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今日から奈良国立博物館で、「国宝 聖林寺十一面観音~三輪山信仰のみほとけ」特別展が始まった(~3/27)。
聖林寺は桜井市にある。この十一面観音は、明治の廃仏毀釈の時に三輪の神宮寺から聖林寺に移されたという。神宮寺の縁の下に捨てられていたのをフェノロサが発見したのだとか。
天平仏は乾漆像で、生身の人間の血肉を思わせるやわらかさがあると『運慶』でも描写されていた。だが、この聖林寺の十一面観音の豊かさをもってしても、山田寺の「仏頭」に残る、満々とした晴れやかさには及んでいないと前田秀樹氏(『日本人の信仰心』)。
仏教が伝来した飛鳥、白鳳時代の宗教的情熱の高ぶり、仏師たちの自然への信仰を託す喜びの心の爆発。それに比べて次代の天平の諸仏には、もうすでにわずかでも仏教的学問に対する内省の陰りが現れている、と言われるのだ。うーん、フーン…。情報や知識に邪魔をされない新鮮な感動でお会いしたいものだ。
桜井市に住む友人と、「どうしてる、変わりない?」と言葉を交わした。
行きたい、行きたい。会いたいなあ。けれど今、しり込み無用と飛び出すわけにはいかない。
時折こまかい霰がぱらついた。時折差す陽は、十分過ぎるほどに背中を温めてくれた。隠れていても太陽はちゃんと西に沈んでいくのだ。一日の終わりに薄茜色に染まった空を望んで、そんなことを思っていた。
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