京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ちる、ちる、さくら。

2021年04月03日 | こんなところ訪ねて
明日は花散らしの雨になりそうだ。週明けから3日間は孫守りの予定。とするなら今日が桜の見納めになるのだろう。昼食を済ませてから、西京区大原野にある西行ゆかりの花の寺・勝持寺に向かった。


車を駐車場に止めて歩き出すと、ウグイス! ウグイスが見事な声で鳴いていて、足は止まってしまった。
鳥羽上皇につかえていた北面の士・佐藤義清が1140年にここで出家し、名を西行と改めて庵を結び、一株の桜を植えて愛吟していたと伝わる。応仁の乱で焼失後、再建に取り組んだもののかつての規模はなく、こじんまりした寺になった。


その境内を埋め尽くす桜。そして何代目になるのか西行桜(↓左手)。虚子が「地に届く西行桜したしけれ」と詠んだほどの枝はなかった。




満開は過ぎた。散る、散る、桜。散る桜の美しさをこれほどまでに目の当たりにしたのは初めてな気がする。
風の音が聞こえてくる…。立ち止まって、あたりを見回していると、境内一面にはらはら、はらはらと際限なくはなびらがふぶく。時に、瑠璃光殿の屋根に積もった花びらが二度目の花吹雪となって地に落ちる。桜の花びらに埋め尽くされた境内でもあった。



    (小さなドットのようなポチポチが花びらなのだけれど…)よく見えないけれど、「降る」というのがふさわしいかもしれないほどの散りようにただ感嘆…。

「散る桜も根にかへりてぞまたは咲く老こそ果ては行方知られぬ」 西行 
若い人たちへの慈しみにも日常の中では節度があり、花や風や月や雲に、弾むような喜びを感じていた西行だったが、こうした節度なく雪崩れてゆくような感じに、藤原秋実が師の老いを述懐する件がある。『西行花伝』)。
コメント (6)
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