選挙期間中は、公開を控えておりました。
****5月12日記述******
銚子の地で、突然の休止(閉鎖?)に追い込まれた銚子市立総合病院で、内科医として最後の最後まで踏みとどまり、銚子市民の健康を守りぬいた医師 松井みのる氏が、銚子市長選挙に立候補されました。
小樽市長選挙に出られた経験もある元小樽市議森井氏に、その実情をお伺いするにつれ、自分は「ひとごと」ではなくなりました。
松井みのる氏は、大きな挑戦をなさいました。先週の金曜日まで、内科医を勤め上げ臨まれました。
松井みのる氏と、銚子の街を、市立総合病院を再建する政策を訴えて、回りました。
松井氏は、夕張の病院を再建に成功に導いた長隆(おさ・たかし)氏とタッグを組んで、強いリーダーシップのもと、必ずや市立総合病院を再建くださると思っています。
銚子市立総合病院を再生した暁には、その再生モデルは、日本中の崩壊の危機にある地域医療再生にひとつの光明を与えてくれるのではないでしょうか。日本全国953ある自治体病院の約7割が赤字という中、それら病院の再生のひとつの模範となることでしょう。
選挙戦、他候補は、松井氏をさして、「行政のしろうとに市長を任せるのか。」「内科医をやっててくれれば、よかった。」と批判してきます。
私は、銚子市立総合病院の再生は、現場を知る人間である松井氏が市長となり、強力なリーダーシップを発揮して推進していくしかできないと思っています。
松井氏は、選挙カーを用いず、ハンドマイクひとつで戦っています。選挙カーは、騒音公害であるから、用いませんでした。
ハンドマイクから声がとどくと、銚子市民からは、非常によい反応が返ってきています。
ただ、6人が乱立した選挙です。リコールされた市長、その前の市長、市議会議員、リコール運動推進者などなど、名のある方々が相手の中、戦っています。
私は、松井氏が、市長となることを信じてやみません。
<松井稔(まつい・みのる)氏 経歴>
昭和39年生まれ(45歳) 島根県出身。
内科医師、医学博士。
島根県立浜田高等学校理数科卒業。
京都大学医学部医学科卒業。
神戸市立中央市民病院にて内科研修し、
京都大学大学院医学研究科病理系博士課程へ。
京都大学ウイルス研究所、東京大学薬学部、東京大学医科学研究所、 Dartmouth Medical School (米国)などで、研究。
平成19年11月~銚子市立総合病院内科医長、
千葉科学大学薬学部非常勤講師。
平成20年4月~千葉科学大学部特担准教授、
銚子市立総合病院内科嘱託医。
平成20年9月 銚子市立総合病院の休止の日まで、勤務。
平成20年10月~組合立国保成東病院、診療部内科、嘱託医。
平成21年5月 組合立国保成東病院退職、銚子市長選挙立候補
*私は、その分野に詳しくないのですが、「ムスカリン性アセチルコリン受容体の研究」では、広く知られていると報道されています。
5つのタイプがある受容体のそれぞれを持ち合わせない動物モデルを作成し、各タイプがどのような働きであるかを研究する道を開いた功績があるそうです。
****選挙戦を戦い終えて(5月16日記載)*****
松井氏の選挙手法には、度肝を抜かれた思いでした。
*選挙カーを持ちません。
*ハンドマイク一本です。(実は、声がなかなか届かずに、苦労しました。)
*選挙カーがないということは、松井みのる候補者がいるということの表示は、松井氏がかける「タスキ」のみ。
*選挙ぎりぎりまで、すなわち、先週の金曜日まで、内科医でした。
*選挙は、もともと、出ることを考えていたわけではなく、本人自身は、投票権がありません。(一票差で負けたら、泣きます。)
*移動のための車の運転は、候補者がしました。(何度もかわることを、すすめたのですが。。。)
*駅前を中心に、ひとりひとりに語りかける手法を多く用いました。
このような状態で、本当に選挙に勝つ気があるのかとマスコミは、批判したといいますが、勝つ気があるかどうかは、写真のご本人さんの顔を見ていただければ、一目瞭然だと思います。
松井氏の強み
*松井氏を心から慕う支援者が集まりました。
*すばらしい選挙参謀がいらっしゃいました。
*選挙参謀は、市長になってからの実務にむけた環境整備にも、選挙期間中から尽力いたしました。
*争点の市立総合病院再建に向けて、専門家がアドバイスくださいました。
さて、17日の結果は、如何に。
必ず勝つものと、そして市長となり、銚子市立総合病院を再建し、そのモデルは、全国の自治体病院の再生モデルになることを確信してやみません。
銚子市長選挙は、日本の地域医療を守るための大切な選挙戦であったと思います。
****5月12日記述******
銚子の地で、突然の休止(閉鎖?)に追い込まれた銚子市立総合病院で、内科医として最後の最後まで踏みとどまり、銚子市民の健康を守りぬいた医師 松井みのる氏が、銚子市長選挙に立候補されました。
小樽市長選挙に出られた経験もある元小樽市議森井氏に、その実情をお伺いするにつれ、自分は「ひとごと」ではなくなりました。
松井みのる氏は、大きな挑戦をなさいました。先週の金曜日まで、内科医を勤め上げ臨まれました。
松井みのる氏と、銚子の街を、市立総合病院を再建する政策を訴えて、回りました。
松井氏は、夕張の病院を再建に成功に導いた長隆(おさ・たかし)氏とタッグを組んで、強いリーダーシップのもと、必ずや市立総合病院を再建くださると思っています。
銚子市立総合病院を再生した暁には、その再生モデルは、日本中の崩壊の危機にある地域医療再生にひとつの光明を与えてくれるのではないでしょうか。日本全国953ある自治体病院の約7割が赤字という中、それら病院の再生のひとつの模範となることでしょう。
選挙戦、他候補は、松井氏をさして、「行政のしろうとに市長を任せるのか。」「内科医をやっててくれれば、よかった。」と批判してきます。
私は、銚子市立総合病院の再生は、現場を知る人間である松井氏が市長となり、強力なリーダーシップを発揮して推進していくしかできないと思っています。
松井氏は、選挙カーを用いず、ハンドマイクひとつで戦っています。選挙カーは、騒音公害であるから、用いませんでした。
ハンドマイクから声がとどくと、銚子市民からは、非常によい反応が返ってきています。
ただ、6人が乱立した選挙です。リコールされた市長、その前の市長、市議会議員、リコール運動推進者などなど、名のある方々が相手の中、戦っています。
私は、松井氏が、市長となることを信じてやみません。
<松井稔(まつい・みのる)氏 経歴>
昭和39年生まれ(45歳) 島根県出身。
内科医師、医学博士。
島根県立浜田高等学校理数科卒業。
京都大学医学部医学科卒業。
神戸市立中央市民病院にて内科研修し、
京都大学大学院医学研究科病理系博士課程へ。
京都大学ウイルス研究所、東京大学薬学部、東京大学医科学研究所、 Dartmouth Medical School (米国)などで、研究。
平成19年11月~銚子市立総合病院内科医長、
千葉科学大学薬学部非常勤講師。
平成20年4月~千葉科学大学部特担准教授、
銚子市立総合病院内科嘱託医。
平成20年9月 銚子市立総合病院の休止の日まで、勤務。
平成20年10月~組合立国保成東病院、診療部内科、嘱託医。
平成21年5月 組合立国保成東病院退職、銚子市長選挙立候補
*私は、その分野に詳しくないのですが、「ムスカリン性アセチルコリン受容体の研究」では、広く知られていると報道されています。
5つのタイプがある受容体のそれぞれを持ち合わせない動物モデルを作成し、各タイプがどのような働きであるかを研究する道を開いた功績があるそうです。
****選挙戦を戦い終えて(5月16日記載)*****
松井氏の選挙手法には、度肝を抜かれた思いでした。
*選挙カーを持ちません。
*ハンドマイク一本です。(実は、声がなかなか届かずに、苦労しました。)
*選挙カーがないということは、松井みのる候補者がいるということの表示は、松井氏がかける「タスキ」のみ。
*選挙ぎりぎりまで、すなわち、先週の金曜日まで、内科医でした。
*選挙は、もともと、出ることを考えていたわけではなく、本人自身は、投票権がありません。(一票差で負けたら、泣きます。)
*移動のための車の運転は、候補者がしました。(何度もかわることを、すすめたのですが。。。)
*駅前を中心に、ひとりひとりに語りかける手法を多く用いました。
このような状態で、本当に選挙に勝つ気があるのかとマスコミは、批判したといいますが、勝つ気があるかどうかは、写真のご本人さんの顔を見ていただければ、一目瞭然だと思います。
松井氏の強み
*松井氏を心から慕う支援者が集まりました。
*すばらしい選挙参謀がいらっしゃいました。
*選挙参謀は、市長になってからの実務にむけた環境整備にも、選挙期間中から尽力いたしました。
*争点の市立総合病院再建に向けて、専門家がアドバイスくださいました。
さて、17日の結果は、如何に。
必ず勝つものと、そして市長となり、銚子市立総合病院を再建し、そのモデルは、全国の自治体病院の再生モデルになることを確信してやみません。
銚子市長選挙は、日本の地域医療を守るための大切な選挙戦であったと思います。