「福島の事故は終わっていない。しかし、その痛みを都民に伝え切れなかった」。「脱原発」を訴え、猪瀬さんに敗れた前日本弁護士連合会会長の宇都宮健児さん(66)は、新宿区の事務所で振り返った。「有権者は石原都政に満足しているわけではない。それを票に結び付けられなかったのは、私の力不足。脱原発や反貧困は、これからも訴え続けなければならない日本の課題だ」と述べた。
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「被災地のことを一番に考えてくれる。優しい人なんです」。選挙戦最終日のJR渋谷駅前。宇都宮さんの隣で、福島県浪江町の馬場有町長(64)がマイクを握った。二万一千人の町民は今も避難生活を続け、全国に散らばったままだ。
3・11後、日弁連会長として現地に繰り返し入り、被災者に話を聞いた。震災翌月、八十六歳の母親が亡くなったのを聞いたのも、福島から帰京する深夜バスの中だった。
脱原発のうねりを「ただのセンチメント(感傷)」と片付け、共感を示さなかった石原前知事。その辞職表明の翌日、市民団体から出馬を要請された。「弁護士は目の前の一人を助けることしかできない。多くの人を救うには、政治を動かすしかない」と即断した。
弁護士として社会の弱者に尽くしてきた。貧しい農家に育ち、傷痍(しょうい)軍人の父の恩給で進学できた。社会の片隅で泣く人たちが、昔の自分に思えた。
市民団体から支援の申し出が相次ぎ、勝手連は五十以上。脱原発を訴える母親が駅前でチラシを配り、かつて弁護を担当した多重債務被害者がカンパを集めた。集会の会場に向かう時、「以前に世話になった」と、居合わせたホームレスの男性が道案内役を買って出た。
選挙戦を締めくくった十五日夜のJR新宿駅西口には、路上を埋め尽くす人の熱気があった。ある支援者は「力を合わせれば、世の中を変えられると信じられるようになった。これからも脱原発運動を続ける」と話した。
(東京新聞)