北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

制度と運用の間には「人」がいるのです

2014-04-20 23:41:03 | Weblog

 理化学研究所のSTAP細胞の論文問題に関する問題や、韓国の旅客フェリー沈没問題など、世間が注目する大きな事件が相次いでいます。

 こうした事件が起きるたびに、原因究明と共に行われるのが「再発防止策の立案と徹底」です。

 理研のような組織の中での不祥事と言うことならば、業務マニュアルの改訂だとか、遵法(じゅんぽう)意識の問題ならばコンプライアンス推進計画の見直しなどといったことが行われるでしょう。

 韓国で沈没したフェリーは元々日本のマルエーフェリーの中古船を改造したものらしいですが、マルエーフェリーには安全管理規定なるものがちゃんとあって、ネットでも見られるようになっています。

 こうした再発防止策は文字の形で表されるので、関係者が頭を寄せ合って考えれば対応方策はやがて完成するでしょう。

 韓国は日本を"ベンチマークする"という表現をよく使いますが、つまりは日本の良いものは熱心に取り込みますが、この手の安全管理規定はどうしたものやら。


 こうした明文化されたいわゆる"遵守すべきマニュアル"的なものは比較的簡単に作ることができます。

 しかしこれを組織の中で適切に使いこなして、最低限問題が起きないようにし、問題が起きたたとしても素早く対処して沈静化させるためには、マニュアルに基づいて行動を起こすのは人間だ、という視点が欠かせません。

 マニュアルはちゃんとできていても、それを守ってそれ以上の仕事をしよう、というマインドをどうやったら導き出せるかが、実は管理職やリーダーの腕の見せ所なのです。

 
 最近はMBAのように欧米の経営哲学が日本の組織社会の中にも入ってきました。

 仕事の進め方でよく言われるようになったのが「PDCAサイクル」というやつ。

 これはPlan(計画して)→Do(実行して)→Check(どうだったか振り返って)→Action(実施が計画に合わない点を反省を改善する)→(再び)Plan…、と続く業務管理の手法で、それぞれの頭文字を取ってPDCAサイクルと呼ばれます。一見とっても合理的で、我々の職場などでもよく用いられています。 

     ◆   

 でもなんだか物足りない…。私はこれらの行動の間になにか東洋哲学的な視点が加わる余地があるのではないかと思うのです。

 P→☆→D→☆C→☆→A→☆→P…の"☆"のところに、例えば使命感だとか運命論だとか、チームの一体感だとか本人の成長や達成感だとか、いわゆる"人間力"を向上させるような導きの要素がリーダーや管理職に求められているのではないか、と考えます。

 職員の「やる気を引き出す」という点では「モチベーションの向上」という言葉も良く使われます。

 最近になってようやく「コーチング」という理論で、そうしたことへの取り組みも始まりましたが、どうやったら関係者のモチベーションが向上するかを多くの人は分かっていないし、教えられる機会もあまりあるとは言えないし、そして何度かの研修を受けただけではなかなか身につかない能力でもあることでしょう。

 
 理研はそれを職員の給与などの待遇面で魅力を増そうとしているように見えます。

 もちろんそれも大切なのですが、それにとどまらないプラスαがあるはず。

 そしてそれもまさに、給与待遇面での「制度」とそれを用いてやる気を出させる現場の「運用力」といえるのではないか、と思います。

 制度と運用のバランス。これを上手にはかりながらチームのパフォーマンスを向上させるにはリーダーの役割と人間力、そして実践の力なんだと、いよいよこの頃になって思うようになりました。

 でも制度は目に見えても、運用する力は目に見えないのです。

 そこもちゃんと評価できる力は社会にも必要だということなんじゃないでしょうかねえ。 
 

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子供たち全員の父親のつもりで~おやじの会の総会

2014-04-19 23:41:34 | Weblog

 地域の中学校の父親たちによる「おやじの会」の総会が開かれました。

 設立してから15年が経過し、今年は16年目に突入しました。私の娘二人もこの中学校にお世話になりその後の世界に飛び込んでいきました。

 もちろんもう中学校に自分の子供たちはいませんが、この会の良いところはOB会員の参加を認めていることです。

 学校と地域の結びつきにはPTAがありますが、ともするとPTAは母親の会になりがちなことと、PTAに参加した親たちは子供が学校を卒業すると縛られたものから解放されたように学校とは縁が切れてしまいます。

 それがこの「おやじの会」は、OBが参加できることでいつまでも地域に残る仲の良い親父たちと会うことができますし、そのネットワークが力強く残っています。

 OBは、会費を現役の父親と同じだけ払い、あとは「会長にはならない」という不文律がある。それは、長老が"やめる"と言わない限りいつまでも牛耳を取るようなことがないように、という配慮です。会は常に新鮮な考えと現役の責任のもとに運営されるべきです。

 そしてそれをOBはうるさくならない程度に主催事業に参加することなど、適度な距離感でサポートするという不文律も生きています。まあ、みんなお互いにここで会えることが楽しみなのです。


     ◆   


 今日は16年前にこの会が設立されるきっかけになった、「父親の会を作りませんか」と言い出した言いだしっぺのOB会員であるMさんも来ていました。

 挨拶の時に、Mさんから当時この会をつくることになったエピソードの紹介がありました。

「まさにいまこの総会をしているこの公民館の部屋で、父親参加のバレーボールイベントの打ち上げの時に、母親の皆さんから『父親はなにもしないもんね、何をやってるの?』と言われたんです。そこで当時の中学校のO先生に相談をしたところ、『じゃあやりましょう』という話になり今日に至ったというわけです」

 その呼びかけに十数人の父親が呼応して手を挙げ、会の規約を作り事業を行って今日に至っています。

 
 今になって教育の世界では「地域と連携するように」という指導を学校に対して行っていますが、学校の側にはそんなノウハウもなく、PTA以上の連携は難しいのが現状です。

 ところがこの地域では既に15年前に地域の側から「父親が会を作って学校にコミットしたい」と申し入れして、学校から言われる前からその一つの形を作り上げてきたのです。


     ◆  


 設立当時は学校側も何が起こるのかと恐る恐る対応している様子でしたが、「この会は教育的中立を守る」という附則までつけて、さまざまに異なる教育をめぐる葛藤や争いには加わらないという宣言をし、あくまでも学校に父親がコミットする団体が存在するということを大切にしています。

 事業は、環境整備やスポーツクラブの子供たちと試合をする「親子スポーツ対決」などで、実際の勝負を通じて子供たちの成長を実感するなどが主体。

 事業を行うたびに写真と感想文を参加した親と子供からもらいうけ、一枚の事業報告を作りますが、そんなこともネットで渡してもらえばホイホイと作るノウハウが確立しています。

 そして、これらの団体事業を紹介するために年に一度、「柏葉」という会報をつくり、後に続こうという人たちへの参考になるような記録づくりも継続中。

 転勤や子供の卒業で会を離れてゆく人もいますが、毎年新規会員も加わって、毎年50人弱の会員数を維持しています。

 これはもう、中学校の会ではなく、中学校を媒介とした地域の父親の会で、一つのモデル的な形と言えるでしょう。


     ◆   


 写真にはありませんが、総会の後の懇親会はお酒の力は借りますが賑やかにもちこんだお酒をふんだんに飲み明かして盛り上がりました。

 今年来られた新しい校長先生は若くて、ついに私よりも年下の方になりました。

 豊かな感性で札幌市内で一、二を争うマンモス校をマネジメントしていただきたいと思います。

 父親たちは適切な距離感で生徒たち全員の父親のつもりで見守ってくれることでしょう。
 

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知らなかった日本語~「慮る」って読めますか?

2014-04-18 23:18:55 | Weblog

 ここのところ話題のSTAP細胞や理研、小保方さんをめぐる記事を読んでいて、「おや?」と思うことがありました。

 それはネットにあった、「小保方氏に弱い部分、おもんぱかることできなかった」という、笹井芳樹・理化学研究所副センター長へのインタビュー記事のタイトルですが皆さんは不思議に思わないでしょうか。

 


http://sankei.jp.msn.com/science/news/140416/scn14041620110008-n3.htm

 

           ◆   

 

 文字のフォントが小さいと分からないかもしれませんが、 「おもんぱかる(omon-pakaru)」とあります。

 これって漢字で書くと「慮る」なのですが、私はこれまで「おもんばかる(omon-bakaru)」と読んでいました。

 これってまさか打ちミスじゃないのかと思って辞書を調べてみると、なんと「おもんぱ(pa)かる」しか載っていません。

 調べてみると、「おもんぱかる」は、「おもいはかる」という単語が変化した形のよう。

 「おもいはかる」→「おもんばかる」→「おもんぱかる」という変化のようで、ネットで調べてみると、"中世から近世の日本語を採集して編纂された『邦訳 日葡辞書』(岩波書店)には「ヲモムバカル」《注》と表記され、語義として「考慮する、思考する、推測する、など。文書語」と記述されている"という記事がありました。

 しかしその後に、ba音→pa音への変化があったようで、今ではpa音が標準として辞書にも載っているのだそう。

 わが身の不勉強を恥じた次第ですが、それにしても頭の中にそう読むという常識がないので、「おもんぱかる」というのはいかにも口にしづらい単語です。

 今度からは「おもいはかる」と言おうかな、と思うくらい。

 とんだ恥さらしでした。皆さんは知っていましたか?

 

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読んだ本の中身が口からすらすら言えるようになる方法について

2014-04-17 23:45:05 | Weblog

 長年いろいろな本を読んできましたが、これらは自分の中でどう生きているのだろうか、と考えることがあります。

 私は本を読む時に、感心したり感動したところに赤や青のボールペンで線を引いたりそのページの端を折り返すなどのしるしをつけたりして、少しでも記憶を鮮明にしようと期待しているのですが、後からその本の表紙を見ただけでは、中身や書かれているフレーズを思い出すことができないからです。

 本を読んだ時はその感想やレビューを書いてもいるのですが、それでもだめです。

 もしかしたら、「漢字を書けないけれど読める」というようなもののように、記憶のインデックスには入っているのだけれど、それをヒント無しで頭の引き出しから引っ張り出すのは難しいのです。


      ◆  
   


 ところが、「この本にはこういうことが書いてあります」としっかりと述べることができるようになる極めて有効な方法があります。

 たとえば、私は「中国の古典の『大学』という本の要諦は、"修身斉家治国平天下"ということです」などと口に出して説明することが出来ます。

 それは、【その本を引用や内容説明のセリフをネタにしている】から。つまりその本と中にある一節をそのままセットにして覚えてしまえば良いのです。

 すると、聞いた人はまるで私が今思い出したかのように感じるかも知れませんが、実はこちらは何度も口にしたことを喋っているだけということ。

 つまり、突然思い出すことは出来ないけれど、本を読んだり思い出したりした時に、短いフレーズで話せるようにして覚えておけば言えるようになるのです。

「なんだ、当たり前じゃないか」と思うかも知れませんが、これは頭の中だけでは何度考えたってできないことで、実際に話すという訓練が必要なことなのです。

 飲み会のネタでも、プレゼンでも、自分なりのフレーズを頭の中の引き出しとしていくつ持っているかということは、豊富な会話力に繋がりますし、ビジネスの場面でも大いに有効です。

 『大事なことは何度も口にして外に向かって出してみる』ということです。


      ◆    


 このことをもう少し一般化して敷衍すると、「入れるだけじゃダメ、外に出してみよう」と言えるのだと思います。

 いくら良い本をたくさん読んだって、読むだけじゃダメ。すなわち「体内に取り入れるだけではだめ」で、そこから得たフレーズや感動や感想を文字にしたり口にして外に向かって出すことで初めて自分の血となり肉となる。そのために出す。出すからこそもっと入れることが必要になるのです。


 人間死ぬ時は「息を引き取る」と言い、その人が生き返るのを「息を吹き返す」と言います。

 人間、吸い込んだ呼吸がはき出せなかったらそれが死ぬと言うことで、吸い込んだものをはき出せたならそのときは生きているということ。昔の人はよく見ているものだと感心してしまいます。

 考えてみれば、知恵や良いアイディアも、全てはその人の脳から生み出されて外に発せられた情報なのですから、思いついたアイディアはどんどん外に発信、それも口に出して言えるようにした方が良いですね。

 さあたくさん自分なりのフレーズを作って脳の引き出しに入れておきましょう。

 そうしたら、きっとこれまで読んだ本ももっと生きてくると思いますよ。

  

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未知への興味をもちつづけられるのか~知識が溜まって行く時代に

2014-04-16 22:54:10 | Weblog

 昨日の14日は火星が最接近なのだそうです。

 火星は太陽系の中で地球のすぐ外側を回る惑星で、太陽の周りを回る公転周期は地球が365日なのに対して687日と約二倍です。

 そのため地球は約2年2カ月毎に火星を追い越しますが、このときに地球と火星の距離が一番近くなり、このときを火星接近と呼んでいます。

 しかし地球と火星はともに楕円軌道を回っているため、それぞれの楕円のどこで一番近くなるかによって最接近のときの距離は異なります。

 これが15年から17年に一度、お互いの軌道が近いところで接近になるときがあって「大接近」と読んでいます。

 今回は接近ではあるのですが、距離は約9300万キロメートルとのことで、大接近時に5600万キロメートルになるのに比べると見かけの大きさもずっと小さいことでしょう。

 ネットにこの辺の説明を上手にしている群馬県立天文台のホームページがあったので貼っておきましょう。


【県立群馬天文台ホームページより『火星大接近』】 http://www.astron.pref.gunma.jp/flash/mars2.html

 

 さて、大接近の時は夜空の火星の光度も増して、ひときわ赤く光り輝く天文イベントになるのですが、1971年、ちょうど私が中学一年生の夏はその家政大接近の時で、そういう話題もあって天文が好きになったのでした。

 このときは中学校でも理科教育の一環として天体望遠鏡の斡旋があり、私も口径80ミリ、焦点距離1000ミリの屈折式天体望遠鏡が7~8千円だったのを買ってもらって、暇さえあれば夜空の星や星団などを観ていました。多分人生で一番嬉しかったことの一つだったと思います。
 
 このときは世間で火星大接近が話題になったのでさぞや天体望遠鏡が売れたのではないか、と思うのですが、最近はそうした話題もあまり聞かれなくなりました。

 子供が少なくなったということもあるかもしれませんが、私の印象は子供の時よりもその後の火星探査の実績を積み上げた中で、自分自身が望遠鏡をのぞいてみて感じる興奮や価値が相対的に下がってしまったのではないか、と感じています。

 自分で小さな望遠鏡をのぞいて星の姿が見える以上の美しい画像と興奮がNASAのホームページから得られます。火星の大地を走る探査機の映像が自宅のパソコンで見られる時代なのです。

 公共の天文台や望遠鏡も充実していて、自分の小さな望遠鏡よりはずっと鮮明な天体の姿を見せてくれます。

 子供たちにはまさにそういう情報が充実した今の環境しかないので、昔と比較することに意味はありませんが、火星が謎に満ちていたときのワクワク感がうすれてはいないでしょうか。

 あまりにデータや画像が充実し、新たな謎のレベルが学問的にあまりに高度なものになってしまった今、ちょっと勉強すれば手が届くような好奇心が無くなってしまったような気がして心配です。

 長年の研究成果の積み重ねはもちろん大切ですが、今の子供たちが同じ年齢で大学に入りそこで習得をしなければならない過去の成果の量は年々増えています。

 よく人生の先輩から「君はこんな本も読んでいないのか!」と言われることがありますが、多分、その方が若かった頃に比べると今ある本の種類は当時よりも格段に増えていることでしょう。

 時代が下るほどに、インフラでも知識でも学問成果でも、先人が積み重ねてきたストックは増えて行くので、それをどう利用し、守り、発展させるかという苦労の程も変化して行くのだと思います。

 ますます大変になるこれからの若者を見守ってあげたいものです。

 

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思うほどには思ってくれていない~意識の差について考える

2014-04-15 23:07:04 | Weblog

 今朝の日経新聞に、"新社会人『上司との酒は仕事』"という記事が載っていました。

 これは宝酒造が新社会人と上司に対して行ったインターネットアンケートの結果で、調査は新社会人の男女100人と、その先輩・上司に当たる30歳代と50歳代の男女100人の合計600人に訊いたものだそう。

 アンケートの結果は、新社会人が上司からの飲み会の誘いに応じる理由(複数回答)で最も多かった答えが「酒を飲みに行くのも仕事」という答えで61.9%、次いで「上司や先輩の考え方を知りたい」が49.2%でした。

 一方で、上司や先輩に、若手社員が飲み会の誘いに応じる理由を聞いたところ、「(若手社員が)酒を飲む雰囲気が好きだから」が53.8%で最多。「酒を飲みに行くのも仕事」は31.0%で、新社会人の答えとは約二倍の開きがあった、としています。の約6割が上司や先輩からの飲み会の誘いについて「酒を飲みに行くのも仕事」と考えているとのこと。

 上司からの飲み会の誘いを若手社員が断っても「仕事に影響しない」と考える上司や先輩が61.3%だったのに対して、新社会人は26%と意識の差が歴然となった、とも書かれていました。

 新入社員と上司・先輩との間には意識の差があるというのはそれはそれで面白いのですが、これを新社会人も(仕事だから仕方ないけど、そうおもわせては気分を害するだろう)と考えて、「いやあ、先輩と飲むのは楽しいっすねー」と演技しているんだとすると、なかなかのものです。

 上司や先輩はそういう新社会人の演技を見抜けていないと言うことではないかと(笑)。一方、上司・先輩陣営も、(いやいや、こちらもわかっているんだけど、それを言っちゃあお終いよ)と思って騙されたふりをしているのかも知れません。

 まあそこまで化かし合いをつきつめると、アンケートの結果ってなんなの?と思わずにはいられませんが。


      ◆     


 先日職場内での職員アンケートの結果について同じような若手とベテランの間の意識差が出て議論になった場面を思い出しました。

 ひとつめはOJT(=On the Job Training:働きながらの教育訓練)についてなのですが、そのアンケートで「あなたはこれまでの人材育成の取り組みにおいて、何が不十分だと思いますか」という問いに対して複数回答で答えてもらったところ、「日常業務を通じた指導(OJT)」がダントツ一位の1760票あまりとなりました。

 二位が「地域活動への参画」1270票ということを考えると、普段の仕事の中ではOJTが足りないと痛切に感じているというわけです。

 ところがこれを、回答者の役職でクロス集計してみると、課長以上の人たちは、「十分与えられていると思う(18.3%)・ある程度は与えられていると思う(65.7%)」と8割以上がポジティブに考えているのに対して、主任・一般職では「十分(9.1%)。ある程度(56.0%)」とその率が下がり、逆に「全く与えられていないと思う」という回答は課長以上が0.1%に対してこのクラスでは5.9%にのぼります。

 管理職は十分だと思っていても、若手職員は不十分と思っているという意識の差です。

 しかし、目に見えてわかる研修参加の機会のあるなしならともかく、日常の業務の中ではちょっとした質問一つを上司は(これもOJTだ)と思っているのに部下はそれに気がつかない、という意識の違いもありそうです。

 やはりある程度、目に見える形で研鑽を深める機会や場をセットすることが必要かも知れません。


      ◆     


 二つ目は、やはり職員に対するアンケートの中で、「『わが組織は社会的使命・役割を果たしている』という評価を受けていると思いますか」という問いに対する意識の差です。

 この問いに対して、課長以上では84%の人たちが「とても評価されている・ある程度評価されている」と答えたのに対して、それが若くなるほど数字が下がり、主任・一般職員では51.7%に下がります。

 逆に、「あまり評価されていない・全く評価されていない」という回答は、課長以上で15.5%に対して、主任・一般職員が47.6%となっていました。

 このことをどう考えるか、ということが議論になったのですが、私はこれは意識差というよりは実体験の差ではないか、と思いました。

 課長以上ならば、自治体の首長さんや部長さんなどのほか、大学の先生や各種団体との付き合いがあり、そうした人たちとの対話の中で、様々な声を聞く機会があることでしょう。そしてそうした実体験が「ある程度は評価されている」という実感に繋がっているのに対して、若手となるとなかなか外の人たちとコミュニケーションを取る機会も少ないことが考えられます。

 だからといって、若手を会合の席に連れ出すのは難しいですから、私は上司・先輩が外で得た外部からの評価や批判を、もっと自分の言葉で物語として発信することが良いのではないか、と思います。

 それもいちいち課内ミーティングで全員を集めてするほどではないので、ちょっとした飲み会の挨拶だったり乾杯での一言だったりで良いのです。

 そうしたときに、誰々さんからこういう話を聞いて嬉しかった、というような体験や思いを伝えることが良いのです。

 だから、飲み会のちょっとした挨拶を馬鹿にしてはいけません。その短い一言の中にもチームを鼓舞してモチベーションを上げるような効果をもたらすよう努力をするべきです。


      ◆     

 
 ある学校の先生が言っていました。「子供たちは教師が良いか悪いかを冷徹に見抜きます。それはなぜなのか、ということは言えないけれど、教師が本気かどうか、真剣かどうか、ということはいとも簡単に見抜くんです」

 形ばかり黒板に文字を書いても、真の教師にはなれないようです。ここにも教師と子供たちとの間に意識差がありそうです。

 意識の差を小さくすることに努力するよりも、それは結果だと割り切って、日頃の職務を一所懸命にやりましょう。

 

 

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たった一つのフライで釣る~GGアミーゴ

2014-04-14 23:10:06 | Weblog

 昨夜もう一つ行われた総会は、大人たちの自然遊びの会"GGアミーゴ"。

 これは、本来50歳以上の"じじい=GG"の"友達=アミーゴ"が集まって、もっぱらフライフィッシングを中心に遊ぼうという集団です。

 この会の言いだしっぺは残間さんと言う世界を股にかけたフォトジャーンリストの方なのですが、あるとき「たった一つだけのフライで釣りをする『OneFlyフェスタ』というイベントをやりたい、と思ったんです」と言います。

 釣りとなると、釣り人はとにかくたくさんの魚が釣りたいもので、ついつい多くの道具や餌を使って釣りたくなるもの。

 虫に似せたフライ(疑似餌)を使うフライフィッシングでも、気象条件や魚の条件に合わなければすぐに別なフライに取り替えて魚に挑むことが多いのですが、釣れる場合でも使っているうちにボロボロになることはありますし、枝に引っかかって取れなくなったら糸を切って新しいフライで再チャレンジをします。
 糸が切られたらすぐに新しい糸を結んで次の魚を狙います。

 『OneFlyフェスタ』は糸を切られてもボロボロになっても、とにかくそのフライしか使ってはいけないという縛りの中で行う釣りで、もはや「釣りたい!」という煩悩を断ち切るようなものです。

「でもそれが究極にゴミを出さず、自然に負担をかけない釣りだと思うんです。そういう釣りのイベントを北海道の各所でやりたいと思ったけれど、まあ地域からは反対の嵐(笑)。なんでそんなことをしなくちゃならんのだ、と」

 そこで残間さんは、「ああ、理想論だけ掲げてもだめなんだな。やっぱりまずはそれに賛同してくれる友達の広がりを作らなくちゃだめなんだ」と一度立ち止まることにして、それでこの"GGアミーゴ"での友達の輪づくりをはじめたというわけ。

 今のところ会員数は40数名と言ったところですが、今日はそのうち18名が集まって、総会を兼ねた懇親会というわけです。

 もちろん、年間の活動計画の中には仲間内での『OneFlyフェスタ』も入っています。今年は6月末に支笏湖周辺で行うことになり、そのときは静岡の掛川からも仲間が参戦することになっています。

 私もOneFlyに耐えられてしかも釣れるフライを作っておかなくては。今からワクワクしています。


     ◆   


 さらに、会員の一人である登山ガイドのS君からは、夏の間に冒険フィッシングのプレゼンがあり、日高の山小屋で一泊をして自然豊かな川の超源流部へ入るという北海道ならではの登山&フライフィッシング&冒険の旅へのお誘いがありました。

 ううむ、大いに心が動きます。それに、然別湖から昨年に続いてミヤベイワナ釣りのお誘いも来ました。

 持つべきものは心根がフィットして、強者でレベルの高い友達。今年のシーズンも大いに充実させたいものです。

 

 

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北海道蕎麦研究会の総会~遊ぶ大人になろう

2014-04-13 23:58:04 | Weblog

 大人がちゃんと遊ぶのには友達が必要です。

 今日は大人の遊びの会合の総会が重なりました。

 お昼は北海道蕎麦研究会の総会で、奈井江町公民館まで早秋のドライブです。

 北海道蕎麦研究会は道内の素人手打ちそば同好会としては最も古い会で、会員登録者数は371名ですがその後抜けたりした人も多く、現在の在籍者数は161名だそうです。

 それでも道内の同好会としては大きな部類ですし、ここから毎年多くの北海道名人を輩出しているところでもあります。

 私ももう15年以上在籍していて、蕎麦打ちの腕こそ一向に上がりませんが、イベントなどに参加させてもらって地域に貢献する時間を楽しませてもらっています。

 今回の総会は数年ぶりの参加だったのですが、会長以下古くから知っている皆さんから、「お、おかえり」と言われて暖かく迎え入れてもらえました。

 今年の活動計画の中では、新十津川で8月の24時間チャリティに新十津川そば同好会が参加するので応援要請にこたえて参加するほか、幌加内、岩見沢、浦臼町などでのそば祭りに出展参加することになっています。

 釣りとのバランスが難しいところですが、こちらにも少し顔を出しておきたいところ。三段位認定試験もあるのですがどうしたものか(笑)。


 総会の後の講演会として、当会会員で昨年度北海道チャンピオンの小島裕樹さんから、自分の蕎麦打ちビデオを見ながら意識している点などの紹介があって、会員一同大いに研鑽を深めました。

 小島さんの打ち方はあくまでも優しく、蕎麦に対する繊細な気遣いがよくわかります。

 そして名人に認められるためには、一つの自分の型があることが大切のように思います。 

 それは細かい技術へのこだわりだったり、自分なりの工夫で、この型が出るのがあの人の流儀だ、ということになるまで練習を積むことです。

 たとえばプロレスの必殺技のようなものかもしれません。

 そんなことを考える北海道名人の技の数々でした。


    ◆   


 さて、予定を終えての昼食会、蕎麦研の昼食と言えばやはり蕎麦。

 今日は蕎麦寿司の作り方講習もありましたが、お目当てはなんといっても事実上食べ放題の冷やかけ蕎麦。

 最近は会員の皆さんが打つ蕎麦も太さや長さなどの腕が上がっていて、とても上手に打ってくれます。

 ひやかけの汁も定番の蕎麦研の美味しいこと。三倍もお変わりして満腹です。

 
    ◆   


 蕎麦研では参加することで蕎麦打ち技術の研さんを深めて参加者同士の交流によって豊かな友達関係をつくることができますが、私自身の一番の魅力は蕎麦がふんだんに食べられることに外なりません。

 美味しい蕎麦粉を調達して美味しい汁で美味しい蕎麦がまかないで食べられるのですから最高です。

 会全体の平均年齢はどう見ても年々高齢化してきて若い人の参加が求められます。

 皆さんいかがですか。


  

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「仕事に効く教養としての世界史」を読む

2014-04-12 23:39:59 | 本の感想

 ライフネット生命の会長兼CEOである出口治明さんの著書『仕事に効く教養としての「世界史」』を読みました。

 網羅的な時系列ではなく、著者の興味による10の視点で世界の歴史を追いかける著者なりの歴史解釈なのですが、テンポが良く、ぽんぽんと話題が飛んでゆきストーリーテリングとしても無類の面白さです。

 著者はもちろん優秀なビジネスパーソンなのですが、これからの時代、日本のビジネスパーソンが世界のあちらこちらで日本の文化や歴史について問われたりすることがあるだろう、そんなときに、日本が歩いてきた道、または歩かざるを得なかった道について大枠で把握することが、相手が理解し納得してもらうためには必要だ、と言います。

 そして日本が歩いてきた道や今日の日本について骨太に把握する鍵がどこにあるか、それは世界史の中にあるのです。

 交易や移動がまだそれほど盛んでなかった頃は、歴史とはごく一部地域の中に留まりますが、それが歴史が下って人や物が大移動をする時代になると、影響しあう範囲もどんどん広大になって行きます。

 その場合には、他の国での飢饉や征服欲などが移動してきた結果として自国の歴史が形成されるということだって大いにあるのです。

 なぜ外からそのような要因が襲いかかってきたのか、を知るということが歴史を学ぶということであり、それなのに外的要因の減塩を考えずに"そのとき国内ではどうしたか"ということだけを考えるようでは、歴史のガラパゴス化ということになってしまうのではないでしょうか。

 この本は、そうした視点をふんだんに与えてくれる中で世界史を大きな視野で捕えろ、という歴史の見方も教えてくれるようです。


     ◆   


 一つの例として、日本の奈良時代にごく短い間に女帝が連続して誕生したことがあります。

 七世紀末の持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇(=称徳天皇)などです。

 このことを著者は、「中学時代に『中継ぎで女性が立った』と教えられた記憶があるのだが、ちょっと違うのではないかと思っている」と書いています。

 この時代の日本にとっての世界とは朝鮮半島と中国のことでした。もちろん交流の範囲がその程度だったからです。

 そしてこの時代、日本はこの精一杯の世界の情報を一所懸命に集めていました。

 この時代を少し遡ると、朝鮮半島はいくつかの小国の争いが、高句麗、新羅、百済の三国に収れんされつつありました。

 一方中国は、華北に五胡十六国と呼ばれる遊牧民の国家群があり、華南には漢民族の国があり、それらが次第に統一気運に向かっていた頃です。

 
 実は著者が東京大学の総長室アドバイザーをしていたときに駒場のキャンパスで、白鳳時代から奈良時代の衣装展という展示会をみたことがあったのだそう。

 その時の貴族たちの服装と言うのが、なんと胡服であったり乗馬服で、椅子と机で生活をしていたというのです。つまりこれは当時の鹿鳴館政策だったのだと。

 白村江の戦いで敗れた日本には、唐の国から郭務悰(かくむそう)という将軍がやってきて、敗戦処理をしなくてはならない。そのときに、唐の国に馬鹿にされないように強く意識して、当時の世界標準に必死に追い付こうとしていたというのです。

 そしてその頃の唐を取り仕切っていたのが則天武后という女性だったということ。またそのほかにも新羅でも二代続けて女性の王が誕生していました。

 つまりこの頃は、女性が国を仕切るという世界的標準、ロールモデルがあったのではないか、と著者は言います。

 そして世界に馬鹿にされないために、日本と言う国柄を著す歴史書が必要になり、それが古事記や日本書紀の編纂に繋がって行く。

 こうして考えると、日本史は世界史と切り離して考えるべきではなく、世界史からのアプローチとして日本史を考えると、また違った視点でものが見えて来るというのです。

 実に面白い。

 
    ◆   


 著者の世界を見る10の視点とは、ほかに、「歴史はなぜ中国で発達したのか」という秦の始皇帝やその後の孟子の革命思想の話や、「キリスト教とローマ教会、ローマ教皇について」という、キリスト教を巡る深い理解の話など、目からうろこが落ちる話ばかり。

 高校生の歴史の授業とは違う、大人なら知っておきたい教養としての歴史がここにはふんだんに著されています。


    ◆   ◆  


 著者は、この本を書くにあたって読んだ本は一冊もないといいます。

 それは、この本の中身が著者自身の半世紀の人生の間に見たり聞いたり読んだりして、自分自身で咀嚼して腹にすとんと落ちたことをまとめたものだからです。

 普段からこの本くらいの理解をしているという、高いレベルの教養の一端をぜひ味わって欲しいものです。

 
 …で、実はこの本の存在は、ある方のブログを読んでいて、「プレゼントされたんだけど、無類に面白い」という評があったことから知ったもの。

 私淑している方の評なら信じられますね。SNSの良い面だと思います。

 さあどうぞ、大人の方へのおすすめです。

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ジェネリック医薬品だとやっぱり安くなった、というお話

2014-04-11 23:14:41 | Weblog

 昨日の続きで、お願いしていたジェネリックの鼻炎の薬を妻にとって来てもらいました。

 明細をよく見ると、今回支払ったのは、薬剤技術料と薬学管理料を含めてトータル2420円の三割負担で730円でした。

 で、これをジェネリックではない普通の薬で計算すると、薬代3212円+上記の技術管理料1850円でトータル5062円。

 三割負担だと1520円かかるところでした。

 本人負担で790円の節約で、国家的な医療費としてみれば2642円の節約となった次第。

 私個人の負担としてみればわずか800円ほどの節約ですが、これが国民全体となるといかばかりでしょうか。

 言われるままに処方されて、何気なく飲んでいる薬をジェネリックに替えてみるだけで、医療費が半額になったということです。

 案外バカにはできないのではないでしょうか。

 国民も自ら医療費節約に協力できる数少ないチャンスのようですね。

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