京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「しろたへのお酒の粕」

2018年02月07日 | 日々の暮らしの中で
スッキリした青空が広がり屋内からの眺めは暖かそうですが、風が冷たい一日でした。こんもり膨れ上がった土を返してみれば、針のような長い霜柱。


こんな日は、と粕汁を。材料を整え鍋を火にかける、合間合間に残る酒粕をぷっくらこんがり炙ります。その熱々をあふあふと食べながら、友人とメールの交換でした。というのは…。京都新聞の紙面には「京都文藝」欄があり、「詩歌の本棚」と題して新刊評が各分野ごとに掲載されます。今回は歌集で、歌人の真中朋久氏が担当。取り上げられた5人の中に奈良市在住のUさんの名があったからでした。第二歌集『刳船』の中から4首が紹介され鑑賞の短文が寄せられていました。

・朝の森木漏れ日の斑を全身にまとふ幼は仔鹿のごとし

・落ち葉積む森の下かげ刳船(くりふね)の象(かたち)に窪む鹿の寝床は

ある日の早朝、Uさんは散歩中に奈良公園の片隅で鹿の赤ちゃんを発見したそうです。抱き上げ安全な場所に移してやりたい気持ちを抑え、管理事務所に連絡し事後を託した、と。野生の世界、人間が手を貸してはいけないと知っていたのです。奈良公園の鹿の保護活動にも参加する人でした。歌からUさんのエッセイにあったシーンが思い起こされて、印象深く残った2首です。このUさん、あのUさんに違いないとほぼ確信しながら、同じ奈良に住む友人に下の名前を確かめてみたくなったのでした。かつて共通の仲間でもあったUさんです。が、友人は「懐かしい」とだけで盛り上がりませんでした。
     
     しろたへのお酒の粕をこんがりと炙りて身体をあたためにけり    山崎方代

〈作者は生前は「ほうだいさん」と呼ばれて親しまれていた。戦争で視力を失い、生還したが結婚はせず、鎌倉瑞泉寺のほとりに侘び住んで、歌とお酒を友としてひょうひょうとした人生を過ごした。「しろたへの」という美しい形容と、「お酒の粕」という表現の中に、不如意を敢えて楽しむような哀しみがにじんでいる〉とは馬場あき子さん。(『歌の彩事記』)。炙った酒粕の熱々をちぎって食べた庶民の食文化を、「人間的な温かみのようにも、洒落た風雅のようにも、独特な、大人の表情をもって存在していた」とも書かれてましたけど…。「酒粕を炙って食べてます」と送信しても「楽しんで」ってだけだった。
コメント (10)
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