「まちが健康でなければ、そこで暮らすひとは健康になれない」
「法はひとを守るために存在する」
「政治が科学的真理をゆがめてはならない」
これらを三つを私は人生の命題として持っています。
科学的事実が、真実と反した場合、どのように判断していくべきか。
それでも、法は、ひとを守るために機能していくべきと考えます。
ひとつの考えさせられる事例がありました。
真実は、YがXを父親として23年間育てられたこと。
しかし、科学的事実のひとつであるDNA鑑定では、XとYの父子関係は存在しないということ。
大分地判 山口信恭判事は、「当裁判所」ではなく、「私」を主語とする学術論文のような判決を書き、DNA鑑定も100%信頼がおけるものではないとして、「Yが、Xに対し、Xが自分の父としての地位に立つことを要求するとことを、Xは拒むことはできない」という結論を出されました。(『民法Ⅳ』内田貴p.205)
「法はひとを守るために存在する」
そのことを表した一例であると思います。
山口判事に厚く敬意を表します。
【事案の概要】
Xは、Yを自分の子として出生届を出した親。
Yは、自分の子としてYに育てられた子。
Yは昭和四六年四月〈日付省略〉に出生し、XがA女と昭和四七年五月〈日付省略〉婚姻届出し、昭和五〇年五月〈日付省略〉YがXとA女との間の嫡出子として届け出られているところ、XとYとの間に血縁上の父子関係が存在しないことが判明したから、請求の趣旨記載のとおりの裁判を求めるというものである。
Yの主張
(1)原被告間には血縁関係は存在する、
(2)原告が昭和五〇年五月〈日付省略〉にした被告を嫡出子とする出生届の提出は認知の効力を有する、
(3)原告は被告の出生間近から父として被告を養育してきたものであり、被告は原告の本訴提起まで原告が父であると信じていたものであり、被告には原告以外に父は存在しない、
と述べ、請求棄却を求める。
<本件に関する事実>
甲一ないし甲一〇、甲一三ないし甲一七、乙一、証人A女、X本人、鑑定の結果によれば次の事実を認めることができる。
1 A女は、昭和四五年夏頃、Xと交際して性交渉を数回持った。同時期、〈会社名省略〉に勤務する男性とも性交渉を持った。この頃、A女はYを身ごもった。
2 A女は、昭和四六年四月〈日付省略〉Yを出産した。出産時のYの体重は一七〇〇グラムであった。A女の両親であるP1、P2は、A女が未婚であったため、Yを自らの嫡出子(次男)として届出をした。Yの養育はA女が行った。
3 Xは、A女との婚姻を強く希望し、A女に対し、Yを自分の子として育てるから結婚して欲しいと申入れた。A女が、YがXの子か〈会社名省略〉に勤務する男性の子か不明であると話すと、Xは〈会社名省略〉の男性に意思確認を試みた上、重ねてA女に婚姻を申入れた。A女はこれを受入れ、昭和四六年一一月からXとの同棲を始め、昭和四七年五月〈日付省略〉、XとA女とは婚姻届出をした。婚姻届出の際、A女はXからYを自分の子として認めることを改めて確認した。
4 Xは、A女と同棲を始めた当初から、Yは自分の子供であると心に決め、父親としてYに接し、幼いYを慈しんだ。
5 Yの戸籍はP1の籍に入ったままであったが、A女は、Yが幼稚園に入園する前に自分達の戸籍にYを入れようと考え、昭和五〇年初めころ、Xに、Yを自分達の戸籍に長男として入籍させることを相談し、Xはその旨了承した。右了承を得て、A女は、P1、P2を相手としてYとの間の親子関係不存在確認審判を家庭裁判所に申立て、昭和五〇年三月〈日付省略〉、右申立てを認める審判がされた。同年五月〈日付省略〉、A女が戸籍訂正申請をし、XがYをA女との間の嫡出子とする出生届をし、YはXを筆頭者とする戸籍に長男として入籍した。
6 その後、YはX、A女の元で成長し、小学校、中学校、高等学校に順次進学し、高等学校卒業まで二人の元に居た。この間、昭和五二年にXとA女との間に長女Cが出生し、Xは、Yと長女Cとを自分の子供と認識し、父親として二人に接してきた。Y、A女、X、長女Cの四人で形成される家族の中で、XはYと長女Cの父親として存在した。周囲の人間もXとYとは父子関係にあるものと認識、行動した。Xの両親もYを自分達の孫として遇した。自然、Yは、Xが自分の父であると感じ、自分の父とはXであると認識していた。
7 XとA女との夫婦仲は、Xが不貞行為を繰返したこと等から次第に悪くなり、昭和六一年ころにはほとんど気持ちが通わない関係になっていた。平成二年四月にYが就職して家を出た後、今度はA女の不貞問題が発生し、別居を経て、平成四年五月〈日付省略〉、XとA女とは協議離婚した。続けて、Xは、A女と不貞相手とを被告にして損害賠償請求訴訟を提起した。この訴訟において、A女はXとの関係を説明する陳述書を提出したが、その中で、「YはXの子でない。」と述べ、右を前提とする事実を記した。これを受けてXは、Yと父子関係がないことを明確にしようと考え、平成六年一二月、二三歳に成ったYを相手に本件訴訟を提起した。
8 Yは本件訴訟の提起に強い衝撃を受け、自分の言い分を明確に形作ることができず、裁判所に出席することは困難である。訴訟の進行に回避的にならざるを得ず、次項鑑定の結果を受け入れることはできない。一言で言えば、自分とXとの父子関係を否定するかも知れない手続を認めることができない状況である。
9 鑑定人〈氏名省略〉は、XとYとの親子関係鑑定依頼に対し、XとYの血液を採取し、血液型検査とDNAマイクロサテライト型検査を実施した。鑑定人は、血液型検査では、ABO型、MNS型、RH型、HP型、TF型、PGM1型いずれも父子関係が外見上成立するという結果が出たとした。DNAマイクロサテライ卜型検査では、ACTBP2座で不成立、D8S320座で不成立、THO1座で外見上成立、D14S118座で不成立で、二つ以上の遺伝座で父子関係が成立しなければ父子関係が存在しないことが証明されるから、父子関係が存在しないという結果が出たとした。鑑定人は、結論として、XとYとの間には父子関係は存在しないとした。
*****判決該当部分引用*****
四(字数の関係上、この部分は、下のブログで紹介します。)
五 判断
以上の検討を基に、原被告の法律上の父子関係の存否を判断する。法律の父子関係の一般的判断基準を立てるべきかも知れないか、私はその任に堪えないので、以上の検討を咀嚼して判断することとする。
前記認定事実のうち、XはA女と昭和四五年夏ころから複数回性交渉を持ち、昭和四六年四月にYが一七〇〇グラムで出生し(出生体重からすると懐胎期間は比較的短いと推測され、Xとの性交渉で妊娠したと考えても矛盾しない。)、Xは別の男性とA女との性交渉を知りながら、Yを自分の子として育てると約束してA女と生後七か月のYとの同居生活を始め、以後、Yを自分の子供として育て、昭和四七年五月にA女と婚姻し、Yが幼稚園に入園するに際し、Yを嫡出子として入籍する手続をすることに同意してYを嫡出子(長男)として入籍させ(幼稚園入園という新しい社会関係が生じる前にYとの親子関係を公示する手続をしたものと評価できる。)、小学校、中学校、高等学校と成長するYに対し一貫として実の父親として接し、このようなXの行為により、Yは物心ついて以来Xが自分の実の父親であると認識し、この点に何らの疑いを抱くことなく成長し、本件訴訟の提起を受けて著しく困惑し、Xが父親ではないという結論を受け入れる余地はない状態であり、本件訴訟の提起はXとA女との紛争に由来するものでYがXから不利益を受けなければならない事情は認められず、血液型鑑定では父子関係が存するとして矛盾しないという結論が出ているという事実に着目すれば、Yにとって、自分の父として認めうる相手はXしか考えられないものであり、Yが自分の父としてXを考えるのは当然と言わなければならない。そして、Yが、Xに対し、Xが自分の父としての地位に立つことを要求することを、Xは拒むことはできないと考える。私は、このYがXを父と考え、父としての地位に立つことを求め、Xはこれを拒むことはできないという関係を、法律上の関係として保護を与えるべき関係と考える。よって、XY間には法律上の父子関係が存在すると判断する。私は、遺伝子レベルでの血縁関係の存否は右判断に影響を及ぼさないと考えるか、念のため、DNA鑑定の結果は一〇〇パーセントの信頼がおけるものではないことを度述べておく。
以上の次第で、本件請求は理由がないから、棄却することとする。
(裁判官山口信恭)