京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

神の色 フクジュソウのような眼

2022年02月19日 | こんな本も読んでみた
ある方のブログで、デイサービス通所施設の一角に咲いたというフクジュソウを拝見した。春を呼び、幸福を呼び込むような暖かで鮮やかな色。どこか志の高さを見る思いもする。(写真はかつて植物園で見たフクジュソウ)


毒を持つと知ったのは『ふたり女房』(澤田瞳子)でだったが、その後、【アイヌのひとたちは、福寿草の花の鮮やかな黄色に「神の色」を見た。立松和平さんによると、心の底を射貫く強い目を「フクジュソウのような眼」とアイヌの人たちは呼ぶそうだ】と新聞のコラム欄で目にしたことがあった。

折しも、「今から半世紀前の1973年、京都生まれの女性が十勝のアイヌの農家に20日間ほど泊まり込み、アイヌ語を筆録した際の体験をまとめた」『アイヌの世界に生きる』(茅辺かのう)を読み進めていた。


福島県相馬に近い農村で生まれ、十勝に入植した開拓農家の子供だったトキさんは、生後1年足らずでアイヌの養子になった。食べるものも間に合わないひどい暮らしに、子守りをしていた異父兄の男の子によって川に放り投げられ、頭に傷を負ったが生き延びた。「いくら小さくても、生きて魂のある人間を捨てるなどとんでもない」と引き取ったのが養母だった。
出生を巡る事情とその後の人生。養母との心の通じ合い。17歳で結婚するまでの暮らしで身につけたアイヌ語を土台に、70歳近い今までを生きることができた、と語る口調にはアイヌの誇りが滲む。

時代は変わる。トキさんは自分が受け継いだアイヌに関わるあらゆる伝説や教訓や習慣や言葉などを、自分の子供たち(12人生んで9人が健在だった)には伝えなかったという。その必要もなくなり、拘っていては生きられない社会になっていたからだと。
ただ、喋る人がいなくなれば消えてしまう文字のない文化。開けるのが遅くて外の言葉が混ざっていない、ばあちゃん(養母)の言葉、十勝の本別のアイヌ語を残して、後の世の誰かの役に立てたいと願った。

同化政策。差別に偏見、誤解。厳しい自然。アイヌを取り巻く環境の中で、直観と経験で物事を捉え、善悪や直接的利害で判断して身につけた鋭い感覚と自立心。それらは現実を生き抜く生活の底力だと著者は記す。

本名は梅沢トメノ。「ネウサルモンの娘トキ、明治39年5月23日生まれ」。戸籍ではなく本当の名前を、書き終えた最後のところに書いておいてくれと付け加えた。ネウサルモンとは養母の名前だった。


聞き書きを終えて著者が帰る日、バス停まで送ると言ってトキさんは一緒に町へ出た。待合室に入ることなく別れたが、どこかで待ちながらバスの発車を待った。姿に気づいて合図する著者に笑顔で何度もうなづき、ちょっと片手をあげて、遠ざかったという。
                          
どんな人生も楽ではない。が遅まきながらも、新しい考えや世の中の動きを吸収しながら視野を広げ、アイヌの一人として真摯に人生を生きた女性の姿を知った。
バスを見送るトキさんの姿が目に浮かんでくる。

コメント (4)
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