北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ジェネリック医薬品を使ってみる

2014-04-10 23:22:23 | Weblog

 北海道はそろそろシラカバ花粉の季節ということで、早目にいつもお世話になっている耳鼻科へ行ってきました。

 今年のシラカバ花粉は昨年よりも多く飛ぶそうです。

「三年周期なんだよね。一昨年が少なくて去年は平年並みだったので、今年は飛ぶよ」とはお医者さんの弁。今年は覚悟しないとダメかな。

「いつもの薬は効いていますか?」
「効いているような気がしますが、他の薬を使ったことがありませんからね」

「そうだねえ、まあ冒険することもないか」

 新しい薬は結構出ているようですが、それらに替えたらどうなるか、その先がよくわかりません。

 結局は昨年もらったのと同じ薬にしてもらいました。

「ところで先生、その薬にはジェネリック医薬品もあるのでしょうか」
「ああ、あるとおもうなあ、どれどれ…」

 手元のパソコンでカチャカチャと探して、「ありそうだね。処方はジェネリックでも良いように書いておくので、薬局で効いてみてください」ということでした。

「先生、そのジェネリックだと今までの薬と何が違うんでしょうか」
「主成分は変わりませんね。ジェネリックはよく饅頭にたとえるんだよね」

「饅頭ですか?」
「そう。あんこは同じ、でも皮の部分が違いますってね。主成分は同じでもそれの溶け方とか体への吸収のされ方などが微妙に違います」

「ジェネリックでもどれが良いとかあるのでしょうか」
「それが、薬ごとにどういうことになっているのかを薬剤メーカーが教えてくれないのよ。『厚労省から教えないように言われています』と言われてね。でも国は薬剤費を安く抑えたいはずだから、ジェネリック大歓迎だと思いますよ」


 なるほど。この先生、会話が好きなので何を訊いてもポンポンと答えてくれます。ついでに鼻洗浄の事も訊いてみました。

「先生、鼻洗浄はどうなんでしょうか?」
「あー、薦めませんねー」

「え?ダメですか?」
「うん、やらない方がいいね。鼻粘膜を傷めますから」

「塩水ならいいとかお茶が良いとか…」
「お茶は論外、やるならせいぜい体温と同じ温度の塩水だね。だって鼻腔は空気が通るべきところなんだから、水が満たされるようになっていないんだもの。だから粘膜を傷めるというのが通説ですよ」

 鼻洗浄って、やってみると花粉が洗われて案外すっきりするような気がするのでまめにやる方だったのでちょっとショック。

 これからはほどほどにします。


    ◆   


 とりあえず、鼻炎の飲み薬と目薬を処方してもらって近くの調剤薬局へ行きました。

 そこで「お医者さんからジェネリックがあるかどうか訊いてごらんと言われたんですが…」と伝えると、「ちょっとお待ちくださいね」と調べてくれました。

 すると、「ジェネリック医薬品はあるのですが、今手元にありませんので取り寄せて明日の午後には届くと思います」とのこと。

 なるほど、調剤薬局も患者さんに言われなければ敢えてそれで出すようにはなっていないようです。

 国の医療費がどんどん増えていることを思えば、患者の側も少しでも安い医薬品を使いたいものですね。

 

 

 

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「獺祭(だっさい)」を巡るお話~今月号の致知より

2014-04-09 23:18:53 | Weblog

 今月号の致知に、大人気の日本酒「獺祭(だっさい)」を製造・販売する旭酒造社長の桜井博志さんのインタビュー記事が掲載されていました。

 旭酒造は山口県の獺越(おそごえ)という山奥の江戸時代から酒造りを行ってきた酒蔵ですが、そこには社長の桜井さんのしっかりした経営方針があるようです。

 「おいしい酒、味わう酒 その一点を求め続ける」と題された記事の一部をご紹介します。


     ◆   ◆   ◆


◆旭酒造さんがつくられる「獺祭」は人気が高く入手困難と言われます。日本酒業界が年々縮小する中、勢いよく成長していると伺っています。

桜井:本当にありがたいことです。私が社長に就任した昭和59年は社員が十名、売り上げは97百万円程度でしたが、現在は社員数約百名、昨年は売上39億円を計上するまでになりました。
 人気の秘訣と言われますが、まずはなんといっても品質ですよね。当社のブランドは「獺祭」一本、日本酒の最高峰とされる純米大吟醸にこだわって作り続けてきました。

 …

◆社長になられたのが昭和59年というとおいくつの時ですか。

桜井:三十四です。私は一旦はこの旭酒造に入ったものの、経営方針を巡って親子喧嘩してしまい、「おまえ、出ていけ」「ああ、出ていってやるよ」ということで、勘当同然で出ていき、自分で石材の卸会社を起こしました。
 しかし五年後、父が急逝したので、石材の会社を清算して家業に戻ってきました。


◆社長に就任された当時の会社の状況はいかがでしたか。

桜井:いやぁ惨憺たるものでした。日本酒業界では一升瓶十万本を一千石と表しますが、最盛期の昭和48年に当社は二千石売れていたのが、私が継いだ59年には三分の一の七百石まで落ちていました。しかも前年比85%の減少です。

◆どんどん悪化していた?

桜井:はい、獺越周辺は過疎化が進み、戦後三千人いた人口も五百人まで減っていました。もうこの周辺だけではやっていけません。仮に父が経営を続けていても、あのままいったらおそらく四、五年で会社を清算することになっていたでしょう。そのぐらい、圧倒的な「負け組」でした。

 しかし不思議なもので、ここまで業績が悪いと社内に危機感やモラールはなくなるんですね。
「何でうちの酒は売れんのや」「日本酒業界全体が衰退していますから」
「灘の大手の酒は売れとるやないか」「大手は宣伝費をバンバン使っていますから」
「(同じ山口の)岩国の酒蔵も売れとるじゃろ」「岩国は街ですから」…

 売れない理由だけは理路整然と帰ってきます(笑)。しかし、売れなければ会社がなくなるということは全く頭にない。

◆大変な苦境の中で経営を引き受けられたのですね。

桜井:深刻だったのは肝心の酒造りです。今旭酒造と言えば純米大吟醸というイメージが定着していますが、当時は普通酒が主力で、品質なんて二の次でした。それというのも、一級酒以上の酒造りは大手メーカーがやることで、地方のメーカーは二級酒というのが一般的だったんです。

 また、伝統的に酒づくりは杜氏(とうじ)とその下で働く蔵人(くろうど)集団が行っています。彼らの本業は農家などで、農閑期になると酒蔵に来て、酒づくりを行うのです。オーナーである社長は彼らの酒づくりに口出しをせず、販売に徹するのが今でも慣例なんですね。

◆経営者が口出しできない?

桜井:おかしいでしょう。それでも私は、当時いくつか地方の蔵で純米大吟醸を出してきたので、「うちもあんな酒をつくりたい」と杜氏に言ったんです。すると、「純米大吟醸は難しい、大変だ」と返ってくる。そんなやり取りをしばらくして、どうやらうちの杜氏は純米大吟醸がつくれないんだな、と分かりました。

◆それでどうされたのですか

桜井:紹介してくださる方があって、翌年から新しい杜氏に来てもらいました。優秀な杜氏で、彼が来てくれたことでどうにか純米大吟醸らしき酒がつくれるようになりました。それがいまの「獺祭」のベースになっています。

◆しかし、そこから普通酒を捨て、純米大吟醸に絞る決断をされたのはどういう思いからですか。

桜井:いや、全然決断していないですよ。とにかくあらゆる試行錯誤をしたんです。その一つですよ、純米大吟醸も。
 結果的には純米大吟醸に絞られましたようになりましたが、そんな恰好のいいものじゃなくて、悩んで、迷って、引きずって、ようやく出した結論でした。

◆「獺祭」で手応えを感じ始めたのはいつ頃ですか

桜井:「獺祭」は平成に入ってすぐから始めていますが、そこから六、七年経った頃でしょうか。
「獺祭」は始めから東京の市場に出ていきました。うちのような小さな蔵は、「人口十万人の岩国で何パーセント押さえる」というような小さな市場でシェア競争をしたら絶対に勝てません。それは経験から分かっていました。それならもっと大きな市場に出ていくしかない。東京進出も追い込まれたからこそ生まれた苦肉の策でした。

 そこから少しずつ軌道に乗り始めましたが、平成十年頃、一度踊り場に陥るんですね。当時は東京の卸業者を使っていましたが、納入しようとすると「そんなに売れないから要らない」という。
 一方、卸先である酒屋さんからは「最近『獺祭』を入荷してくれない」という声が聞こえてきました。おかしいでしょう?

◆なぜだったのですか?

桜井:結局、業者が止めていたんです。卸業者は一つの商品だけを突出して売るより、仕入れたものを万遍なく売りたいわけです。
 また、中抜き商売だから蔵本と酒屋が密接に結びつくことを好まない。そうすると情報も入ってきませんから、いろいろな判断から卸業者との取引をやめて、直取引を始めました。

 当時当社の売り上げが二億円のところ、その一社で七千万円の取引がありましたから、大きな決断ではありました。けど、結果的にはそこから売り上げが大きく伸びたんです。

◆大きな転機となったのですね。

桜井:転機と言う意味ではちょうど同じ頃地ビールづくりに挑戦したのですが、これは大失敗に終わりました。ビール造りの認可を得るときにレストランも経営するように条件づけられたんです。そこで二億四千万円を投資して、レストランとビール製造の設備を整えましたが数カ月で資金繰りに苦しむようになり、撤退に追い込まれました。
 そして「旭酒造は潰れる」という噂を聞いた杜氏と蔵人たちは別の蔵に移って、その冬の仕込には戻ってきませんでした。

◆え?戻ってこなかった?酒づくりはどうされたのですか。

桜井:もう、じぶんたちでやるしかないな、と。確かに杜氏たちが来ないと聞いた時はショックでしたし、新しい人を探さなければいけないとも思いました。しかし、これまでも業界の慣例を無視して、私はもっとこうしてほしい、ああしてほしい、といろいろと注文を出してきました。杜氏もそれを受け入れて一緒につくってきましたが、もう一度そんな関係を一から築くことが億劫でしたし、それをよしとする杜氏が現れるかわかりませんからね。

◆それで自分たちで作ろうと決意した

桜井:はい、社員たちがフル稼働で酒づくりに挑戦しました。もう毎日とんでもない失敗ばかり起こって可笑しかったですよ(笑)
 その年から杜氏制度を廃止して、自社社員による酒づくりが始まったのですが、おかげで冬場だけでなく、年間通じて酒づくりができる体制を敷くことができました。蔵内を年中5℃に保つような設備投資もしましたが、生産能力がぐんと伸びました。

◆ピンチを飛躍のきっかけにされたのですね

桜井:何より私がつくりたいように酒がつくれることが大きかったですね。社長の方針のとおりに会社が動くようになった。それがいまの「獺祭」に繋がるもう一つ大きな転機だったと思います。

 来年には本蔵の改築が完了し、五万石の生産が可能になる予定です。品切れでご迷惑をおかけしているお客様にも少しは喜んでいただけるようになると思います。
 私ども旭酒造の焦点はお客様の幸せ、ただ一つです。どこまでも自分たちの信じる酒づくりをして、お客様の幸せに寄与できる酒蔵でありたいと思います。


   (記事ここまで)

   ◆   ◆   ◆

 新しい蔵がもうすぐできるそうです。なかなか手に入らない獺祭ですが、少しは口に入るようになるかもしれませんね。

 でもこういう話を知るとお酒の味も少しは変わって感じられるかもしれませんね。

 

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建物のつり天井の耐震性強化~むかしやっていたアルバイト

2014-04-08 23:52:41 | Weblog

 今夜のNHKクローズアップ現代は、『多発する!天井落下に潜むリスク』というタイトルで、建築内装のつり天井の危険性を指摘していました。

 つり天井とは、軽量鉄骨天井と言われ、天井から金属ボルトで金属製の金物で下地を作りそこにボードを張る形で作られています。


  【クローズアップ現代より(以下写真、同じ)】

 実は大学生のころ私は夏冬の長期休みに入るとこの天井下地作りのアルバイトを四年間ずっとしていたのでした。

 今回地震による天井落下被害を見るにつけ、その下地の作り方は私がやっていた35年前のアルバイトの時と全く変わっていません。

 それだけ技術的には確立したやり方だったということなのでしょう。とても懐かしい光景でした。


    ◆    ◆    ◆

 

 クローズアップ現代では、構造の説明からその弱点をしっかりと押さえていました。

 金属の下地は、天井からボルトが下がり、そこにチャンネルという部材を取り付けその下にバーと呼ばれる部材をクリップと呼ばれる金具で取り付けます。

 しかし地震などによってそれがゆすられるうちに曲げているところが次第に開いてはずれてしまい、それが数多くなると取り付けているボードの重みを支えきれずに落下するという事故に繋がります。

 そもそも天井は内装の一部とされて、構造体のように耐震性を確保する必要のない部分とされていて、耐震基準もありません。

 しかし体育館やプール、ホールなど、大面積で高いところから部材が剥がれ落ちたりすると、その衝撃はかなりのもので、そのリスクは見過ごされてきたと言えます。

 実験で、天井板を4mの高さから落としてみたところ頭蓋骨が骨折するほどの衝撃があったと言います。

 上記で述べたクリップが外れて天井材が落ちるという事象に対して、国土交通省では新しい安全基準を作成しました。

 しかし新基準が適用されるのは、一定の高さや面積で、四月以降新築もしくは増築されるものだけ。既存のものには遡及して適用はしないのです。

 そして新基準の内容は、部品の強度とねじ止め、斜め材による補強、天井と壁の間に6センチ以上の隙間をとることの三つ。

 そこでの課題は、手間が4倍近くかかることとそれは工期や人件費に跳ね返ります。

 また新基準でやろうにも、既存の天井を補強することがスペースの関係で難しい事例もあるといいます。

 文科省では、修理するよりも撤去することで安全を優先する措置を取っています。

 また、劇場など遮音性など音の要素を強く求められる建物内部では、隙間をあけなくてはならないという決まりによって、音響性能を確保することへの取り組みが求められることになります。

 
 天井は、その上に空調のダクトや電気の配線などが走っていて、それを隠す美観効果、また音をはね返す音響効果、断熱などの効果が期待できるところなので、安全のためになくても良いのか、ということになると、課題が残ります。

 重たいボードでなくて、軽くて強い膜などの素材を使うということは一つのアイディアですが、燃えないという面でやや不安が残ります。
 
 これからの安全安心な建物内部の大きな課題と言えるでしょう。


   ◆   ◆   ◆


 私が若い時やっていたアルバイトでは、「内装工事のアルバイト募集」とあったので、行ってみたところ、最初にやらされたのは脚立と足場板を運んで室内に足場を組むことばかりでした。

 一緒に入った若者の中には、「内装業」と言われてクロス貼りのような軽い仕事をイメージしてきたのに重たい足場運びだったことに閉口して早々にやめていった者もいました。

 少し続けて慣れてくると、自分にも下地を組ませてもらったりして、新築マンションやデパートの中を作ったことも多くありました。

 今でも残っている当時のマンションを見ると懐かしくなって、モノ作りはいいな、と思うのです。

 さて、技術的には確立していたはずの軽量鉄骨天井ですが、より強い耐震性と美観性、耐久性、経済性などを求められて新しい技術開発も行われることでしょう。

 ちょっと懐かしいクロ現の番組でした。

 

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じゅういちぶんのいち~青春サッカー漫画

2014-04-07 23:45:33 | Weblog

 「1/11 じゅういちぶんのいち」という漫画をご存知でしょうか。

 元々は集英社の『ジャンプSQ.19』で連載が始まったサッカー漫画で、原作は中村尚儁(なかむらたかとし)さん。現在コミックで8巻が出ています。

 この手の漫画は、娘が最新の情報を知っていて買ったのを借りて読んでいるもの。

 物語は、主人公でサッカーの天才少年である安藤ソラを中心に展開されますが、基本的には一話完結かまたは二話完結スタイルで、彼だけではなく彼を取り巻くサッカーチームの中の一人一人の物語の積み重ねで構成されています。


 【以下、ややネタバレ注意】

 主人公の安藤ソラは、子供の時に近所では敵なしのサッカー少年として過ごします。そんな仲間の一人に、"ツヨシ"という子供がいました。

 ツヨシはとてもサッカーが下手なのですが、一番上手なソラになついていて、あるときこう話しかけます。

「…前からずっと思っていたんだけどさ…、ソラくんならきっと、プロのサッカー選手になれるよ」

 その言葉を嬉しく思ったソラはそれをきっかけに街のサッカークラブに入り、ドリブルに磨きをかけてチームのエースになって行きます。

 しかし中学校に入ったころから身長が伸びなくなり、試合でもドリブルで相手を抜けなくなり伸び悩むようになりました。

 そして中学校最後の試合で、日本代表候補のエースを有する相手チームに大差で敗れ、ついに自分の思い上がりを自覚しサッカーを止めようと思うようになりました。


 そんな彼の引退試合に一人の若い女子中学生が現れます。彼女の名は若宮四季と言い、サッカー女子全日本代表に選ばれた天才選手なのでした。

 不意に現れた彼女との会話の中で、彼女自身が小さい時にサッカーをやって感じたことが「サッカーには仲間がいるということ」だということを知り、ドリブル一辺倒で自己中心的だった自分の目が覚め、「サッカーは一人でやるものじゃない」ということに気が付きます。

 しかしそんなソラが家に帰った時にテレビのニュースで、アメリカンリーグに移籍が決まって渡米した若宮四季が飛行機事故で一週間前に亡くなっていたことを知ります。

 そしてそれを見ていた母親から、「この子あの四季ちゃんじゃない?ほら苗字が男の子みたいだった…、そう津吉(つよし)さん、津吉四季ちゃんよ」と言われ、初めてあの下手くそだったツヨシが女の子で、その後天才サッカー少女に変貌していたことを知るのです。

 そこから彼は涙ながらに、「自分には才能が足りないんじゃない、それを認めて補おうとする努力が足りないんだ」と考えます。

 そのことをツヨシこと若宮四季はわざわざ教えに来てくれたのでした。

 そこから彼はサッカーに真に目覚めて努力を積み重ねます。

 進学した高校は公立の進学校で部活動に力が全く力が入っていませんでしたが、そこで休部寸前のサッカー部再興に向けてソラが動きだし、その情熱に打たれた仲間が一人、また一人と集まり始めました。

 この「1/11 じゅういちぶんのいち」は、そんな過程の中での一人一人の成長の物語であり、スポーツを通じて努力することの尊さと感動が余すところなく描かれている素晴らしい作品になっています。

 
     ◆    ◆    ◆


 作品の中ではどこか主人公の安藤ソラはいまマンチェスターUに移籍した香川真司を思わせますし、若宮四季なら今回U-17ワールドカップで優勝した女子選手たちにもモデルになりそうな子がいそうです。

 さてこの漫画、この春映画が公開。4月26日から札幌ではディノス札幌で上映予定となっています。

 大人気コミックの映画化ですが、コミックと共にご覧になってみてはいかがでしょうか。


【映画1/11】 http://1-11movie.com/

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タイからの友人来る

2014-04-06 21:53:53 | Weblog

 大学時代を共に札幌で過ごした友人が、年度末の休暇を利用して赴任先のタイから遊びに来ました。

 在札の同期で集まろうということで、札幌駅近くで5人で歓迎飲み会を開催。共に歳を取っているので、違和感は感じず楽しいひと時でした。

 タイは反体制派によるデモなど政情不安が気になりますが、実際には互いが裏で糸を引きあっているような部分もあって、一方的な治安悪化というほどではないそう。

「でも日本人には、デモには近づかないように、という注意は回っているよ」とのこと。

 ときどき反体制派が、数百メートル遠くへ打ち込めるランチャーを使って手りゅう弾を人混みに投げ込むようなことがあり、運悪く子供が死んだりする事件はあるそうで、やはり日本とは違うなあ、ということを感じます。

 
 タイは、これから乾季で夏めがけて暑くなり、逆に夏になると雨季になるので少しは気温が下がるのだそう。

「観光シーズンだったら、11月とか12月くらいが気候が良いよ。それに今はタイから新千歳空港に毎日飛行機が飛んでいるでしょ。便利になったんだから是非いるうちに来てよ」

 こういう機会はうまく使いたいものですねえ。


     ◆   ◆   ◆


「タイ観光ならどういうところがお勧めなの?」
「そうだね、やはりアユタヤ遺跡は見ておいた方がいいし、仏教寺院や王宮なんかも見どころだよ。チェンマイまで足が伸びれば、そこにもまた仏教寺院なんかも多いよ」


   【タイ国政府観光庁ホームページより アユタヤ】

「食べ物はなんとなく口に合いそうなイメージだけどどう?」
「暑いところなので、基本的に辛い味付けだよ。それもハーブや香辛料などをどんどん足して足して足していくって感じ。そして最後に辛さを中和するのに砂糖をいれるので、辛甘い変な感じになるね。でもお店を選べばトムヤムクンなんか美味しいところはあるよ」

「日本人でも安心だよね?」
「最近バンコクに"つぼ八"ができて日本人は馴染みがありそうなんだけど、行ってみるとちょっと高級なメニューのような感じで、日本の安い居酒屋というイメージとはちょっと違うかもね(笑)」


 うーん、話を聞けば聞くほど一度は行ってみたくなりました。

 友達がいれば現地の情報も信頼度は高いですしね。

 微笑みの国、タイをよろしく。

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美学をもたない知性 ~ 電王戦に見る人間そして日本人的感覚

2014-04-05 22:56:53 | Weblog

 素晴らしい戦記物のような、素晴らしい文章に出会いました。

『計算する知性といかにつきあうか――将棋電王戦からみる人間とコンピュータの近未来 久保明教 / テクノロジーの人類学』という文章です。

 これは、"SYNODOS"という新書並みのハイレベルな情報を有料でも提供するという言論サイトにあったものですが、将棋ソフトと人間の棋士が5対5で対決する団体戦の観戦記です。

 将棋の観戦記と言っても、どの手が悪かったというものではなく、最新の将棋ソフトという感情もなければ美学もない相手と対決する人間の棋士という対決に、機械ならではの強みと弱み、そして人間ならではの強みと弱みを見出した著者である久保さんの鋭い感想が述べられ、まさに手に汗を握る戦いの記録なのです。

 ちょっと長いのですが、できればまずこれを読んでいただければ理解が深まると思います。

【計算する知性といかにつきあうか――将棋電王戦からみる人間とコンピュータの近未来】
    http://synodos.jp/science/7549

 
     ◆    ◆   


 いかがでしょう、私はとても素晴らしい文章だと思いました。

 過去に全くとらわれずに、今この瞬間に次の最適な一手を計算して打つ将棋ソフトを相手にしたときに、普段なら相手の打ってくる手筋を読みながら考える人間の価値感や美学がボロボロにされてゆき、またそれを楽しむ棋士の人間性がよく出てきます。

 興味深かったのは、第二局でソフトに敗れた佐藤慎一郎四段が、こういっていることです。

  「人間は前からの手を継承する『線』で考えます。
  だから『線』が繋がらない時は、何か勘違いがあっ
  たと考えるし、予定変更を余儀なくされたのかなと
  考えて、次の一手を選びます。コンピュータは、一
  手指すと、その局面で考えた新たな手を加えてくる
  ことがあるので、二手先、三手先とで最善手が変わ
  るというか、人間ならこの流れにならないという手
  が出てきます。その意味では『点』で考えていると
  いえます。人間は、一手前とは違う人が指したよう
  な手に対応しなければならないので、読みの量は増
  えるし、疲労もたまるわけです」

 

 価値観や美学が異なる相手と対峙した時に、人間は、また日本人ならどう振る舞うか、という事が良く出ていると思います。

 
 第四局も波乱の将棋となりました。互いの王を詰めるというよりもソフトの弱点を突いた将棋によって人間同士の対局としては非常にぶざまな有様になって行きます。

 見ている側からは、「ぶざまだ、美しくないこんな将棋なら指すのが恥だからさっさと負けを認めて統領すべきではないか」という声が上がります。

 しかし、将棋のルールと今回の電王戦のルールの範囲ならまだ勝負は決していません。

 そして人間の棋士の方が圧倒的に不利な状態から、とうとう引き分けに持ち込みます。

 あくまでもルールがそうなのだから結果は引き分けです。美学を貫けばさっさと負けを認めたかもしれませんが、これで負けが引き分けになりました。

 そして第五局。A級順位戦に10年以上所属するトップ棋士・三浦弘行八段(39)が先手で、後手はコンピュータ将棋選手権一位、東京大学のコンピュータ700台弱が構成するクラスタ上で動くモンスターマシン「GPS将棋」という対決になります。

 そしてこの戦いで三浦八段が敗れて、今回の戦いは1勝3敗1引き分けで人間側の負けとなります。

 ここで見られたのは、実は「機械対人間」というSF的な世界の戦いの結末ではなくて、私は「価値観や美学が通じない相手との戦い」だったのではないかと見てとりました。
 
 そしてそんな戦いに似ているのが、今の日本と中国や韓国とのいさかいに似てはいないかと思いました。

 日本人的感覚で言うと、「以前はそういっていなかったのだから突然そんな無理筋の話をするなよ」と思うことがしばしばあるのですが、そこがこちらとは価値感が異なる相手の話であり、また決して諦めることのない相手との戦いという点で、似ている点を多く感じます。

 どんな形にせよ、永遠に諦めることなく手を変え品を変え戦いをふっかけてくる相手というのは実にやっかいなものです。

 そういう相手と折り合いをつける最後の方法は、「ルールの範囲内での引き分けか、勝つしかない」というのがこの電王戦での結論でした。

 負けを認めれば負けにしかならないのです。日本人にはなじめない戦い方なのかもしれませんが、世の中にはそういう相手がいて、そういう相手との戦い方や折り合いの付け方と言う辛く苦しいことがある、ということに気づかせてくれるという点で、ソフトと言うのは象徴的な相手と言えそうです。


     ◆    ◆    ◆

 
 将棋ソフトの方は、今回の対戦を糧にしてさらにバージョンアップを永遠に重ねてくることでしょう。

 対する人間の側は生きている間が全て。これは不利な戦いに違いありません。

 世界は日本人ではない、と言うことを痛切に感じたすばらしい文章でした。 

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年寄りの気持ちが分かってきた、のかな

2014-04-04 23:42:52 | Weblog

 年度の変わり目ということで年上の先輩が挨拶に来てくれました。

「最近何か変わったことはありますか?」と訊くと、ちょっと恥ずかしそうに、「実は転んで足を折って入院していました」と言います。

 聞けば、道路とガソリンスタンドの間で氷が斜めに張っていて、そこにうっすらと雪が降った状態だったところで駆け出したところ変に転んでしまったのだとか。

「痛かったでしょう」と言うと、「それが、力が入らないな、とは思ったんですが不思議に痛くはなくて、予定の打ち合わせに行ったんです。ところがそこでどうにも動けなくなってタクシーで市内の病院に行ったところ、『あ、即入院!』となりました。なんだかんだで3カ所が折れたりひびが入っていたみたいで、手術をして今でも足に金属板とボルトが入っているんです」とのこと。

「いやいや、気を付けてくださいよ。高齢になって骨折をすると、医者も『これはもうくっつかないからお帰り下さい。手術をしても無駄ですし』と言うそうですから」
「そこはね、『まだ若いから手術ができますね』と言われましたよ(笑)」

 呼ばれるまでの待合室は、同年代と高齢者で埋め尽くされていたそうで、「学生の時に北海道へ来て、もう40年以上も雪国に住んでいるんだから慣れているだろうと思っていましたがお恥ずかしい。これからは自重してゆっくり歩くようにしますよ」と苦笑いをしていました。

 いやはや、お大事に。


    ◆    ◆    ◆


 病院に入院なんてしたら、今の高齢者医療などの現場が見られたのではないですか、と訊いてみると、「いや、本当に高齢者医療は大変だな、と思いました」と言います。

「入院していたときのお隣には、高齢ながら元自衛隊だった方らしくて、背筋がしゃんとしていた方が入られていたんです。ただ、部屋を出ると帰って来られないというやや痴呆が入っているようでした。カーテンをしていましたが、隣に回診に来るときは『じゃあ、八百屋さんで売っているものを五つ答えてください』『人参…、大根…』なんて答えが聞こえてきます」

「ふむふむ」
「少し会話をしてから、『ではさっき八百屋さんで売っていると答えたものは何でしたか』という質問がされて、こちらも心の中でやってみながら(おお、な、何だったかな)なんて気になってしまう。体が動かなくなっても、俳句だとかのように頭を使えば楽しめるような趣味があればボケないのかな、と思いました」

「なるほど、悲しいけれど切実ですね」
「僕はもう旅も今しなくちゃもうどんどん行けなくなると思って、昨年は何度か海外へも行ってきました。小松さんも、暇になったらなんて言わずに、思い立った時に旅はしておいた方が良いですよ」


 やはり入院となると高齢者が多かったようで、これからの日本の縮図のようだった、とその先輩は言っていました。

 健康であることのありがたみと、とにかく何はなくても健康でいるための努力が大切だと改めて思いました。

 少し前は、年寄りがなんだか怪しげな健康食品を買い求めるのを「何がいいんだか」と思っていたのが、最近は、(ちょっとくらいのお金で何か効果があるならダメ元でも試してみたい)という気持ちが分かるようになりました。

 まあ健康食品にはまだ頼らずとも、社会と家族に迷惑をかけないくらいに健康ではいたいですね。

 日ごろの行いを再チェックです。

 

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海ゆかば~人生は冒険だ

2014-04-03 22:36:25 | Weblog

 日本中を歩いて回り、数多くの庶民の話を聞くことで民俗学に新たな境地を開いた旅する民俗学者宮本常一さんの膨大な著作のなかに、「海ゆかば」という短いエッセイがあります。

 これは明治になったころ、大陸まで小舟で渡った大阪の一人の漁師の冒険談を宮本氏が聞き取ったものです。

 その漁師は「御維新で藩の境がなくなったそうで、これからはどこへいっても良いらしい」という話を聞いて、「じゃあ好きなところへ行ってみよう」と思い、仲間と二人で小さな漁船に乗って見える島を頼りに船を漕いだという。

 九州の玄界灘まで出たところで見える島を頼りに隠岐、対馬、朝鮮半島へと渡りとうとう遼東半島まで行きました。

 半島をぐるっと回ると大きな河が出てきて、そこで一人の日本人に会い、「この上流には北京というところがあるが許可証がなければいけない」と言われて、さすがに北京行きは諦めた。

「じゃあこの海岸に沿って行けばどこまで行けるか」「そりゃあインドへ行く」「じゃあインドまで行ってみる」「その船じゃあ無理だ」そう言われて、ならば出直そうと言うことで日本へ戻ってきた、というのです。

「海に境はなかった、自然に行けた。言葉は分からないけれど、獲った魚をあげれば食べ物はもらえたので困ることはなかった」と言う。

 宮本氏は、日本と大陸の往事の往来とはこんな感じだったのだろう、と考えていますが、まさにこうした往来こそが海洋国家の生き様だったのかもしれません。

 それにしても、「見えるところまで行ってみよう」という大らかな冒険談を聞くと、何をするにもいちいち許可や承認をもらわないといけないルールが定まり、あるいは、自分自身が許可をもらわないと何も出来なくなるような精神の限界を作ってしまっていることに改めて気づきます。

 ルールを破れとは言いませんが、社会が認める範囲の中で許される冒険、そして自らの殻を破って自分を変えるという試みは大いにあって良いと思います。

 さて、年度も変わり、人事異動や転勤、引っ越しで新しい人生の一歩を歩み出す人も多いことでしょう。

 公務員であれば自動的に訪れる人生の節目ですが、それを一つのきっかけとして考えるのも良いですし、逆にそういうきっかけがなくても、ふと気づいた瞬間に日々を新たに過ごす方が良いですね。

 「海ゆかば」の精神で、冒険心を忘れずに未来を恐れずに。

 小さくても今年の目標は何にしましょうか。

 皆さんの新しい挑戦に幸あれと祈ります。

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消費税アップは一里塚?

2014-04-02 22:45:20 | Weblog

 昨日の朝から急に目がかゆくなり、どうやらそろそろ花粉が飛び始めているようです。

 (予防は早めにしよう)と思って、早速夕方にアレルギー性鼻炎の目薬を買い求めましたが、ふと消費税が今日から上がるんだ、と気がついて、「昨日のうちにかゆくなってくれれば3%少なくて済んだのに」とちょっと残念に思いました。

 そういえば、朝通勤で使っているバスもそれまで片道200円だったのが、210円になっています。

 消費税率移行の瞬間のドタバタや、買いだめ、その反動による客足の途絶えなどをマスコミは面白く書き立てますが、ここは落ち着いて社会システムの変化を受け入れなくてはならないところですね。

 負担が増えるのは辛いですが、日本という国は国民に対する給付を優先したものの、政治力学によって国民への負担を求めることが後ろ後ろへとずれてきました。

 払いながらもらわないということの差額が積み重なった結果が、巨大な国と地方の公債残高、つまり『国の借金』ということにほかなりません。

 私が年金や社会保障を勉強するときの師匠である慶応大学の権丈先生に至っては、毎年度2%の消費税率引き上げを9年間やって、消費税率を23%にしてようやく『社会保障機能強化と財政安定化の両立がぎりぎり可能となる』と喝破されています。

 これまでの私たちが残した日本という国家はそういう国なのだ、ということを改めて理解しないとならないのです。


【地銀協月報 2012年4月】
 『持続可能な中福祉という国家を実現するために』より
    http://bit.ly/18GjHli


 私が提言してきた毎年度2%の消費税率引上げを2013年度から行えば、2021年度の消費税率は23%になる。これぐらいの消費税率を達成してはじめて、長期金利が名目成長率を1%程度上回っても、社会保障国民会議が提案したささやかな社会保障機能強化と財政安定化の両立がぎりぎり可能となる。

 だが、軽減税率や低所得者向けの給付を設ける場合や、長期金利が名目成長率を大きく上回る事態が事前に予測される場合には、社会保障機能強化を先送りして、いつたんは2020年度に基礎的財政収支を黒字化し、それ以降も消費税率引き上げを行うかどうかの選択に迫られることになる。

 ところで、なぜ、消費税を20数%まで上げても、ささやかな中福祉しか実現できないのか。少し立ち上まって考えれば分かるように、今や世界一に達した高齢国家日本は、高負担。高福祉国家と言われる北欧諸国より、今も、そして将来も、はるかに高い高齢社会を迎えることになる。

 そして、国・地方の公債等残高の対GDP比が200%に至る日本は、将来世代に多額の公債の元利払い費を負わせてしまった。それゆえに、この国の将来は、仮に北欧諸国のような高負担を実現できたとしても、国民一人一人はそれらの国々のように高福祉を享受できるわけではなく、分相応な未来としては、「高負担で中福祉」、「中負担で低福祉」という選択肢しか残されていない。

 残念ながら、我々が次世代に残した未来とは、すでにそうした社会でしかないのである。

 日本の国民負担率は、先進国の中ではきわめて低い(図表5、図表6)。そうした状況であるのに、永らく日本は「中の下」程度の社会保障を展開してきた。
 それが、他国と比べて圧倒的に高い公債等残高を残してしまった原因である。公務員の数も極端に少ないことは、各種統計から明らかであり、多くの国民が信じているように、政府が大きすぎ、そこにムダが多すぎたために、莫大な借金を抱えたわけではない(図表7)。  
 
   (引用終わり)


 消費税率10%への移行も気になりますが、さらにその先にも負担増の時代が待ち構えていそうです。

 そのような時代の生活防衛はどうなるでしょうか。

 福祉を担う国の財政についてももっと関心を持って勉強しないと行けませんね。


     ◆     ◆     ◆


 新年度の二日目。今日は外の部所からわが職場へ人事異動になった人たちが赴任してくる挨拶者の数がぐんと増えました。

 安着祝いを理由にした飲み会が続きます。   

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北海道ガーデンガイドブック2014、本日発行

2014-04-01 21:29:50 | Weblog

 北海道ガーデンアイランド(GIH)という活動をしている知人が訪ねてきて、「今年のガイドブックが出来ました」と見せてくれました。

 北海道ガーデンアイランドは、"北海道を庭園の島にしよう"を合い言葉に、2003年度に始まった道民運動で、北海道におけるガーデン文化の向上や花と緑の地域作りに取り組んでいるものです。

 北海道洞爺湖サミットが行われた2008年には、これに合わせて全道を舞台に「ガーデンアイランド北海道2008」というイベントを行い、これをきっかけとして道内の庭園や園芸家をつなぐネットワークを作ってきました。

 2009年度以降は、公園での緑化活動やGIHツアーやワークショップの開催、花作りセミナーや花や自然をテーマとしたフォーラムを開催し、ネットワークの拡大を目指しています。

 今年度は、花作りのスキルアップセミナーやGIHミーティングを開催するほか、7月18日(金)には全面オープンした『大雪森のガーデン』をじっくりと巡る日帰りGIHツアーも開催予定。

 ツアーのガイドは、大雪森のガーデンの『森の迎賓館エリア』の植栽設計を担当した笠康三郎さんなので、きっと設計の裏話や貴重なお話が聞けることでしょう。 

 

    ◆     ◆     ◆


 今回出来た本は、北海道の花や公園・庭園の魅力をより多くの人に知ってもらうことを目的に、この運動に賛同してくれた全道各地の公園・庭園・花の名所など108カ所の会場を紹介したものです。

 本屋さんへ行くと、北海道の観光ガイドブックはたくさんあって、時期によっては花の名所特集を組んでいるような号もあると思いますが、本当のガーデン大好きという視点で集められた北海道を代表する花の名所・ガーデンがこれ一冊に凝縮されています。

 もちろん、有名ホテルや温泉などのガーデンも紹介されているので、そこでは美味しいランチを食べたり宿泊をするのもお勧めです。

 お店によっては本誌を提示することでサービスを受けられるクーポンもついています。

 今日から販売で、消費税8%込みで500円とのことですので、ドライブのお供に是非加えていただきたいと思います。

 そろそろ春めいてきた今日この頃、ゴールデンウィーク辺りを皮切りに、今年の道内花巡り旅行のガイドはこれ一冊で決まりです。

【ガーデンアイランド北海道】 http://gih2008.com/ 

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