まちが健康でなければ、ひとは健康になれません。
ひとが健康になるまちづくりを、目指していきたいと思います。
「まちづくり=大規模再開発」という呪縛から解き放たれた、あたらしい都心再生居住モデルをここ中央区から始めることができないものだろうか。
まちが健康である必要性と関連した論説がございましたので、掲載します。
****朝日新聞(2010/04/01)「記者有論」****
虐待と生活者 隣人への想像力があれば・・・・
論説委員 真鍋弘樹
そのアパートの住戸に、表札はいっさいかかっていない。2階の一室の前には、小さな花束とカードだけが置かれていた。
「天国で幸せになってね」
奈良県桜井市で先月、5歳の吉田智樹君が、満足に食事をあたえられずに餓死した。家族が住んでいたのは、1ヶ月単位の入居も可能な、敷金礼金不要のワンルーム賃貸住宅だった。
智樹君は、ハシゴで上がる物置のような「ロフト」に、2年近く寝かされていた。大人は立ちががることができないほどの近い天井を、小さな目でじっと見つめ続けていたのだろうか。
階下の住人は子どもの泣き声と物音を聞き、アパートの管理会社に連絡をしていた。だが、会社側の記録に残っていたのは「騒音に関する苦情」だったという。壁に囲まれた小部屋で5歳児が発した声は、近隣トラブルとして処理されていた。
子どもの声や、普通の生活に伴う声が“騒音”となる社会に私たちは住んでいる。東京都西東京市で2007年、公園の噴水で遊ぶ子どもの声がうるさいという近隣住民の訴えにより、裁判所が噴水の使用を差し止めたのは記憶に新しい。
東京都国分寺市の遠藤茂さん(61)も10年以上前から、子の足音や風呂場の音などをめぐるトラブルに巻き込まれてきた。マンション全戸の半数に苦情のビラを入れる住人がいたのだ。
これをきっかけに遠藤さんは署名活動を始め、生活音による隣人トラブルを防止する条例が施行された。「普段から近所づきあいがあれば、気軽に話し合って終わる話なのだが・・・」
この国では、煩わしさに対する「耐力」が低下し続けているのではないか。こう指摘するのは、騒音ジャーナリストを名乗る橋本典久・八戸工大大学院教授だ。「近所づきあいも子どもも煩わしい。できるだけ遠ざけたいという人が増えている」
古来、日本人は木と紙の家に住んできた。戦後になって団地が生まれ、郊外のニュータウンやワンルームマンションへ。煩わしさから逃げ続け、たどり着いたのは、人間関係を断ち切る繭のような住まいだった。
児童虐待を見過ごす一方、隣人が発するささいなノイズに心を毛羽立たせる。共通するのは壁の向こう側にいる生身の人間への、想像力の欠如だろう。
保護責任者遺棄致死罪で起訴された智樹君の母親は、児童相談所に連絡した際、こう思ったと供述している。「自分も子どもも助けてもらえるかも」
我が子への虐待という地獄から抜け出したい、と心の隅で思っていたとしても、それを受け止める“煩わしい”近所付き合いは存在していなかった。
この半世紀、私たちは住まいだけでなく、心の中にも壁を作り出した。無関心という壁が隔てる人間関係のすき間に今、多くのものが吸い込まれている。
幼い子どもたちの命さえも。
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ひとが健康になるまちづくりを、目指していきたいと思います。
「まちづくり=大規模再開発」という呪縛から解き放たれた、あたらしい都心再生居住モデルをここ中央区から始めることができないものだろうか。
まちが健康である必要性と関連した論説がございましたので、掲載します。
****朝日新聞(2010/04/01)「記者有論」****
虐待と生活者 隣人への想像力があれば・・・・
論説委員 真鍋弘樹
そのアパートの住戸に、表札はいっさいかかっていない。2階の一室の前には、小さな花束とカードだけが置かれていた。
「天国で幸せになってね」
奈良県桜井市で先月、5歳の吉田智樹君が、満足に食事をあたえられずに餓死した。家族が住んでいたのは、1ヶ月単位の入居も可能な、敷金礼金不要のワンルーム賃貸住宅だった。
智樹君は、ハシゴで上がる物置のような「ロフト」に、2年近く寝かされていた。大人は立ちががることができないほどの近い天井を、小さな目でじっと見つめ続けていたのだろうか。
階下の住人は子どもの泣き声と物音を聞き、アパートの管理会社に連絡をしていた。だが、会社側の記録に残っていたのは「騒音に関する苦情」だったという。壁に囲まれた小部屋で5歳児が発した声は、近隣トラブルとして処理されていた。
子どもの声や、普通の生活に伴う声が“騒音”となる社会に私たちは住んでいる。東京都西東京市で2007年、公園の噴水で遊ぶ子どもの声がうるさいという近隣住民の訴えにより、裁判所が噴水の使用を差し止めたのは記憶に新しい。
東京都国分寺市の遠藤茂さん(61)も10年以上前から、子の足音や風呂場の音などをめぐるトラブルに巻き込まれてきた。マンション全戸の半数に苦情のビラを入れる住人がいたのだ。
これをきっかけに遠藤さんは署名活動を始め、生活音による隣人トラブルを防止する条例が施行された。「普段から近所づきあいがあれば、気軽に話し合って終わる話なのだが・・・」
この国では、煩わしさに対する「耐力」が低下し続けているのではないか。こう指摘するのは、騒音ジャーナリストを名乗る橋本典久・八戸工大大学院教授だ。「近所づきあいも子どもも煩わしい。できるだけ遠ざけたいという人が増えている」
古来、日本人は木と紙の家に住んできた。戦後になって団地が生まれ、郊外のニュータウンやワンルームマンションへ。煩わしさから逃げ続け、たどり着いたのは、人間関係を断ち切る繭のような住まいだった。
児童虐待を見過ごす一方、隣人が発するささいなノイズに心を毛羽立たせる。共通するのは壁の向こう側にいる生身の人間への、想像力の欠如だろう。
保護責任者遺棄致死罪で起訴された智樹君の母親は、児童相談所に連絡した際、こう思ったと供述している。「自分も子どもも助けてもらえるかも」
我が子への虐待という地獄から抜け出したい、と心の隅で思っていたとしても、それを受け止める“煩わしい”近所付き合いは存在していなかった。
この半世紀、私たちは住まいだけでなく、心の中にも壁を作り出した。無関心という壁が隔てる人間関係のすき間に今、多くのものが吸い込まれている。
幼い子どもたちの命さえも。
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