中学三年生のテキストに、
「コンビニエンスストアが大きく飛躍した。」と言う、今の時代の説明にこんな一文がありました。
「本当ね。街の中にコンビニがあっちにもこっちにもあるのが今は当然よね。」
そう言ってから、ふと
「昔、『セ×ンイレ×ン』が出来た時、『なんて、画期的なんだろう !!』って感激したなぁ。」と付け加えました。
不思議そうな顔をする中学生・・・・・。
「あっ、だからそれはね、その頃のお店って、6時とか7時に閉まっちゃったのよ。だからその後開いているお店が開出来たなんて助かるじゃない。」
「なるほど。確かに。」と少年は応えました。でも私は彼の反応の何かが気に入らなかったのです。
それで言いました。
「『セ×ンイレ×ン』ってなんでそう言う名前になったのか知ってる ?」
少年は、驚いたような顔をして首を振りました。そんな事を考えた事もなかったのだと思います。
私だって、「ロー×ン」や「ファ×リーマート」が、何でその名前になったのかなんて知りません。
どうも「ロー×ン」は人の名前から来ているみたいですね。
「それはね、朝の7時から夜の11時まで営業していたからよ。」と私が言うと、少年は納得したように頷いたのでした。24時間営業が当たり前になってから生まれてきた彼らにとって、私が語る話は雑学ではあるけれど、既に歴史の一部になっているのだと感じました。
もちろんそう感じたのは、コンビニの話だけからではありません。
私たちが眺めていた風景が、今の子供たちには既に歴史・・・・。
だから時間が許す限りでありますが、私は語り部であっても良いのかなと思うのです。
私たちが見てきた風景を語る人・・・・。
また歴史の教科書はどんどん分厚くなっていく宿命があると思いますが、その宿命を断ち切るために、書き込む言葉を削除すると言う選択を取っていくのでしょう。
それは私たちが知っていて当たり前の事を、知らない子供たちも出てくるって事なのかも知れませんね。
そしてこの先の未来の教科書には、今の時代はどのように書きこまれて行くのでしょう。
この疫病については書かれても、「アベノマスク」も「Go to キャンペーン」の事も書かれないのではと思います。(確かな事ではないですが)
今と言う時代をちゃんと見ていくと言う事も、大切なことかもしれませんね。
(近所、時々自宅で子供たちの勉強のお手伝いする仕事をしています。)
以下は、6日の日のお散歩の風景です。