

その滅びの道に核などの道具は、まったく必要がない事です !

 

その人の家の前を自転車を押しながら通り過ぎようとしましたが、やはり私は立ち止まりそして振り返り、マスクの中で声を出して言いました。

「ありがとうございました !!!」

目を瞑り軽く頭を下げると、頭の中で彼女のハスキーな声で「花子ちゃーん」と言う声が蘇えって来て、私は思わずにっこりと微笑んでしまいました。

そしてやっぱり、その想い出の中の声に、寂しさを感じたのでした。

 

8月4日の月

短い夏を頑張っているセミの抜け殻

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「恋するジェネレーション」

2020-08-06 02:08:58 | 海外ドラマ

・『「トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜」の感想、その2』

の中でも触れたのですが、その中に出てきた俳優さんたちが素敵だったので、少し繋がって見ていきたいなと思ったのです。いろいろリサーチして、一番最初に選んだのが、

「トッケビ」のドラマの中で甥っ子の役だった、ユク・ソンジェの出演している作品です。

ユク・ソンジェ君、1995年生まれでまだまだ若いです。

なんで彼の作品からと言われたら、私、もう俳優さんで疑似恋愛はないから、良さげに感じた作品から見始めたと言うわけなんですね。

この「恋するジェネレーション」は、邦題が良いのかどうか疑問です。

日本人が韓流ドラマに求めているものは、ロマンチックな男女間の「LOVE」だと思われているのかしら。

この作品の原題は「Who are you」なんですよね。タイトルは、このドラマにぴったりな物。なんで「恋する・・・」にしちゃったのかなと、ちょっとだけ思ってしまいます。

私は韓流の事はほとんど知りませんが、解説によると、「トップスターの登竜門であるKBSドラマ「学校」シリーズの2015 年の作品」なのだそうです。

所謂、昔の「ごくせん」みたいな感じでしょうか。もしくは「金八先生」とか。

 

だけどその内容は、単なる学園物と言うだけでなく、いじめ・自殺・失踪の謎など、いろいろと見ごたえ十分で、なかなか奥が深いです。

あらすじ

『児童施設で育った女子高生のウンビは、ある出来事を堺に、行方不明になっていた女子高生ウンビョルとしての人生を歩み始めるようになる。正体を暴こうとする人物やウンビョルにまつわるミステリアスな事件に翻弄されながらも、友達と家族のいる生活や初恋などを経験して強く成長する青春ラブストーリー。』

ヒロインと青年たちの三角関係にも、ちょっと胸キュンです。

全23話、Amazonprime で見る事が出来ます。

 

↓ この下に一応、ネタバレ感想をほんの少しだけ書いてあります。

 

 

双子のひとりは、いじめられている少女をかばって、今度は自分が壮絶ないじめを受ける羽目になってしまう。それでも誇り高く生きようとしていたのに、非がない事で追い詰められ、退学になってしまうと死を選んでしまいます。

またもうひとりは、仲の良かった少女がいじめられていても、見ていないそぶりをしてしまい、結果的には、その無関心さから、その友人の死を回避する事が出来なかった・・・・。

離ればなれに生きてきた二人の人生が交錯し、そしてそれぞれの人生に転機が訪れる展開は、本当に面白く感じました。

死んだと思って、お墓参りに来たかばって貰った少女の、謝罪の言葉、そして死んでしまった友達の優しいメッセージには涙なくして見ることは出来ませんでしたね。

 

しかしウンビョルお姉ちゃん、強くて頼もしかったですね。やはりいじめには、あのぐらいの強き心が必要なのかもとさえ感じました。

またいじめっ子の少女も、自分勝手で人を蹴落とすくらい平気でやるあの親たちによって彼女は作られたわけで、娘が窮地に陥って、今度は自分がクラスで孤立しても、突き放し家でも孤立する羽目になってしまうのは哀れに感じました。

その難しい役を、チョ・スヒャンが顔を歪めながら熱演していて、とっても良かったと思いました。

それぞれの親子の物語も良かったし、担任の先生の物語も良かったです。

 

恋の三角関係は、心情的にはユク・ソンジュのコン・テグァンに勝ってもらいたかったけれど、ハイ・イアンも好青年だったので、そこは仕方がなかったような気がします。だけどそれでも、自分は好きと言う気持ちをずっと持ち続けようと思った彼の選択は素敵だったと思いました。

そのライバルは、ナム・ジュヒョク。綺麗な顔立ちの人ですね。「スタートアップ」と言う新作が決まってるらしいです。

ヒロインのキム・ソヒョウンは、・・・・・なんと「トッケビ」の中のサニーの前世の王妃役・・・・・って今知った !!!

可愛い子だったなと思ったら、そうだったのか~ !!

明日姉の蝶子さんに教えてあげましょうっと。

 

と言うわけで、深夜のブログ更新タイムは終わりにして寝る事にします。

 

また明日も、ささやかな素敵な事が私にもあなたさまにも訪れますように。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひっそりと咲く

2020-08-05 10:49:10 | お散歩&写真日記

 

7月最後の日のお散歩日記。

ずっと気になっていたけれど、ずっと行けてない場所がありました。それは「こんぶくろ池自然博物公園」の「トンボ池エリア」でした。以前そこに行った時、野生の睡蓮がびっしりと蔓延っていました。後から新聞などで、それはあまりいい状態ではないので駆除するような記事を読みました。所謂、雑草扱いに。

ネットの世界で、美しい蓮や睡蓮の画像を目にするたびに、「あそこの睡蓮はどうなっているかしら。」と気になっていたのです。

「トンボ池エリア」は、最後に整備され2017年に解放されました。

その時、星子さんと愛子さんを誘って、そこに行った記事は→街の中の森【トンボ池】

その記事の中にも、びっしりと隙間なく群生している睡蓮の画像を載せています。

 

この公園は、この花たちを見せるスタンスになっていないので、いずれにしても遠い所から撮っています。

今年は更にひどく、むしろ「見せまい」と言う意思すら感じてしまいました。

池の周りはこんな感じですから。

 

隙間から、無理やり撮りました。

「トンボ池エリア」は後から公開されたので、その頃は、地面も歩きやすく、なんとなく整備されていて「こんぶくろ池周辺」とは違った趣で気軽で良いなと思っていたのですが、なんだか鬱蒼としていました。

森の育成を見守る(観察)する定点カメラが取り付けてあったので、この鬱蒼感は計画の一部なのかと思いますが、受けたイメージでは、こんな時代なので手が回ってないような気もしてしまったのでした。(真実は分かりません。)

 

↑ ここは柵の内側なので、この雰囲気が素敵なんです。

でも・・・、

これは、 ↑  腐敗してしまった「フジ池」の看板。

池が見えません。自然のままにではなく、ここは里山と言う森だと思うので、やっぱり手が回っていないか、予算の問題かもしれませんね。本当の事は分かりませんが、なんだか寂しく思いました。

この池の春の風景は素敵なんですよ。その記事は→ヤマフジとヤマザクラ

そうは言っても、楽しまなかったわけではありません。

 

この場所を後にした私たちは、歩いてTサイトに行きました。画像が少々続きます。

 

 

 

こちらも草が鬱蒼としているみたいですが、人の手が計算されて加えられているなと感じました。池の淵に育った草花が防波堤の代わりになっていて、雨の後も、よほどでも無い限り歩けるようになったのだなと思いました。

 

 

で、最後はいつもの花より団子タイム。

なんだかやる気のない画像・・・・・・(^_^;)

やたら飲み物が映っていますが、お水が三種類。リンゴやグレープフルーツや・・・後何だっけかな・・・

もちろん、普通のお水もありましたが、いきなり暑くなってきたので、ホッ~と息つけるような美味しいお水は嬉しかったです。

もちろん、期間限定のレモンソースのハンバーグも美味しかったです。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜」の感想、その2

2020-08-03 18:43:38 | 海外ドラマ

・「「トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜」の感想、その1」の続きです。

 

このお話、ファンタジーで、本当に良く出来ているなと思うのです。よく考えているなってところとか新しい発想とかが、韓国ドラマや映画のウリの部分なのかなと思います。

あらすじは、HPの「あらすじ」のところをお読みください。→こちらです。

 

そして「その1」でも書きましたが、絵がことごとく綺麗です。

 

見ていない人にはさっぱり分からないと言う内容かもしれませんが、いつか見る機会があるかもしれません。その時は「ああ、なるほど。ここを言っていたのか。」となると思います。

 

秋のカナダをロケに使ったのも良かったし、そのお墓のシーンも素敵ですよね。

どこでもドアのようなドアを開けると、ソバ畑の道と言うのも不思議な雰囲気で素敵でした。もちろん海のシーンも。

だけどこれ、要所要所で笑わせてくれるのが良いですよね。

 

一番笑ったのが、霧のトンネルの中を死神とトッケビとが並んで、チョーかっこ良く歩くところですね。でもその手にはネギの入った袋をぶら下げているわけで、一番カッコいいシーンのセルフパロディ。しかもネギを持っていてもカッコよく歩いていたら、後ろからバイクの兄ちゃんに、「歩道歩けよ。」って叱られちゃう。

あれはお正月のサービスシーンだったのですね、きっと。

そして一番好きだなと思ったシーンが・・・・・・・、トッケビとヒロインの二人のシーンじゃなくて「すみません」ってなものですが、トッケビがボンヤリ海を見ていると(湖かしら)、隣のベンチに座った男が、パンを分けてくれるシーンなのです。

昼間から寂し気で所在なさげに湖を眺めていたので、自分と同じように仕事を失った者かと、その男は勘違いをしたのですよね。自分だって困った状況なのに、「君は若いから大丈夫だ。」と慰め、「これは分けられるように二つに切られているんだ。だから大丈夫だよ。」と一個のパンの半分をトッケビに差し出すのでした。

するとトッケビは、彼に真っすぐにこの方向に行くと、あなたの助けを待っている人がいると未来を指し示すのです。

その彼は、その後財閥で仕事を得て、そればかりか後継のひとりになっていくと予想されるシーンでしたよね。(細かい所は不正確です)

なんだか気が付かないうちにジワーッと瞼が濡れました。

私はこういう「星の金貨」的なお話が、子供の時から大好きなんです。言うなれば無欲の善意が、結果、金貨ザクザクをもたらすと言うもの。

ハァ←タメイキ

無欲の善意って本当に美しいなと思います。報われるところも良いし・・・・・・なぜ私は報われないのかって・・・・無欲ではないからかも(涙)

 

また好きなエピソードは、死の瞬間まで前世でトッケビの人間だった頃のキム・シンに忠実だった男が、同じ顔で今に現世に生まれ変わって来て、その人を見つけたトッケビは、彼にねぎらいの言葉を掛け、そして彼の会社に就職させ、家から車まで会社が面倒を見ると言うシーンです。

「なんで ? 」と不思議がる男に、秘書は「前世に良い事をしたからです。」みたいなことを言ったと思います。

前世の善行が現世に報われるって、先に述べた「金貨ザクザク」にも繋がるような話で、やっぱ、好き(^_^;)

 

じゃあ、私の場合は・・・・・・って、そこ、考えちゃダメですね。ドラマなんですから~♪

 

これ、トッケビのキム・シンとウンタクの話も良いのですが、死神とサニーの話も結構泣けますよね。私はどちらかと言うと、こちらの二人が気になっていました。って、ラブロマンス、ダメって書かなかったっけ、わたし・・・・・

でもさぁ、死神との恋なんだから、まぁ、良いかって思ってくださいね。

映像量が少なかったけれど、高麗時代の王、ワン・ヨとキム・ソンとの出会いのシーンは可愛かったです。いわゆる一目ぼれだったのですよね。高麗時代の物語も、もうちょっと見たかったような気もしました。

ねじ曲がってしまった愛も、時代が変わって庶民に生まれてみたら、もっと簡単に素直に、その愛を伝えられた、そんな二人にホッとしました。

トッケビとウンタクは、長く連れ添って彼女が死に、そして再び生まれ変わって来て連れ添うと言う方法で、この先も生きていくと言うのでしょうか。

その世界観では、人は4回生まれ変わると言っていたでしょう。

凄く長生きして、残り300年を共に生きた後は、どうするのかしら、トッケビは・・・・。

何か、私、見逃してるのかしら ?

 

まっ、ドラマのお話なので、難しい事は無しで良いですよね。

蝶子さんは、これを3回見たのですって。

「お姉ちゃん、忙しい人だなと思っていたのに、もう、そう思うの止める!!」と、私が言ったかどうかは内緒^^

 

しかし、永遠の命を生き続け、その命を終わらせることが出来ると言う「トッケビの花嫁」が現れた時の、トッケビの狼狽ぶりに私は、ちょっと驚きました。そりゃ、ずっと生きて来たわけですから、もう死ぬかもと言われたら焦るような気もしますが、なんか900年も生きて来て、この慌てぶりか~って。これは文句ではなく、笑っちゃったと言う話です。

なんたって、エドガー・ポーツネル、400年ぐらいしか生きていないけれど、あの落ち着きっぷりなんで、そんなわけで、ちょっと驚いてしまったと言うわけなんですね。(「ポーの一族」の。)

あとね、ちょっと思ったのは、韓国の女性って、自立度と意識が日本よりも高いのかなと言う点なんです。トッケビは相当の金持ちなんですよ。結婚したら、もうお金の心配はいらないわってなものじゃないですか。

でも仕事をするのは当たり前だし、自分にかかったお金を出して貰っても返す話をするし、これは国ではなく時代の違いかもしれませんね。今の世の中、女性と男性ってまだまだ平等じゃないけれど、責任とか経済的な事とかだけ平等になって言ってしまっていて、けっして今が女性にとって生きやすい世の中とは言えないかも知れませんね。

 

出てきた俳優さんたちは皆素敵でした。特に男性陣に、私は例外なく惹かれた口です。

ちょっと続けて彼らの作品を見てみたくなり、リサーチしたのですよ。

コン・ユは吃驚な事に、映画の「新感染ファイナル・エキスプレス」に出ていた人だったのですね。韓国の俳優さんをまったく知らないので、見ていても分かりませんでした。

公開日未定の「ワンダーランド」は、今から話題になっているみたいですね。秋に公開予定の「82年生まれ、キム・ジヨン」。

軽い話じゃなさそうで、ちょっと気になっています。

死神役のイ・ドンウクはサニー役のユ・インナと再び共演したのですよね。「真心が届く」ですか。でもこれは、今は無料で見るのは難しいみたいです。でも「ホテルキング」とか言うのを、Amazonprimeで見つけてしまいました。

それから、私が凄く気に入った人は、甥っ子役のユク・ソンジュだったのです。新作の「サンカブ屋台」も気になっているのですが、他の作品もチェックしています。

 

すっかりはまっているなと思われると思うのですが、そうでもないです。

好きなものがいっぱいあるだけ。

 

と言うわけで、お仕事に行ってきまーす。

たぶんこれも好きな事の一つだから。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜」の感想、その1

2020-08-03 01:36:19 | 海外ドラマ

姉の蝶子さんとは毎朝と言っていいくらい電話タイムを持っています。話題は多岐にわたっているのですが、ドラマの感想を言い合ったりするのも楽しい時間です。

それで、この「トッケビ〜君がくれた愛しい日々〜」の感想を言い合いたいので、見てみてと勧められていました。

何度もさりげなく書いているのですが、私は韓流ドラマに偏見はないです。ただラブコメ、もしくはまじめな恋愛ドラマが全体的に苦手なんです。もちろん今でもまったく見ないわけではありませんし、以前はちょっと見ていたことがあるんです。

「天国の階段」とか「悲しき恋歌」とかね。

だけど「失明」「記憶喪失」「白血病」「すれ違い」、なんかこのパーツで成り立っているようで。

これって、昔の少女漫画みたいですものね。

これらは凄く好きな作品でしたが、この二作品で、もう良いかな~と言う気分になりました。所謂「卒業」と言うやつですね。

すると姉が、「トッケビって言うのは鬼の事よ。ファンタジーなのよ。」と言ったのです。

ファンタジーなんだ~。だったら見てみようかなと、そんな気持ちになって見始めたと言うわけなのですね。

 

だけどこの感想を書きはじめるにあたって、少々タイミングが悪いかなと思ってしまいました。

あの土下座像の不愉快なニュースが流れて来たばかりだからです。

近所の人が、「あの国、滅びちゃえばいいのに。」などと呆れた事にマックス過激な事を言うのですよ。もちろん私だって、あの少女像からしていつも不愉快に思ってはいるのです。だけど1を数えて10まで同じと思う事は間違いだと思っているのです。

またその国の嫌いが高じて、韓流ドラマにアレルギーを持っている方もいると思います。

今はドラマの感想の記事なので、「滅びちゃえば良いのに。」と言った人への、私が言った事や思った感想、また韓流ドラマアレルギーの方への私からのメッセージは無しです。だけどそのようなアレルギーの方は、タイトルの辺りで退散しているのかもしれませんね。

 

だいたい我が夫殿さえも、韓流のリメイクサスペンスなんかは見る癖に、私が、買い物帰りの車の中で

「早く帰って、あの韓流ドラマの続きを見なくっちゃ。」と言いましたら

「げげっ、韓流ドラマ !!」などと言うのです。

この先に続く言葉が想像できたので

「何か、×ツの穴のちっちゃい事をおっしゃらないでくださいね。」と上品なのか下品なのか分からない言葉で、その先の言葉を食い止めると

「あああ、とうとう我が家のおばちゃんも~・・・・。」などと・・・(うるさいヤイ)

 

いや、まだその時はまったく嵌ってはいなかったのですが、「トッケビ」以降、続けて韓国ドラマを見ています。

 

と、ちっともドラマの感想に行きませんが、ここまでの前置きは、私のブログには必要であるような気もするのです。

 

それでやっとその感想ですが、確かにファンタジーでした。そしてこれが引き金となって、続けて韓国ドラマを見始めるきっかけになると言うのも、「分かるよ。」と言っていただける人も多いのではないかと思います。

全16話、楽しい時間でした。

またこのドラマを見ていて韓流ドラマが女性の心を鷲掴みする秘密のようなものが、ちょっとだけ「これではないか」と推理出来るものがありました。

例えば映像が素敵なんですね。まるでイケメン俳優さんたちのプロモーション映像のようです。しかも繰り返しが多い。アマゾンのレビューにも15分ぐらいずつ飛ばしたと言うものがあったように思います。私も飛ばそうかなと思う時もありましたが、やはり綺麗な絵だったので、ちゃんと見ていましたね。

日本でも韓国ドラマのリメイクは、近頃多いとは思いますが、これをある種の表現技法と捉えるなら、同じ技法を日本で遣ったら、これは日本のドラママニアには許してはもらえない技法だと思います。この国のドラマゆえの許容ではないかと思います。

前置きが長かったので、少々、具体的なシーンをあげての感想を「その2」で書いていきたいと思います。

 

ただ、これを見続けた弊害としては、見終わった後、頭の中で「ケッ」とか「オウ」とか言う言葉の音が鳴り響くことです。英語圏の映画を見ていても、そんな事が起きないのは、ハングルの言葉に慣れていないからかなと思いました。

ちょっとハングル、初歩あたりだけでも勉強しようかなと、今思っている所です。

 

そしてまた、秋のカナダ、ケベックに行ってみたくなりました。(いけないけれどね(^_^;)

と言うわけで、「その2」に続きます。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ポーの一族」秘密の花園 Vol.3

2020-08-02 08:42:18 | 漫画・マンガ・まんが

しかし、あれだね。この記事には関係のない独り言だけど、

「老いる」って言う事は、いつの間にか、周りが病人と老人そして頑固ジジイばかりになっちゃうって事なんだな。

フフフと笑ってみたら、ちょっとだけそれを受け入れる事が出来たみたい。

 

と言うわけで、今日は少々遅れて感想を書いている、「『ポーの一族』秘密の花園」のVol.3の感想で

「ポーの一族」秘密の花園 Vol.2の続きです。

 

華やかで自己主張の強い人に感じたパトリシアでしたが、その時代に生きた普通の女性でしたね。

美しくそして女性らしい優しさを持っていて、アーサーにとってはとっても大事な人だったと思います。それでもその時代の普通の女性らしく、若くして親が決めた人に嫁ぎ、嫁いだからにはその人に尽くし、少しでも自分の意見を言うと

「女のくせに口答えするな」と言われてしまう・・・・・。

敢えて言えば、パトリシアのような人でさえもです。子供の頃は、少年たちの中心に咲く大輪の花だったと思うに。

 

女性の描き方が、凄くシビアでリアルに感じました。

アーサーの母メリッサも、命を自ら断つ人を描くのに類型的に描かれるような、楚々としてか弱く影のように儚い人のようには描かれていませんでしたね。

パトリシアの縁談をそっと打診に来たバンクスたちに、アーサーを奪われまいとヒステリックに罵倒します。

アーサーは自分の知らないうちに、母の身勝手な態度で幼い恋を失っていたのですね。

だけど離婚問題で揉めていて、夫に捨てられる女性の目いっぱいギリギリの姿がそこにはあったかも知れません。

 

アーサーの物語・・・・・。

そこにエドガーやアランが居なくても、ググッと引き込まれました。

アーサーとパトリシアのフォルテとダ・カーポをまつわる話も、凄く素敵でした。

そしてドミニクの詩と手帳に描かれていた少年時代の話も、それ自体が詩的。

ずっと変わらずにそこにいたドミニクに、自ら望んでいたとしても変わっていくことを余儀なくされていたアーサーは、心の奥底ではそれを妬ましく思っていたのでしょうか。

 

 

エドガーはアーサーに絵を描かれながら、彼の話・彼の気持ちを引き出していました。

《「読んだ詩を笑われてドミニクは怒った ?」

「・・・バラの陰で泣いていた」

「なぐさめた ?」

「いいや」

「友達だったのに ?」》  本文一部抜粋

 

アーサーは思わず、過去の自分と向き合っていくのでした。

エドガーを通してドミニクを描こうとしているのに、すべてエドガーになってしまうランプトンの模写。

ドミニクは14歳で天使のままで亡くなり、大人になったぼくは汚れて きっと天使を描くことはできないんだ、とアーサーは一人思うのでした。

 

しっとりとしたアーサーに物語が綴られた後、それだけではもちろん終わりません。

人の良いバンクス爺を襲うシーンは、かなり怖いシーンでゾクゾクしました。彼が善人であるかどうかなど関係がありません。

エドガーにとって彼は獲物のひとりにしか過ぎないからです。

しかし彼が狩りをするシーンを私たちに見せるのは、いつも誰かのためですね。リデルの両親を襲った時も、やはりアランのためでしたし。

 

そしてそのバンクスの葬儀の時に語ったパトリシアの告白は、吃驚するものでしたね。

エドガーたちは「切り裂きジャック」とも絡むと言う事なのかしら。

今回も滅茶苦茶面白かったです。

そして次回も凄く楽しみです !!!

 

☆ トップ画像は「横浜イングリッシュガーデン」。メリッサ夫人の庭のイメージだなと思ったものですから。

このブログで「横浜イングリッシュガーデン」を検索していただければ、美しい薔薇と紫陽花の花々を見る事が出来るかと思います。

 

 

 

////

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青空と共に8月がやって来た ♪

2020-08-01 17:52:03 | 梢は歌う(日記)

晴れましたね、とうとう。

この晴れ間はしばらく続きそうですね。

いや、続いて欲しいですよね。

あんなに待ち焦がれていた太陽なのですから。

でも、これから、

「暑いわねぇ~。」「まいっちゃうわね。」などと言う、少し困ったような言い方の挨拶をする日が続くのでしょうか。

少し前の

「もう、いつまで続くのかしら、このすっきりしないお天気は。」

「こんな天気だと、体調も不調よね。」などと言ってたことも忘れて。

 

雨が続けば文句を言い、暑くなったら、また文句を言う。

でもね、これって大事な事なんですよね。

身体のどこかが痛い時に「痛い痛い痛い」と言うじゃないですか。言ったって仕方がないような感じにも思うけれど、何故か言う事によって、苦痛がほんの少し和らぐのですよね。

雨が続いても、暑くても、また寒い時も、口に出せばいいのです。

「雨、やだね~」「暑くて、ばてるねぇ」「寒いの辛いわぁ」

それから 「メチャクチャ疲れたわぁ」とか。

「なんだか寂しい」とか。

 

※           ※         ※

7月最後の日々の、主婦の日常日記。

29日。

転びました。今姉の蝶子さんは、やはり転んで骨折中なんです。同じような事をうっかりしてしまいました。

だけど股割きの状態で、片方の膝だけ打ちましたが、下が柔らかくジーパンが真っ黒になっただけで済みました。

いつも通っている所なので油断しました。長雨のせいで地面が苔寺ならぬ、苔マンションになっていたのです。

だけど、なんだかこれはこれで美しかったなと思いました。

この日は午後から、近くのパン屋さんの、外のイートインで友人とランチをしました。

美味しいし、安上がりランチ、良いですね♡

で、その時会ったお友達の家庭菜園から、ひまわりの花と畑の収穫物を貰いました。

これが、

夕食でこれになりました。

 

30日。

家に居て、家事を頑張ろうと思いましたが、なんだかやる気スイッチを失くしたみたいで、ダラダラやっていました。

このままではいけないと思い、ピアノの先生に連絡を入れたり、お友達と来週の予定を立て、他のお友達にメールを入れた所、その友達から電話が入りました。

「あたし、病気になっちゃって入院中なんだ。」

「えーっ ! 病気って何よ。」

「癌なのよ。」

「ええっ!? 癌って、あなたが ?」

「何よ、その言い方 !」

何かしどろもどろ・・・・の私。

「ショックのあまり、ちゃんとまともに話せないや。ああ、だけど分かった。最近、付きあい悪いよねって悪口言ってたんだけど、そう言う事か。」

「悪口言ってるんじゃないよ~。」

「大丈夫。もう言わないから。」

本当はショックのあまり「ガーン」とか言いそうになっちゃったのですが、そこは頑張って踏みとどまりました。

あっ、大丈夫ですよ。この後ちゃんとまともなお話もしていますから。

 

35年来のお友達の彼女とは、ある時までは、毎日のようにお電話をしていろいろな事を話し合っていました。気難しいと彼女が言う所の(たぶん彼女にとってはモラハラ夫)彼女の夫さんが家に居るようになって、その習慣が途絶えたのです。

きっと以前だったら、調子悪いから病院に行くと言う段階で、私はそれを知ったように思います。

主婦の付き合いは、つまらない所から難しくなってしまうような気もしました。

しかし、もうこれだけで疲れた一日になってしまいました。

マンションの花の一部です。

31日は、星子さんと近場の散歩。

彼女と解散した後も歩き、13000歩も歩きました。

このお散歩記事は別に書きますね。

 

だけどその日の夜から、膝に違和感を感じ、翌日の今日は、膝が「イタタタタ」の状態に。

いつもの生活を考えたら、歩き過ぎたからとは考えにくいです。

ある意味「蓄積」と言うものかも知れません。

 

怠さからも逃れ切れていないし、あまり調子のいい状態ではない所からの8月スタートになりました。

でもこれは、ある意味私の日常で、どうって事はないです。

 

日常と言えば、学校なども普通の夏休みではないし、日常も普通が戻ってきたわけではないでしょう。だけど細々とやっているバイトだけが、その細々マックスの時間が戻ってきています。「細々マックス」と言う変な日本語ですが、細々の範疇でマックス多い時間と言う意味なのですが、あまり仕事がないと言う状況に慣れてしまった私は、思わず「ああ」と嘆きつつ嬉しく思うと言う矛盾の感情を一瞬にて抱え込むと言う状況に陥ったのでした。

 

8月の目標は、「行き当たりばったり」

これじゃ、今の政府の政策みたいじゃないかと言う感じですが、きっちりちゃんと暮らそうなんて事は、もうどうでも良いやと言う感じです。

疲れております。

こういう時は、目の前の事を、つまり目標などは「今日の」で良いのではないかと思うのです。

とりあえず、一日一回は、私の「好き」に出会えて、微笑む事が出来たら良いなと思います。

 

8月は、少々更新多めになると思います。備忘録としてこのブログに役割を持たせているので、そうすると6月7月で書き損ねていることがあるからです。

更新が多い時、気が向いたものをお読みくだされば嬉しく思います。

また夏本番の8月、皆さまもお体をお労りくださいね。

 

以下は、お友達の家庭菜園の畑に咲いていたダリアです。

そしてひまわり。

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする