大きく流れが
変わるのではないでしょうか?
都民に約束をしたことが行われていない「信用」を無くした豊洲新市場へ移転という誤った政策を、是非とも正していただきたいと考えます。
東卸には、移転を止める力があります。
********日経新聞*****************
移転慎重派が理事長当選 築地市場の水産仲卸組合
2017/1/31 13:18
東京都中央卸売市場築地市場(東京・中央)の水産仲卸で組織する東京魚市場卸協同組合(東卸)は31日の理事長選で移転慎重派の早山豊氏が現職の伊藤淳一氏を破って当選し、就任した。任期は2年。
理事長は30日に選ばれた新理事の互選で決まった。豊洲市場(東京・江東)の地下水モニタリングで国の環境基準を大きく上回る濃度のベンゼンが検出された後、理事会で移転慎重派が優勢となった。
東卸は約550の組合員が所属する築地市場の一大勢力。移転慎重派の理事長当選が豊洲市場をめぐる議論に影響する可能性もある。
*****関連 女性自身****
その藤田氏が、最も難しい問題のひとつ生前退位について、考えを法律家として述べられています。
方向性を考えるにあたり、一読をすべき論説だと思います。
***********朝日新聞20170118 13頁*************************
(インタビュー)退位のルール 元最高裁判事、東北大学名誉教授・藤田宙靖さん
2017年1月18日05時00分
天皇陛下の退位をめぐり政府が設けた有識者会議は、23日の会合で「論点整理」を公表する見通しだ。いまの陛下に限って退位を可能にする特別法の制定が軸になるとみられるが、元最高裁判事の藤田宙靖さんは疑問を投げかける。陛下と接する機会もたびたびあった藤田さんに、憲法と天皇の関係や退位のあり方について聞いた。
――これまでの議論をどのように評価しますか。
「最初におことわりしておきますが、私は天皇制の専門家ではありません。ただ、公法学者や裁判官としての50年の経験に照らして、いま伝えられている政府および有識者会議の方向性には、大きな違和感を覚えています。法律家にとっての常識からすればこう考えるべきではないか、というところをお話ししたいと思います」
――大きな論点は立法の方式です。皇室典範を改正して退位に道を開くのか、それとも今の陛下限りの特別法によって行うか。
「憲法は『皇位は(略)国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する』と定めています。退位を認めるには典範改正が必要だという主張がありますが、私は特別法でも可能であろうと考えます。憲法がいう『皇室典範』とは一種のカテゴリーであって、特別法やそれ以外の付属法令を含めたものをさすとの理解は不可能ではありません。また、そもそも今の陛下の退位という個別事例に限った立法が許されるのかとの議論もありますが、この点についても、平等原則など憲法がほかに定める規範に抵触しない限り、対象が個別的であるからといって、そのことだけから違憲だとは言えないでしょう」
「ただ、私が強調したいのは、退位を特別法によって実現しようとするのであれば、その法律は必ず、今後の天皇にも適用されうる法的ルールを定めたものでなければならないということです」
――なぜでしょうか。
「憲法がわざわざ『皇室典範』と法律名を特定して書いている背景には、安定的な皇位継承のためには明確な法的ルールが必要であり、政治状況や社会状況に応じて、時の政権や多数派の主導による安易な代替わりがあってはならないという意味が込められていると考えるからです。皇位継承のあり方は政治にとって最もセンシティブな問題の一つです。かりに特別法が、『今上天皇は何年何月何日に退位する』といった内容の規定にとどまる場合、憲法の趣旨に反するものとして、違憲の疑いが生じると思います」
「退位に至る陛下固有の事情を説明した後に『よって退位する』という構成の特別法にするとの報道がありました。しかし、そのような『歴史の叙述』は『ルールの設定』ではあり得ません」
――どんな「ルールの設定」が考えられるでしょうか。
「欠かせないのは、(1)天皇の退位の意思(2)高齢・健康など象徴としての務めを果たすことが困難な客観的事情(3)その事情の存在を認めるための皇室会議などの手続きです。このほか、(4)皇嗣(跡継ぎ)の年齢など皇位継承の準備が十分に整っていることも考慮されるべきでしょう。典範改正に先立ち、これらを特別法で定めることが難しいとは思えません。定年のように『退位させる』ための要件ではなく、『退位を可能にする』ための要件設定なのですから」
――有識者会議では「要件を書くと強制退位や恣意(しい)的退位の根拠として硬直化し、象徴天皇制と政治のあり方を動揺させる」などの指摘があったようです。
「その意味が全く理解できません。常識から考えれば、むしろ、その逆ではないかと思います。公表されているのは議事の概要にとどまり、詳細はわかりませんが、ともかくルールは定めないという結論が先にあっての、ためにする議論ではないでしょうか」
■ ■
――最高裁判事のころ、長官代行として宮中の行事に出席し、天皇陛下や皇族方と話す機会もたびたびあったそうですね。
「直接お目にかかるようになって、天皇の公務とはこういうものなのかと初めて知りました。『高裁長官のお話と午餐(ごさん)』の会に同席した際は、天皇陛下が前もって準備され、鋭い質問をされることに驚きました。すべての会合に同じように対応しておられると聞き、公務に誠心誠意臨んでおられることがよくわかりました」
「最高裁判事を退任する際、ごあいさつする機会がありました。退官後何をするかについてご質問がありましたので、『どこにも勤めず、やりたいことをやろうと思います』とお話ししたところ、陛下が『あなたのような人がそれではいけないのではないですか』とおっしゃったのには恐縮しました。ご自身の一存では辞められない、天皇という地位の厳しさを垣間見たような気がいたします」
■ ■
――「天皇は存在するだけで価値がある」などとして、退位に反対する意見があります。
「日本国憲法下における『象徴』の意味についての理解の違いなのでしょうが、私の眼(め)からすれば、退位を認めないとは、職責を果たせなくなっても、また本人の意に反しても、象徴として世にあり続けるのを強いることです。人道的な問題が生じるのではないでしょうか。天皇は神ではなく、ひとりの人間なのですから」
――昔から天皇に人権はあるのかという議論がありますね。
「公務員がその地位に伴って活動に一定の制約を受けるように、天皇という地位にある方の基本的人権も制約されざるを得ません。しかし、最低限度の人権、つまり人間の尊厳、個人の尊厳まで奪われていいはずはありません。陛下の近くにうかがう経験を得て、天皇の地位を生身の人間が務めることの大変さを、いささかなりとも感じられた気がします」
――昨夏のお言葉でも、「個人として考えてきたことを話す」という箇所が印象に残りました。
「法的地位と、その地位にある個人とは分けて考えるべきです。お言葉は、憲法に定められた天皇という地位にある明仁という方が、象徴とはどのようなものかをご自身として考え、お気づきになった問題点について説明し、国民に理解を求めたものだった。そう受けとめています。天皇としての説明責任を果たされたと言うこともできるのではないでしょうか。お言葉に対し、憲法が禁じる天皇の国政への関与につながりかねないとの批判もありますが、そのようにとらえるのは法理論的には全くの筋違いというべきです」
「そして、『陛下の問題提起をきっかけに国民自身が考え、今後のために退位の法的ルールを定めた』ということであれば、お言葉と退位との間にワンクッション置かれたことになり、国政関与の問題も起きません。しかし『陛下が辞めたいとおっしゃるから、一代限りで退位を認める』という、いま政府や有識者会議がとろうとしているルール不在の議論では、クッションが外され、お言葉と政治が直接結びついてしまいます。その意味でも禍根を残すのではないでしょうか」
■ ■
――陛下が大切だという「象徴としての務め」に関しては、たとえば被災地訪問にしても、あそこまでやる必要はない、世襲である天皇制に能力主義を持ち込むことになるとの疑問もあります。
「憲法によって、天皇は国民統合の象徴と位置づけられました。しかし、象徴の地位にある者が具体的に何をすべきかの明確な定めはなく、陛下は自らそれを探り、判断し、実行しなければならなかったのです。ある法的地位にあることに伴う必然的な行動でした。それを、憲法は何も要請していないのに勝手に仕事を広げていったなどと批判はできません」
「そうして積み重ねられた陛下のおこないを、国民の多くは天皇の公的行為の一部として支持してきました。市井の人びとと直接、積極的に触れあい、戦災や震災で亡くなった人の慰霊・追悼をし、現地で被災者の手をとって寄り添う。その姿は、国民主権の下で民主制を採用する憲法にマッチするものでした。国家はさまざまな『罪』を抱えこんだうえに成り立っていますが、陛下は『象徴』として、それを自ら原罪として背負い、いわば贖罪(しょくざい)の旅を続けてこられたように、私には見えます」
――「全身全霊で公務に当たってこそ」という陛下の天皇観は、次代の天皇への過剰な期待と重圧を招かないでしょうか。
「最高裁の判例も、時代に応じ、世に応じて変遷するものです。裁判官はその時どきの具体的状況や事案を踏まえて判断します。先例は参考にするものの、金科玉条とすることはありません。それと同じです。むろん、いまできあがっている象徴天皇像がありますから、すぐに大きく変わることはないでしょう。しかし、たとえば国民のために祈ることが最も重要な務めであるという同じ前提に立ったとしても、その方法は天皇お一人お一人によって多様な形やスタイルがあり得ますし、おのずからそうなっていくだろうと思います」(聞き手 北野隆一、渡辺雅昭)
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ふじたときやす 1940年生まれ。専門は行政法。東北大教授を経て2002~10年、最高裁判事を務める。著書に「行政法総論」「最高裁回想録」など。
本日1/31の日経新聞は、地方議会のありかたについて、江藤俊昭・山梨学院大学教授の有意義な提言が掲載されています。
大事と思う部分を抜粋します。<>の見出しも、私なりの解釈の上での見出しです。
<議会のあり方の3つの原則>
現行の地方自治制度の下での議会の新たな役割、議会と首長の新たな関係を模索すべきだ。議員も首長も直接住民が選挙する現行制度では、一方の極に、議会と首長が癒着することで議会が追認機関化し役割を果たせない経営がある。他方の極に、議会と首長が激しい対立をただ繰り返す経営がある。前者は監視が効かず、後者は不毛な対立が日常化し、どちらも住民福祉に逆行する。
両極とは異なるもう一つの方向を探るべきだ。
それは最近広がりをみせている議会基本条例の中に刻まれている。
①閉鎖的な議会から住民に開かれ住民参加を促進する住民と歩む議会、
②質問・質疑だけの場から議員間討議を重視する議会、
③それらを踏まえながら追認機関ではなく首長などと政策競争をする議会、
という3つの原則だ。
<PDCAサイクルのありかた>
その新たな地域経営を住民福祉の向上につなげる必要がある。総合計画を地域経営の軸として位置づけるとともに、議会も監視や政策提言を積極的に担うようになった。議会が直接住民の声を聞きながら、監視や政策提言に生かすという「議会からの政策サイクル」だ。これは決算審査・予算要望や条例案の提出・審査にも生かされている。
行政改革で流布しているPDCA(計画・実行・評価・改善)サイクルは重要だが、地域経営でのPDCAサイクルの活用は知らないうちに行政的発想へと移動することに留意する必要がある。
新たな地域経営では、討議空間である議会を位置づける必要がある。PとDの間に2つのD、討議(deliberation)と決定(decision)を組み込むことだ。地域経営でPDDDCAサイクルを創り出さなければならない。まさに住民参加も含めて討議し決定する空間を創り出すことであり、それを担うのが議会だ。
<留意点>
ここで注意したいのは、最善の地方自治制度というものはなく、ベターな制度を意識的に選択する意思が必要とされるということだ。どんな制度でも問題を内包していることを自覚する必要がある。
もう一つは、市民社会に政党が根づいているかどうかを考慮し選挙制度や政党制と連動させることだ。仮に都道府県で議院内閣制が可能となり議員選挙を比例代表制にしたとしても、政党自体が分権化しなければ実質的な中央集権制は継続する。現時点では町村で政党選挙はなじまない。
この2つの留意点を踏まえない提案は単なる空想となる。ともかく中長期的には、自治憲章・市憲章などで地方政府形態(自治体の基本構造)を住民が選択できる抜本改革も視野に入れるべきだ。