太平洋戦争末期、連合軍は、本土上陸を視野に入れて、沖縄への侵攻作戦を開始していた。日本の主力艦艇のほとんどが喪失してしまっていた中、大和が、連合軍の大艦隊が集結する沖縄沖へ出撃することになった。航空機の援護のない「裸の艦隊」を敵軍の制空権下へ出撃させることは、“作戦として形をなさない”ほど無謀な特攻でしかなかった。
戦後、この無謀が責められるようになっても、大和を出撃させた理由については「当時はああせざるを得なかった」という以外に答えるすべがなかった。それはなぜかといえば、「まだ大和が健在なのにたたかわないとは何事だ」という風潮に対抗しきれなかったのである。大和の出撃を決定させた最も大きな決め手となっていたのが「空気」であった。
「KY」という流行語が誕生するはるか以前の1977年に評論家山本七平氏は、『「空気」の研究』(文藝春秋)という名著を上梓している。個々人の意思決定を拘束するばかりか、何かの事案を採択する際には“最終決定者”にもなりうる「空気という存在」の正体を解明した日本人論であり、その中で、大和の出撃の正当性の根拠は、もっぱら「空気」に委ねられていたこととして次のように書いている。
「「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかをひと言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精緻に組み立てておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが「空気」に決定されることになるかも知れぬ」と。
「空気」が、政策を決定していくことは、現代にも多くあてはまるように感じている。私が取り組んでいることのひとつである築地市場の移転問題も、しかりである。豊洲の移転候補地が、日本最大規模の土壌汚染地であり、食の安全・安心の観点から、市場建設にふさわしくない土地であることは誰が見ても明らかであり、市場関係者及び中央区民をはじめ、だれも築地市場を移転させることを望んでいるわけではない。だが、移転を前提として現在の築地市場の真ん中を突っ切る環状二号線という車道を地上に通す計画が都市計画決定され、環状二号線のための隅田川に架かる橋のデザインが近々決定される、など外堀を埋めるように計画が進行している。
日本の政治では、「空気」に支配され、決定されていく現況を打破し、民主主義をとりもどさなくてはならない。国民の求めるものや世論に反して、「空気」に判断理由が委ねられ、誤った選択を繰り返してはならないのである。
政治家に大切なことは、いま、どのような「空気」がただよっているのかを、鋭く感知し、なぜ、その「空気」が発生したのかの理由を分析することである。すなわち、「空気を読む」ということである。「空気」が発生した理由が、多くの国民が求めるものであって、醸し出されたこともあろうし、一部の利権を握るものが、マスコミも巻き込みつつ意図的に醸し出したものである場合もあろう。
そして、「空気を読む」以上に大事なことは、読んだ結果どう行動するかである。万が一、「空気」が世論からのものではなく、一部の利権を握るものにより醸し出されたものであると分析されるのであれば、世論に沿った「空気」に変えていく、もしくは「空気」を創り出していかねばならないと私は考える。
今の世の中は、「迎合」の連鎖で成り立っていて、その結果として、「無気力な空気」が漂っているという。養老孟司氏も、『AERA』の今週号(2008.12.29-2009.1.5)のコラムで、「自民党とは、支持者が要望することを「思想」としてくみ、ただちに実現する装置である。その背後には確固たる官僚組織があって、政治はそれに乗っかってきた。装置の上に誰が立とうと、つまり首相がどれほどバタバタ変わろうと、びくともしなかったのである。・・・(中略)・・・さて、2009年は誰が首相になるのか。政治の世界は一寸先は闇だから、私にもわからない。だが、誰がなっても変わらないということだけは断言できる。」と述べている。
著名な学者養老氏に「変わらない」と断言されてしまえば、身もふたもなくなるわけであるが、本当にそれでよいのであろうか。このままでは、目の前の財政赤字解消に追われるため、グローバリズムの中で日本を引っ張っていけるリーダーを育てられず、国がどんどん貧乏になっていく図式を高速回転で進めていくだけである。
来年1月には、父親ケニア人、母親カンザス州出身の米国人であるバラク・オバマ氏の第44代アメリカ大統領就任を見る。空気を読む時代から、空気を創る時代に入ったと私は信じたい。どれだけ優秀な教育を受けていても、空気を読むばかりの人間だけが増えていったなら、現状は打破できない。しかし、周囲の気持ちを“動かせる”人間が増えてきたなら、日本社会、日本経済は確実に変わる。新しい空気を創った人間が歴史をつくっていけるのである。そう信じ、行動して行きたい。
それこそが、大和をはじめ「みかえりのない死」を選んだ勇気ある日本の先人への、せめてもの償いでもある。
参考文献:『一流の人は空気を読まない』堀紘一(ドリームインキュベータ会長) 角川oneテーマ21 2008年10月10日初版発行
戦後、この無謀が責められるようになっても、大和を出撃させた理由については「当時はああせざるを得なかった」という以外に答えるすべがなかった。それはなぜかといえば、「まだ大和が健在なのにたたかわないとは何事だ」という風潮に対抗しきれなかったのである。大和の出撃を決定させた最も大きな決め手となっていたのが「空気」であった。
「KY」という流行語が誕生するはるか以前の1977年に評論家山本七平氏は、『「空気」の研究』(文藝春秋)という名著を上梓している。個々人の意思決定を拘束するばかりか、何かの事案を採択する際には“最終決定者”にもなりうる「空気という存在」の正体を解明した日本人論であり、その中で、大和の出撃の正当性の根拠は、もっぱら「空気」に委ねられていたこととして次のように書いている。
「「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかをひと言も説明できないような状態に落とし込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精緻に組み立てておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが「空気」に決定されることになるかも知れぬ」と。
「空気」が、政策を決定していくことは、現代にも多くあてはまるように感じている。私が取り組んでいることのひとつである築地市場の移転問題も、しかりである。豊洲の移転候補地が、日本最大規模の土壌汚染地であり、食の安全・安心の観点から、市場建設にふさわしくない土地であることは誰が見ても明らかであり、市場関係者及び中央区民をはじめ、だれも築地市場を移転させることを望んでいるわけではない。だが、移転を前提として現在の築地市場の真ん中を突っ切る環状二号線という車道を地上に通す計画が都市計画決定され、環状二号線のための隅田川に架かる橋のデザインが近々決定される、など外堀を埋めるように計画が進行している。
日本の政治では、「空気」に支配され、決定されていく現況を打破し、民主主義をとりもどさなくてはならない。国民の求めるものや世論に反して、「空気」に判断理由が委ねられ、誤った選択を繰り返してはならないのである。
政治家に大切なことは、いま、どのような「空気」がただよっているのかを、鋭く感知し、なぜ、その「空気」が発生したのかの理由を分析することである。すなわち、「空気を読む」ということである。「空気」が発生した理由が、多くの国民が求めるものであって、醸し出されたこともあろうし、一部の利権を握るものが、マスコミも巻き込みつつ意図的に醸し出したものである場合もあろう。
そして、「空気を読む」以上に大事なことは、読んだ結果どう行動するかである。万が一、「空気」が世論からのものではなく、一部の利権を握るものにより醸し出されたものであると分析されるのであれば、世論に沿った「空気」に変えていく、もしくは「空気」を創り出していかねばならないと私は考える。
今の世の中は、「迎合」の連鎖で成り立っていて、その結果として、「無気力な空気」が漂っているという。養老孟司氏も、『AERA』の今週号(2008.12.29-2009.1.5)のコラムで、「自民党とは、支持者が要望することを「思想」としてくみ、ただちに実現する装置である。その背後には確固たる官僚組織があって、政治はそれに乗っかってきた。装置の上に誰が立とうと、つまり首相がどれほどバタバタ変わろうと、びくともしなかったのである。・・・(中略)・・・さて、2009年は誰が首相になるのか。政治の世界は一寸先は闇だから、私にもわからない。だが、誰がなっても変わらないということだけは断言できる。」と述べている。
著名な学者養老氏に「変わらない」と断言されてしまえば、身もふたもなくなるわけであるが、本当にそれでよいのであろうか。このままでは、目の前の財政赤字解消に追われるため、グローバリズムの中で日本を引っ張っていけるリーダーを育てられず、国がどんどん貧乏になっていく図式を高速回転で進めていくだけである。
来年1月には、父親ケニア人、母親カンザス州出身の米国人であるバラク・オバマ氏の第44代アメリカ大統領就任を見る。空気を読む時代から、空気を創る時代に入ったと私は信じたい。どれだけ優秀な教育を受けていても、空気を読むばかりの人間だけが増えていったなら、現状は打破できない。しかし、周囲の気持ちを“動かせる”人間が増えてきたなら、日本社会、日本経済は確実に変わる。新しい空気を創った人間が歴史をつくっていけるのである。そう信じ、行動して行きたい。
それこそが、大和をはじめ「みかえりのない死」を選んだ勇気ある日本の先人への、せめてもの償いでもある。
参考文献:『一流の人は空気を読まない』堀紘一(ドリームインキュベータ会長) 角川oneテーマ21 2008年10月10日初版発行